幼馴染の結婚と、飲み干せないワインと、名前も知らない男
自宅の郵便受けをあけると、幼馴染の由依が結婚した知らせを記したピンク色の封筒が数枚のチラシと一緒に紛れこんでいた。
メールやLINEで知らせてくればいいのに。わざわざ招待状を送ってくるなんて。
<二次会パーティーのお知らせ>
謹啓 〇〇の候(時候の挨拶)皆様にはますますご清祥のこととお慶び申し上げます。
このたび、私たちは二次会パーティを開催いたします。つきましては日ごろお世話になっている皆様にお集まりいただき、ささやかな披露宴を催したいと存じます。ご多用中 誠に恐縮ではございますが、ご来臨の栄を賜りたく謹んでご案内申し上げます。 敬白
20xx年x月吉日
新郎名 xxxx
新婦名 xxxx
誠に勝手ながらx月x日迄にご返信いただければ幸いに存じます。
日時 令和xx年10月xx日
会場 ロイヤルグランドホテル 東京都渋谷区1-2-3
開始時刻 17:00
終了時刻 19:30
会費 おひとり様 7000円
招待状は随分と手がこんでいた。
ピンク色の封筒の中には、二つ折りになったメッセージカードが入っていた。触っただけで紙質がよいとわかる。分厚く、和紙のようにザラりとした感触がある。白地の紙に、紫やピンクの花模様があしらわれている。開くと、大きく「Wedding Party」と書かれている。
お金がかかっていそうな招待状を見るかぎり、幼馴染は結婚相手に愛されていてるのだろうなと、思った。
別の用紙には「ご無沙汰しています。二次会パーティーをするのでよかったら来てください。参加者はイケメン揃いだから目の保養になるかも?(旦那さんに怒られちゃうね笑)」という、手書きのメッセージも同封されていた。
由依とは小・中学校まで一緒だったが、それ以降は細く、長いの関係だった。年1〜2回会い、食事をする。でも、もう3年は会っていなかった。28歳にもなればお互い置かれている環境も、社会的な立場も、人間関係も変わるから仕方ない、と思っていた。
だから新郎の名前も知らないし、どんな出会いで結婚したかもわからない。唐突に送られてきた招待状に驚くくらいの時間がたっていた。それでも「旦那さんに怒られちゃうね」と、ふざけている由依の顔が思い浮かび、自然と笑顔になった。
私には結婚5年目になる、同い年の夫がいる。
夫は誰に対しても自慢できる「できた人」だ。同い年なのに私よりも、大人として自立している。人生をより良くしていこうという向上心があるせいか、常に自分を律している。”自分とは何か”のアイデンティティも確立されている。夫の身体の中には、一本の太い杭が打ち込まれたように、何にも流されない安定感があるように見えた。
私を愛してくれているとも分かる。そんな「できた人」から愛されることにも、満足しているはずだったのだけれど。
二次会パーティー......とは表の顔で、異性との出会いを期待した人が集まる場でもある。夫に「いってもいい?」と聞いた。私がほかの男にみられること。もしかしたら、見ず知らずの男から口説かれるのではないかと心配して「本当は行ってほしくない」と、返してきた。子供が駄々をこねるみたいに。「できた人」が珍しい。
でも、彼はやっぱり「できた人」だから。しばらく黙ったあとに「行きたいなら、行ってきていいよ」と言い直した。自分の嫉妬心で妻を束縛しない。束縛は未熟な人間がすることだと理解している「できた人」なのだ。
夫と二人きりの生活。セミフォーマルな服を着るのも久しぶりだ。
パティー用のメイクをするのも、高いヒールを履くのも。大ぶりのイヤリングをするのも。高級そうなホテルに行くのも。大勢の男女が集まるパーティは、マンネリ化した日常に刺激的なスパイスになるだろうと想像した。
日にちが刻々と迫ると同時に、私の足取りも軽くなった。
残暑が尾を引くはずの、10月半ば。
この日だけ、季節外れの冬がやってきた。下品にならない程度に身体のラインがでるボールド色のワンピースに、ストールだけ羽織って会場に向かうつもりだったのに、トレンチコートを羽織らなければならないくらい肌寒かった。
自宅玄関をでると、小雨が降っていた。
パーティー用のハイヒールで雨で湿った地面を蹴りながら、急足でタクシーを捕まえられる駅前のロータリーまで進む。霧のように細かい雨粒が、傘のあいだをくぐり抜け、トレンチコートの表面をじわりと湿らせた。
『ROYAL GROUND HOTEL』
ホテルの入り口に、大きな文字で書かれている。
目の前には噴水があり、規則的に水が出続けている。上下真っ白な制服を身にまとったボーイが2人、扉の両サイドに立っている。前をむいて微動だにしない彼らを横目に、回転扉をくぐった。
トレンチコートを脱ぎ、会場の手前にあるクロークに預ける。コートと引き換えに番号札を渡される。手元にはクラッチバックだけを残した。コートを脱ぎ、荷物を預けるまでの私の一部始終を、視線の主はわからないけれど、頭の先から爪先までを舐め回すようにみている人がいるなと感じた。気のせいかもしれない。この感覚を久しぶりに味わえたことに、私の「女の部分」が反応して、小刻みに喜びの合図を送っていた。
クロークを抜けると、遮るものが何ひとつない広々とした空間がそこにはあった。
ブラウンに模様があしらわれた絨毯。地面を蹴るハイヒールの軽快な音は、ふかふかな絨毯に吸収されてしまう。統一感が出るように、濃淡が異なるブラウンを基調としたインテリアが施されている。中央には大きなシャンデリアがぶら下がっている。フロアの1番奥にはBARコーナーがある。壁伝いにお酒のボトルとグラスが並んでいる。立食形式のパーティー。フロアの中央にはテーブルが固まっていて、その上にさまざまな料理が並び、囲うように人が散らばっている。
参加者はざっと見回すかぎり、5〜60名ほどいるように見えた。小中学校の関係者は、ほんの4〜5人だけだとうかがえた。由依の高校・大学の関係者、会社の同期が大半のようだ。知り合いがいるなら声をかけにいかなくては......と思いつつも、人の多さに圧倒されて足が進まない。
この日が近づくについて軽くなっていた足取りは、どこへやら。
周囲は共通の友人同士のグループがいくつもあり、お酒を片手に楽しそうに語り合っている。入りこめる隙はなさそうだ。なかには固まった男たちが、お酒の力もあり、わいわいガヤガヤと出来あがっていた。ときどき、耳を塞ぎたくなるくらいのドッとした歓声まで聞こえた。
とりあえず飲むしかない。BARカウンターにいき、飲み放題のメニューを確認した。ビール、カクテル、ジン、ウイスキー、ソフトドリンクまで。タイトなワンピースを着るために、夕方までろくに食べていなかった。
「ハイボールください。薄めお願いします」と、バーテンダーに伝えた。
細長い円柱のグラス、よく冷えている。BARカウンターに背をむけて、ハイボールをひと口。ウイスキーの香り。アルコールが染みこみ、ふんわりとした感覚が身体全体に広がっていく。
大袈裟なくらいハキハキと話す司会者。
パーティーのプログラムが進行されていく。新郎新婦のウエルカムスピーチからはじまり、ケーキ入刀、ビンゴゲーム、ゲストの余興など。あらかじめ定められていたプログラムが、こちらの意向を一才気にとめることなく、終了時刻にむかって進められていく。
どのプログラムも血気盛んな若者たちが、ヤジを飛ばしながら盛りあがりをみせていた。新郎新婦が切りわけたケーキをお互いの口に運び「夫婦初めての共同作業」という名目で、お披露目をしている。その光景を若者たちは両手を叩きながらみている。私も加わる。周囲はワァワァと意味不明な歓声をあげている。
その歓声を聞くと、なぜか高校・大学時代の記憶が蘇ってきた。
一通りのプログラムが終わり、フリータイムになる。
新郎新婦への挨拶に、記念撮影。知人がいるグループにも顔を出した。その場限りの、ただ音声を発して言語をかわすだけの、とくに何の意味も持たない会話を並べた。
普段使わない神経を駆使して、肉体的疲労とは別の種類の疲れを感じていた。
———強めのアルコールがほしい。
BARカウンターにいき、赤ワインを注文した。出てきたワイングラスを両手で受けとり、よそゆきの笑顔を作り、頭を少し傾ける。
受けとったワイングラスをみて、誰にも気がつかれない程度に動揺した。「飲める人」と思われたのだろうか。グラスに8分目まで、なみなみと注がれていたのだ。「普通、ワインは少しずつ楽しむものではないのか」と心の中で思いながら、振動でわずかに波打つ赤ワインの表面を見つめていた。
「ワインは普通、一度にたくさん飲むものじゃないよね」
どこからともなく、声がした。子供をなだめるような、柔らかい言い方だった。
顔をあげると、私より頭1つ分大きな男がすぐ側にいた。男は私に身体をむけて、目線を合わせている。その態度から話しかけられたのだと気がついた。ワンテンポ遅く、返事をした。
「私も、そう思って。ビックリしちゃいました」
「女性にその量はきついよね」
「ワイン好きなので、大丈夫です。ゆっくり飲むことにします」
「キツかった残しなよ、飲み放題なんだから」
彼は挨拶がわりに片手を一度だけあげて、賑わっている人混みに溶けこんでいった。
新郎側の人だろう、と思った。
若い男たちが団子のように固まって騒いでいる中に、彼がいたような気がする。身長が大きいから存在感があったのだ。それに、幼馴染の由依からも特に紹介されなかったところをみると、彼女側の関係者ではないことは想像がついた。
フロアの両端に並べられている、黒い革張りの椅子に腰掛ける。本当は深々と座りダラリとしたい気分だったけれど、セミフォーマルな装いをしている緊張感から浅めに腰掛けた。赤ワインをほんの少し口に含んで、舌の上でねぶるように少しずつ喉の奥にしみ込ませた。
4〜5名のグループ同士がいくつもあり、会話している様子がみえる。新郎新婦はそれぞれ、各グループに挨拶をして回っている。
由依はロングヘアを毛先まで丁寧に巻いている。両側を編みこんで、ハーフアップにしている。パールの髪飾りをつけている。薄いピンク色のレース生地のワンピースを着て、歩き回ることを想定してか、低めのパンプスを履いている。パンプスにはビジューで細かい装飾がついている。爪はどんなデザインかはわからないけれど、光沢があるのがわかる。全身のいたるところが整えられ、彩られている。
なにも事情を知らない人がこのフロアの中に放り込まれたとする。「花嫁は誰か?」と問いかけても、あまり悩むことなく言い当てられるだろう。そんな姿だった。
その様子を眺めながら、また少し、ワインを口に含んだ。相変わらず騒がしい声がひびき渡っている。私の存在をかき消すように。
いつの間にか、さきほどの男が隣に座っていた。
彼の前には2人組の男がいる。笑顔とオーバーリアクションを交えながら大きな声で話している。隣にいるのに、まったく別の世界。
2人組の男たちがどこかに行き、彼だけが取り残された。すると、彼はこちらに顔をむけた。話しかけられる気配がしたので、私も反射的に彼をみた。顔は赤らんで目は少しばかり潤んでいるが、2人組の男と話していた口調とはガラリと変わり、落ちついた口調でこう言った。
「ワイン、ちょっと減ったね」
「飲むしかやることないので」
「君は、新婦側の人?」
「そうです。小中学校の幼馴染で。新郎側ですよね?」
「そうなんだよ、あいつ(新郎)とは小さい頃からの付き合いでさ...」
彼はこちらを見ずに、ショットググラスに入った琥珀色の液体に口をつけながら、私だけに聞こえるくらいの声でそう言った。その目には、昔を記憶が蘇っているように見えた。私も彼の目に何が蘇っているのかを想像した。幼い新郎と、名前も知らない子供時代の彼が元気に遊んでいる様子を思い浮かべた。自然と口角があがった。
彼の髪は短く切られ、清潔感がある。
ジェル系のスタイリング剤でスッキリとまとめられている。飛び跳ねている髪の毛は1本もない。白いYシャツにグレーのベスト。薄いピンク色のネクタイは2次会らしく緩んでいる。座っていても、彼は身体が大きいことが見てとれる。身体は格闘家のように大きく、Yシャツがピッタリとしている。なにかスポーツでもしているのだろうか。
腕捲りをされたYシャツからのぞく肌と顔は、日焼けをしている。なのに、顔立ちは誰にでも好かれやすい、子犬のような可愛らしさがあった。笑うと並んだ白い歯の中に、八重歯がちょこんとあるのが特徴的だった。
彼がグイッと近寄ってきた。
「結婚しているの?」と、ボソリと私の耳元で呟いた。
柔らかく、温かい吐息が耳にかかった。
男性ものの、ビターな香水の香りがした。耳につけていた大ぶりのイヤリングが、小刻みに揺れた。
「しています」と、私は返した。
彼はさりげなく、私の手元に視線を落とした。
「しているのか」とぼそりと言い、しばらく黙って人混みをみていた。その言い方は残念そうでありながら、ほかの感情も混じっているような気がした。でも、それが何かはわからない。あえて訪ねることもしなかった。
そして彼は、聞こえるか聞こえないかくらいで「君みたな女性はこんなところに来ちゃいけないよ」と、こちらを見ることなく言った。グラスに半分ほど残っていた琥珀色の液体を、ぐいっと飲み干した。カラリ。氷がぶつかる音がした。
私と名前も知らない彼は、お互い同じ方向をみながら座っている。視線の先には、お団子になった若者グループがちっとも変わらない形で賑わっている。私はその光景を眺めながら、彼の「君みたな女性はこんなところに来ちゃいけないよ」の言葉と、ショットグラスに残った液体を飲み干した彼の態度の意味を考えながら、いつまでも手元に残りつづけているワインを口に含んだ。
パーティーがお開きになり、吸い込まれるように若者たちが会場を出ていく。私も列の後半に加わった。
外はすっかり暗闇に包まれていて、会場にくるまでに歩いてきた光景とはまったく別物になっていた。そこら中にある看板が光り、ネオン街と化していた。
いまだに冷たい雨が、服を軽く湿らせる程度に降っている。店を出た若者たちは傘をさしている。店の前で解散を惜しむように、ひしめき合っている。傘同士が重なり、ぶつかり合っている。私は傘がぶつからないように、少し離れたところに立って帰るタイミングを伺っていた。
傘の集団の中から、コートを羽織った男がひとり、近寄ってきた。先ほどの彼だった。私の目を見ている。優しく見ている。私の前まで来ると、彼は足を止めた。
「君と会えただけでよかったよ」
と、彼は言う。
私の肩にそっと手を置いて、そのまま歩き去った。もう二度と会うことはないだろうと悟った。
名前も知らない彼は、私の知らない場所に帰り、私の知らない当たり前の日常に戻っていく。そして私も、彼が知らない場所に帰り、彼の知らない当たり前の日常に戻っていく。
「結婚しているの?」と聞いて、少し残念がっている彼の眼差しを思い出す。きっと彼も、名前も知らない私の夫を思い浮かべていただろう。私が夫と楽しく生活をしている光景を思い浮かべていただろう。
もし私が未婚で、特定の恋人がいなかったらどうなっていただろうと想像した。あの大きな身体に、太い腕に包まれているのを想像した。もし、彼から「このあと2人で飲まないか?」と言われたら、私はなんと答えていただろうと想像した。その先の展開までも想像した。名前も知らない彼との未来まで想像した。
彼がどんな食事を好むかも知らない。好きな物事はなにか、嫌いな食べ物がなにかも知らない。どんな女性か好きかも知らない。どんな風にキスをするのかも、キスをする時に両頬にふれるかどうかも知らない。どんな感触かも、この先、永遠に知り得ない。
私の肩には、彼の分厚い手のひらの感触がいつまでも熱く、強く残りつづけていた。
赤々と熱した鉄を、押しつけられたみたいに。
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