
"愛おしい"という感情を観る至高映画
人生のお手本にしたい映画に出逢った。
映画『ファーストキス 1ST KISS』。
"愛おしい"のかたまり。
映画を観る前、カンナさんの一方的な愛で駈さんを救う物語だと思っていた。でも違った。
カンナさんの愛を受けて、駈さんが生涯をかけてカンナさんを愛する物語だった。カンナさんを愛するということに全力を尽くす物語だった。
"愛おしい"という感情はなんて愛おしいんだろう。
"愛おしい"が愛おしくて涙が止まらなかった。
一方向の愛ではなく双方向、しかも後半が前半を喰ってしまうくらいの大きな愛がそこには存在していて、これを松たか子(あえて敬称略)相手に"松村北斗"がやってのけたことにふと気づいて震える。
駈さんくらい全力で愛おしいって表情で愛したいし、愛されたい。そんな人生を送りたい。
だってそんな人生絶対幸せ。
カンナさんを見る駈さんの目、触れる指先、堪えきれずにやける口元。そのすべてに愛おしいが溢れていて。たっぷり愛されたカンナさんはめちゃくちゃ可愛かった。
駈さんみたいに生きたいって憧れてしまった。
カンナさんみたいに可愛い奥さんでいたいって憧れてしまった。
29歳。出会った頃のふたりは今の自分と同年代。
どうしたって自分と重ねてしまって。
2024年のふたりは自分たち夫婦の未来だと思った。無の2024年と愛の2024年、どちらも。
今現在特に仲が悪いわけでもないし、駈さんが言うところの無理無理結婚でもないけれど。はあーーってため息で不機嫌さを伝えた日も私ばっかりってもやもやした日も悔しくて泣きながら眠った夜もある。
あんなにまっすぐな目で「君が好き。一生一緒にいたい。」と言い、すごく嬉しそうにガッツポーズした駈さんの未来があんなにも冷たいものであるのならば、他人事だなんて思えなかった。
お互いに干渉しない"無"の状態を想像した駈さんが即座に「ごめんなさい」と言ったように想像しただけでそんなの淋しい。淋しすぎる。
きっと小さなすれ違いで"無"の夫婦になる可能性もあるし、ちょっとの思いやりで一生笑いあって過ごせるんだと思った。きっと分かれ道はほんのちょっとの差。些細な日常に転がってる。
現実ではタイムトラベルなんてできないから。
「やり直します!」なんてできないから。
できないけど。
今からならまだ未来は変えられるって駈さんが教えてくれた。
15年後も並んで座っておはようっておやすみって笑いあえるように。
忘れかけていた大切な気持ちを思い出して、今日からより一層、大切な人を大切にしようって思った。
そしてもうひとつ。
この映画を観て何かを感じとれる人と一生一緒にいたいと思った。
もし、おつきあいしてる人に「これ良かったから一緒に観よう」なんて誘われて観た映画がファーストキスだったら、プロポーズだって勘違いしてしまいそう。一緒に観たその人とあたたかく愛溢れた未来図を想像してしまいそう。
パン屋さんをやろうと誘われた駈さんみたいに。
そんなロマンチックなプロポーズを妄想してしまうくらいにはこの映画が愛おしい。
残念ながら(?)既婚である私は自分が一生一緒にいると決めた人がこの映画から何かを感じとってくれることを願うしかない。
どうか、どうか、同じ未来を夢見て、と。
そんなことを思いながら、一緒に観ようと誘う日々。
照れくさいから言わないけど、
"あなたと観たい"は"あなたと一生一緒にいたい"だからね。
カンナさん
カンナさんの魅力はパワフルさだと思う。
突拍子のないことを真顔で言うようなキャラクターも楽しくて好き。
ぐちぐち言いながらも動く人。
そんなカンナさんだからこそタイムトラベルというファンタジー要素を違和感なく溶け込ませて物語をぐいぐい進めていく。
カンナさんは怒っている。
他人を助けるために自分を残して逝ってしまった駈さんに。
だけどたぶん、ずっと怒っていたんだと思う。
寝室を別にして目も合わさず会話のない日々を送る夫に。いってらっしゃいを言わないままドアが閉まる毎日に。もうどうにもならないと諦めて自分でも見て見ぬふりしていただけで心の奥底ではずっと怒っていたと思う。
カンナさんって話すのが好きな人だと思うから。会話のない日々はどれだけ辛かっただろう。淋しかっただろう。
同じくらい後悔もしていたと思う。
どこでどう間違えたのかわからないこの現状に。
きっとぶつける相手がいなくなってようやく自分の気持ちに気づいて持て余して。
「どうせだったら(離婚届を)出してからにしてよね」はそんなぐちゃぐちゃな気持ちと向き合いたくないって意味に聞こえた。
駈さんに会いに行く回数を重ねる度に可愛く綺麗になっていくカンナさんはまさに恋する乙女で可愛い。
カンナさんって自分の感情に疎いのではないかなと思っていて。頭で考えるよりも先に行動って感じ。
だから29歳の駈さんにドキっとしたりしつつも最初は自分の恋心に気づいてないのかもしれない。本人は未来を変えることに一生懸命。だけど側から見たらめちゃくちゃ恋してて可愛い。そんなところが好き。
コロッケを買わないと駈さんが言った後の「やったやった!」とか帰ってきてベッドに倒れ込んで「楽しかったあ」って浸る姿とか。めちゃくちゃ可愛い。
そのぶん、未来が変わらないことに胸が苦しくなる。
この恋心は"2度目の恋"なのか"忘れていた恋心"なのか。
私は"忘れていた恋心"なんじゃないかと思う。
29歳の駈さんのきらきらつやつやを思い出して、ふと目の前の遺影を拭く姿。その手つきは愛おしそうに思える。29歳の若さには到底及ばないけど少しでもマシにしてあげたいという想いが見える。
「浮気じゃないって」と言い訳するカンナさん。後ろめたいのは"無"じゃないからなんだと思う。
この人のこんなところが好きだったんだって隣がこんなにも居心地よかったんだって終盤は痛いほどに感じていたんじゃないかな。
今度こそって思いながら2024年に戻るとき、きっと願ったのは自分が15年を共にした人の姿。"無"でもいいからそこにいてほしいってまた会いたいって思ってた気がする。
今度こそ「いってらっしゃい」って言うからって。
運命の赤い糸を切ってしまえば駈さんを助けられるかもって気づいたときの輝いた瞳と名残惜しそうに部屋を見渡す姿がとても苦しかった。出会わないということは家の中から駈さんの痕跡すべてがなくなるということ。寂しい。寂しいけどそれよりも知らないどこかで生きていてほしい。
一瞬で決断するカンナさんの強さが愛おしい。
博物館で駈さんに思いを馳せながら発した「ごめん」は何に対してなんだろう。
わざと酷く傷つけたこと?
それともやっぱり好きでごめん?
助けてあげられなくてごめん?
今まで全部ごめん?
最後のタイムトラベル。私には最後のデートを楽しむって覚悟したように思えた。
駈さんを目に焼きつけるかのように見つめる姿。はしゃぎながらふたりで走るかき氷屋さんへの道。ハルキゲニアの話をする駈さんを愛おしそうに見る。最初は顔をしかめて聞いていたのにね。
もう会えない、愛おしい人。もう、後悔しないように。
そんな健気な覚悟が眩しくて愛おしかった。
駈さん
贔屓目なしで観ることなんて不可能だとわかってるけど、駈さんのキャラクターが本当に良い。一瞬で大好きになるくらい"硯駈"という人物が可愛くて魅力的。
29歳の駈さん。まっすぐで素直で純粋。ちょっと鈍臭くてそこがまた可愛い。
素っ頓狂な第一声がおもしろくて可愛くて好き。
メガネを取られたときの言葉になってない声が可愛くて、くしゃって顔も可愛くて、好き。
ハンカチにフルネームを書いているところとか、いつもポケットから色々こぼれ出ちゃうところとか、追いかけようとして転んじゃうところとか。大好きなハルキゲニアについて語る少年みたいな表情とオタク口調とか。ガッツポーズとか。カンナさんの結婚指輪を見たときの慌てっぷりとか。
いつだって真っ先に助けてくれる優しい手とか。
もう、全部が愛おしい。
そんな駈さんのまっすぐな恋心が眩しくて愛おしくてまた好きになる。"恋する人"の表情がめちゃくちゃ良い。
台詞の楽しさに引き込まれて笑っているうちにいつの間にかカンナさんと共に駈さんに惹かれていく。好きにならずにはいられない。そんなひと。
何も知らない駈さんは純度100パーセントの恋する顔をしている。戸惑いながらも好きって顔をしている。それがきらきら眩しい。
そんな駈さんだけど私がいっそう強く心掴まれた表情は傷ついた顔だった。カンナさんがわざと強い言葉で駈さんを否定する。あの瞬間の、何を言われるか理解した瞬間の、表情の変化。もうそれ以上言わないでと言わんばかりに小さく何度も頷く仕草。一言で言ってしまえば"泣きワンコ"なんだけど、そんな一言で片付けてしまいたくないくらいには繊細で苦しくて愛おしくて大好きだった。
でも、それはまだ駈さんの魅力のたった半分。
後半の駈さん、まだまだそんなもんじゃない。
もちろん主役はカンナさんで、カンナさんのパワフルさが物語の歯車を動かしているんだけど、すべてはホテルの部屋から始まる駈さんパートを描くための下準備でしかなかったんじゃないかって思うくらい後半が素敵。めちゃくちゃ良い。
「2024年、僕、死ぬの??」
予告を見たときからこの少し震えた声がグッと私の心を掴んで離さなかったんだけど。
本編を観て、この台詞が放たれた瞬間。ぎゅーっと胸が苦しくなると同時に感動した。まるで迷子の子どものような表情と声。放つタイミングが天才的だった。
このときの感動を言葉にするのが本当に難しいんだけど、その前に同じような台詞があって、でも確実に付箋への感情は別物で。あっほんとなんだって。死への恐怖?それだけじゃない何か。
同じような台詞でここまでニュアンスが違うんだ…すご…すごいよ……物語に夢中な私の外側にお芝居に痺れる私がいた。
拾った付箋を最初は見なかったことにしようと思ったのかな。付箋を握った手、居心地悪そうに座り直す正座、うわの空のメニュー。
誤魔化そうとしたカンナさんを逃がさないここぞとばかりの意思の強さも駈さんの魅力だった。
(だけどそんなところがもしかしたら最初の世界線でカンナさんは嫌だったのかもなんて何回目かに観たとき思ったりもした。)
ホテルのソファで話すふたり。
ここは好きな場面ばかりで。泣いてばかりで。
泣きながら笑ったりしていて。
差し込む西日のオレンジ色がまた綺麗で。
カンナさんを"君"と呼ぶ駈さん。
あんなに恋心100パーセントの年下男子って顔をしていたのにだんだん飾らなくなってきてさらにときめく。
自分がどんな最期を迎えるのか問う駈さん。
赤ちゃんを助けるためと知ったときの瞬きが忘れられない。目を開けたときには覚悟の目になっていて。ああ、もう駈さんは誰かを助けるために命を落とす未来を受け入れたんだなって思った。
次にまず聞くのはその子の安否。そして言う。
「悪くないね」
ここの表情の移ろいがとても好きで。カンナさんの必死さと対照に自分の運命をゆったりと噛みしめて受け入れていく駈さん。ミルフィーユをすんなりと受け入れた駈さんだからこそきっと死という未来が変わらないことをわかっていたのかな。
気づけば表情は恋心から愛へ移ろってゆく。
駈さんにとってカンナさんは出会ってたった数時間の女性のはずなのに、カンナさんとの未来を迷いなく選べるそのまっすぐさが眩しい。だけどもその選択がさも当たり前のように思えてしまう説得力が表情にある。"好き"の表情。"愛おしい"の表情。このときはまだ"好き"が濃いように思う。無邪気にも見えるその表情で、当たり前でしょみたいなトーンの声で、カンナさんを選ぶ。
死ぬことも間違ってないなんて言う。ほんととんでもない男…
ここのときめきポイントはあくまでも駈さんにとって恋した相手は45歳のカンナさんってこと。
好きになった人と月日を重ねた先に45歳のカンナさんがいるのではなくて、45歳のカンナさんに再会するために月日を重ねるということ。
15年も経たなきゃ好きになった人に会えないなんて遠すぎる。それでも駈さんは15年後のカンナさんに幸せになろうと言う。15年後のカンナさんが幸せであるためにその日から死ぬまでの15年間をやり直す。出会うことも結婚することもすべてはミルフィーユの先にいる45歳のカンナさんのため。この果てしなく遠くて大きな愛がなんとも愛おしい。
駈さんにとっては初めての、カンナさんにとっては2度目の、プロポーズ。
もう、まるっと"愛おしい"の表情。余裕さえ感じる包み込むような表情と声。最高でした……
束の間のデートを終えて別れるふたり。
名残惜しそうに繋がれた手。
このときのカンナさんを見つめる駈さんの目がなんだか色気溢れてて大好き。
「死なないで」と言われて「前向きに努力します」と答える駈さんは、後から考えると最後の日の朝「帰ってきたら続きね」に答えない駈さんと同じ誠実さ。
この見えない優しさが本当に素敵な人。
キスシーンは差し込まれた過去がすんごく良すぎて悶えました…ね…
大好きなシーンばかりのこの映画、一番好きなシーンがふたり同じベッドで朝を迎えるところ。
カンナさんを見つめる駈さんの幸せそうな顔といったら。ちょっと嫌がられながらも幸せそうに抱きしめる駈さん。
もう、涙が止まらなかった。
めちゃくちゃ泣いた。
この光景が愛おしくて尊くて嬉しくて。
おじさんとおばさん(言い方)がくっついてる光景を見てこんなにも泣く日がくるなんて思わなかった。
でも何度だってここで泣く。
ふたり一緒に食べる朝ごはん。
まだ一緒に遊んでいる立体五目並べ。
会話しながら玄関に向かうふたり。
全ての光景が愛おしく見える。尊く見える。
それはふとした瞬間に最初の世界線の冷たいふたりが頭をよぎるから。
このありふれた日常のような光景が当たり前ではないと知っているから。
目を合わさないふたりはもういない。
会話のないふたりはもういない。
駈さんがやり直すと決めた結婚生活。
カンナさんとの約束。
15年をかけて愛を注ぎ続けた結果をあらゆる光景が物語っている。
その全てが愛おしい。
そして何よりも。
駈さんがカンナさんに向ける表情が愛おしい。
駈さんの手紙とともに知るふたりの15年の日常。
ひたすらに"愛おしい"という顔をしている駈さん。
滲み出る愛おしさ。言葉なんて必要ないほどに雄弁に表情が語る。
"愛おしい"の顔をさせたら右に出る人なんていないんじゃないかって思うくらい。
そこにさらに、ずるいくらいに愛おしいを乗せた声が被さってきて。
この"愛おしい"に満ちた表情と優しさの行き届いた行動でカンナさんを包み込んでいるのが44歳の駈さんの最大の魅力。
パン屑まで愛おしく思う駈さんが愛おしくて苦しい。
最後の朝、思わず振り返った玄関でカンナさんを見て「いつもと同じ」と愛おしそうに笑う駈さん。愛おしすぎて涙が止まらなくて嗚咽を堪えるのに必死だった。
いつもと同じが愛おしいって最上級の愛だ。
29歳の恋心と44歳の愛。
表情も声色も挙動も惹かれる瞬間ばかりで。
すごくすごく素敵で大好きな駈さんでした。
日常
この映画を観てから些細な日常がなんだか愛おしく感じてときめいてしまって困る。
朝起きて触れる布団、食パン、運転席からの景色。
たくさんの洗濯物。そして靴下。
あらゆるものから映画を連想してカンナさんと駈さんを想って愛おしいの感情でいっぱいになる。
ふとした瞬間に、駈さんの表情だったりふたりの会話だったり最後の朝だったりお手紙を読む声だったり15年間毎朝聞いていたであろうトントンって靴を履く音だったりが頭に浮かんで、愛おしさが蘇ってきて泣きそうになる。
余韻がすごい。
たぶん、自分の日常さえも、ただの靴下さえも、
愛おしくさせてくれる、そんな映画だ。
もちろん、何度観たって電話が鳴らないことを願ってしまう。駈さんが生きた未来を願ってしまう。
2024年12月に戻っていったカンナさんの気持ちを想像して残酷なのかもなと思う瞬間もある。
それでも、最後に「ありがとう」と言って笑ったカンナさんを見たらハッピーエンドなのだと思う。
きっともう、結婚は相手の欠点が4Kで見えてくるなんて言うカンナさんはいない。ちがうな、4Kで見える欠点さえも愛おしく思えているはず。
駈さんはカンナさんの消し忘れた電気をさも愛おしそうにそっと消してまわったことだろう。
好きという気持ちがなくならないことを駈さんが証明してくれた。きっと、靴下の片方と恋愛感情は見えなくなってしまっているだけで、なくなったりなんかしないんだ。
愛おしい日々の記憶を抱えて、カンナさんはたくさん遺影に話しかけながら淋しさとともに生きていくのかなと思う。
そして、
ミルフィーユの先に戻ったカンナさんが駈さんの手紙を見つけて愛を受け取っていたらいいなと願う。そしたら少しは「幸せになろう」の約束を思い出して笑ってくれるんじゃないかな、なんて。
余白が素敵な映画。
たくさんのことを考える。
考察も楽しいけど正解を決めてしまいたくはなくて。そのとき感じた感情を大切にしたいと思った。
だから、たくさん考えるけど答えは出さない。
ああだったのかもしれないし、こうだったのかもしれない。
ここに書いたのはそれらのほんの一部。
ふたりの日々を想像しながら過ごす日常がとてつもなく幸せ。
考えれば考えるほど駈さんに会いたくなる。またすぐにでも会いたくなる。愛おしいふたりに会いたくて映画館に通いたくなる。
そんな気持ちで過ごす日々。
もしかしたらカンナさんもこんな気持ちだったんじゃないかなって。
もちろん本来の目的は駈さんを救うことだけど。
"そこ"に行けば生きている駈さんに会える。
言いたいこともぶつけられずに目の前から消えてしまったかつて好きだった人。
また会えるだけで生きている姿が見られるだけできっと"そこ"に行きたくなる気がして。
そんなことを思いながら映画館に会いに行く。
さて、北斗くん。
実際の15年後の北斗くんはきっと、もっとシュッとしていてもっとかっこよくてもっと軽やかであることでしょう。
でも、よたよたと歩く不機嫌そうな後ろ姿も幸せそうにいってきますと笑う姿も"駈さん"の15年後としてとてもリアルでした。素晴らしかった。
監督も脚本も主演もとてもとても素晴らしい。心地よく笑えて楽しい会話も語られすぎない感情も映像の美しさもそこにぴたっと存在しているカンナさんのキャラクターも大好き。
そのうえで、北斗くんが作品に渡した"硯駈"という魅力が間違いなくこの映画をさらに素敵なものにしていると思う。そう思わずにはいられなかった。
ファン以外の方の「松村北斗やばかった!(絶賛)」の声を探さなくてもあちこちで見かける日々に嬉しさとこの先へのわくわくが止まらない。
魅力あふれる硯駈という人物に出会わせてくれてありがとう。
"愛おしい"を見せてくれてありがとう。
この作品に出会わせてくれてありがとう。
本当に素敵でした。
映画『ファーストキス 1ST KISS』に出会える人生で本当によかった。
切なくて苦しくてとてつもなく愛おしくて
すごくすごく素敵なラブストーリーでした。