私は飼い犬を手放した罪を一生背負っていく
犬のお世話ボランティアをはじめた。
ミニチュアダックスフンド、13歳の女の子。個人情報に関わるので本名は伏せるが、ここでは「はなちゃん」としておく。
ある事情でお世話ができなくなった飼い主の代わりに、ご飯やおやつをあげる、水を与える、散歩をする、という内容を週2〜3回ペースですることになると思う。この記事を書いている時点で3回しかお世話をしておらず、今後どのくらいのペースになるかも未定なため「と思う」なのだ。
いかにしてお世話をしているのか、犬の可愛さを力説したいわけではない。昔の飼い犬「トミー」がはなちゃんと同じ犬種、同じ毛色をしていて、タブって仕方がないと言いたい。そしてトミーとの思い出は私にとって「パンドラの箱」として胸深くに沈めていた、ということも。
長い身体に、短い手足。それらを頑張って動かし、せわしなく歩く姿。垂れた耳の中にたまった汚れ。お散歩後に足を拭くために、前足、後ろ足をつかんでウェットティッシュで拭く一連の流れ。黒い小さな肉球。馬のように長いマズルに溜まる食べカス。便の拾い方。ハーネスをつける動作。はなちゃんと接する小さな行為のすべてが、トミーと暮らしてきた記憶と重なる。
「パンドラの箱」は、はなちゃんと接する中で強制的に開かれた。そのたびに私は、指先に埋もれて抜けないトゲに刺激されているような感覚になる。あるいは、足首につけられた鉄球のように、重くまとわりついてくるようでもある。私がどんなに幸せになろうとも、1人の女性として成長し、老いていこうとも、トゲはいつまでもチクチク刺激する。罪悪感という鉄球は、重たくまとわりついてくるだろうと断言できる。
私はこれまでトミーを知っているご近所さんから「ワンちゃん元気?」と聞かれても、本当はもういないのに「元気ですよ」とその場しのぎに答えていた。
友人と「昔、犬を飼っていた」という話になり「今はどうしているの?」という質問がきたら「病気で死んでしまった」と嘘をついてきた。
自分の行いに、負い目があったからだ。
真実をどこかに記しておく必要がある。すべての責任は私にある懺悔も、どこかに残しておく必要があるのではないか。そう思ったのだった。
*
私が12歳の頃。癌の宣告をうけたばかりの父が、ミニチュアダックスフンド買い与えてくれた。ある日突然「犬を買いに行こう」という話になった。世話の方法、知識を得る事前の準備もなく、迎えいれる心の準備もなく、我が家にトミーがやってきた。
「トミー」は、父が自分の名前を由来に名づけた。癌をわずらい、自分の命がこの先長くないと悟ったのだろう。父親の名前に似た犬を残せば、娘の寂しさを和らげられると考えたのかもしれない。
6年前の話になる。21歳だった私は、さまざまな事情で飼えなくなった犬を保護するNPO団体にトミーを引きとってもらった。一生分のお世話代として30万円を支払うとともに。トミーは当時9歳だった。段ボールに入れてそこらへんに捨ててきた、という状況とはワケが違う。彼の健康も安全も保障されている方法を選んだが、捨てたことには変わりはないと思っている。
なぜ引きとってもらうことになったのか。私のメンタル的な問題がひどく、十分にトミーの世話ができない状態が続いていたからだ。
飼い主としての至らなさに、世話をしたいのにできない不甲斐なさ。罪悪感にも追い詰められ「もうダメだ」と思ったのが、事の発端である。
私がトミーをNPO団体に引きわたした当時、夜の仕事(以下、夜職)をしていた。支払った30万円は、酔っ払った男性にお酒をつぎ、楽しんでもらえるように会話や気遣いをして稼いだものだった。
夜職をしていた理由はもちろん、自分とトミーの生活のため。整形費用を貯める目標もあった。内向的な性格には明らかに不向きな仕事だったが、その反面、給料はいい。ストレスは多かったけれど、大学中退・高卒の私が余裕を持って生きていくには仕方のない、自然な選択だったとも思う。
夜職のストレス。さらに末期癌で父をなくした14歳あたりから抱えていたメンタル的な問題があわさり、当時は人生でもっとも精神状態が悪い「メンタル暗黒期」の中にいた。
慢性的な抑うつ状態と、過食。ベッドの上で動かないでいるか、食べて排泄しているか、出勤するかの3択。前向きな気持ちになれた時期があっただろうかと思い返しても、当てはまる記憶はない。それ以前に、当時の記憶はあまりない。思い出したくないのかもしれない。
という状態だったので、トミーの世話は水、エサ、トイレの必要最低限しかできなかった。どのくらい続いたかは記憶にないが、散歩ができなかった。ひとり暮らし。親族は猫派で、高齢。犬の散歩をできる人たちではなかった。頼れる友人もいなかった。もちろん、犬友達もいなかった。ペットシッターを頼めばよかったと今更ながら思うが、余裕がなかった当時は思いつきもしなかったので、今更悔やんでも仕方がない。
トミーは散歩が好きで、外で走り回るのが好きな子だった。「散歩」と言うと、尾っぽを千切れんばかりに振り、家中を駆けまわって喜びを表現する子だった。芝生の上で、追いかけっこをするのが好きだった。こちらからふざけて遊びに誘うと、乗ってくれた。
骨太で、ミニチュアダックスフンドにしては随分大きい身体をしていた。短い足で地面を蹴り、力強く走った。その様子は中型犬に負けないくらい迫力のある姿だった。
なのに散歩ができない。トミーにとっては大きなストレスになったに違いない。いつしか彼は自分の手足を舐めるようになった。前足の一部が赤く、禿げるまでに。それが“ストレス症状”であることは、一目で理解できた。
外で遊びたいだろうに、走りたいだろうに。私が飼い主であることで、その願いは叶わない。ペットにはなんの罪もない。飼い主も選べない。ミニチュアダックスフンドの寿命は12〜16年。残された時間、楽しく幸せに生きたほうがいいに決まっている。彼の幸せを邪魔しているなら、今すぐ外に放ち、私のもとから離れた方がいいのではないか。
夜、1人で本気で考えた。思わずトミーを抱いて玄関を出そうになった。
ついに限界だと判断した春のあたたかな風が吹いていた日、NPO団体に電話をした。その数日後、スタッフの方が車で迎えにきた。書面に名前を書き、ハンコを押す。現金を渡す。ゲージ、お皿、布団、ケア用品、ペットシーツ、ご飯、おやつなど犬用品をすべて渡す。
私には見向きもせず、初対面のスタッフさんに夢中になっている。トミーは久しぶりのお散歩ができる予感を察知してか、まだ追えないくらい早く尾っぽをふっていた。走り回っては跳ねる。
新しいお家にいくとも知らず「お散歩?お散歩?」「お出かけするの?」と言わんばかりに喜びを全力で表現したまま、車に乗せられ、行ってしまった。
これで良かったのだと、自分に言い聞かせた。静まり返り、ガランという音がしそうなほど広くなった家の中で1人、泣いた。
それから、トミーには一度も会いに行っていない。今は15歳になっているが、まだ元気に暮らしているそうだ。
トミーに会いにいくのは罪悪感が詰まったプールに自ら飛びこみ行くのようなもので、そのプールにダイブする勇気はない。その代わり年2〜3回、ドックフードやペットシーツをNPO団体に寄付している。
動物愛護に関わる一環だと言い聞かせてはいるが、トミーを捨てた罪悪感が軽減される気がするから、なのかもしれない。
*
今お世話をさせてもらっているミニチュアダックスフンドの、はなちゃん。何かおやつを買っていこうと、ドラックストアのペットコーナーで物色していた。
色々なおやつがある中で最終的に選んだのは、トミーが好んで食べていた「ささみ巻きガム」だった。棒状の牛皮のまわりに、ジャーキー状になったささみが巻かれている。歯磨き代わりになるので食後に与えていた。
トミーとの思い出をもとに選んでいること。その記憶自体が残っていること。また、トゲがチクチクと刺激した。レジに持っていく足取りも、何かが巻きついているようだった。
はなちゃんはトミーではない。他人が大切にしてきた家族として、責任を持ってお世話をする。それを意識しながら、お世話をする限られた時間の中で、はなちゃんを通して、トミーにできなかったことを精一杯しようと思う。
はなちゃんの頭を撫でながら、トミーの頭を思う。はなちゃんの身体を撫でながら、トミーの身体を思う。はなちゃんと芝生の上で走りながら、走っているトミーの姿を思う。
今の私ができる、唯一の罪滅ぼしだと思っている。
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