19歳クウェートで抱いた疑問の答えを、10年後のネパールで見つけた話(後編)。
こんにちは。
前編では、クウェートでの生活についてお話ししました。
アジア系として差別を受けたけど、日本人として、他の出稼ぎ労働者を哀れんだり、差別したりもした。
このようなことを書きました。後編は、31歳、ネパール編です。
10年後のネパールの話。
10年後、31歳になった私はネパールへ。
なぜネパールか。その頃、カレー好き、からのネパール料理にはまっており、こんなに好きならネパールに行くしかないと、本場のネパール料理を追求するための旅に出ます。
「おいしい料理は家庭にある」とも思っていたため、現地の日本人コーディネーターに頼んで、料理が上手なお母さんのいるホームステイ先を探してもらいました。
そして、父親が、サウジアラビアで出稼ぎ労働者をしていた家族の家にホームステイすることになります。
男の9割が、出稼ぎに出る村。
ホームステイ先の家族は、父・母・長女・長男の4人家族。父も母も30代で私と同世代。「私も30代だから父と母と同世代なんだよ」といくら説明しても、「君は娘だから」と、たくさんの愛情を注いでくれました。
村は、首都カトマンズからバスで1時間と、徒歩で30分くらい。
秘境の多いネパールにあって、アクセスは良いので、ネパール的には都会なのかもしれません。
ただ、下水は整備されていないため、用水路に向かって歯磨きや髭剃りをします。上水はあるけど、水不足なので、飲用以外は、貯めた雨水を使っています。
トイレには、水桶が置いてあって、左手で股を洗う、ワイルドな方式です。お風呂は、一週間に一度、天気の良い日に、水浴びで!
豊かなのか、豊かでないのかわからない、この村は、男性の9割が、外国へ出稼ぎに出る村でした。
お父さんと、サウジアラビアの話。
ある日、家の屋上で、家族みんなで夕日を眺めていた時、サウジアラビアの話をしてみました。
「私はクウェートに1年いたんだけど、お父さんはサウジアラビアにいたんだよね?」
ネパール人であるお父さんは、サウジで、社会の底辺のような仕事をしていたんだろうという哀れみの気持ちと、中東社会への、恨み辛みで意気投合できることを期待してした質問でした。
しかし、お父さんは、仲間との仕事が楽しかった、家族のためにがんばった、サウジアラビアはいい国、ということを生き生きと語り、自分の仕事に誇りを持っていたのです。
その時気づきました。
クウェートで、私が勝手に哀れんで、下に見ていた人たちは、その仕事に誇りを持っていて、かわいそうなんかじゃなかったこと。
社会的地位よりも、家族のために働けることを喜べる、心の豊かな人たちだったこと。
一人ひとりの出稼ぎ労働者に、故郷や家族とのストーリーがあること。
クウェートは差別ばかりのひどい国だ!と、悪口ばかり言って、クウェート人をはじめ、全ての国の方に対して心を閉ざしたのは自分であり、社会のせいにして、自分から世界を狭めていたことに気づかされた瞬間でした。
まとめ
クウェートを含めて、オイルマネーで潤う中東諸国が、出稼ぎ労働者の搾取につながる社会構造になっていることは確かです。
出稼ぎ労働者への、暴行や殺人事件も起きています。
だけど、個人のレベルで見れば、どんなに逆境の状況にあっても、家族のためにきつい仕事をがんばれる、出稼ぎ労働者のみなさんは、人としてすばらしい。
だからこそ、ふるさと浜松で、82か国からの外国人のみなさんと友達になりたいというプロジェクトをやっています。
今度こそ、変なプライドを捨てて、いろいろな国の人と友達になりたいですね。