媒体としての物語

この間、映画二重生活を見たのだけど、自分の中でとても根本的な面白い発見があった。


あらすじは、哲学専攻の院生である珠(門脇麦)が修論のために尾行をし始め(起)、まぁ何やかんやあって(承転)、尾行することで自分の中の隙間を埋められた(結)みたいな話で、ざっくり書くと。


物語の終盤、論文の終章の一部を珠がモノローグとして語るシーンでハッとして。

「理由のない尾行とは、他人の場所と立場に身を置くこと。自分を他人と置き換えること。すなわち互いの人生、情熱、意思を知ること。」


これって正に自分にとっての映画や小説だなと思ったんです。“互い”ではないから全く同じとは言えないけど。

物語を、見知らぬ誰かを通して初めて自分の気持ちを知ることが出来るというか。

登場人物に感情移入したり、自分と比較したりすることでそれまであやふやだった自分の中のものの輪郭が見えてくるような感覚が好きで、きっと同時に必要でもあって、私は物語に触れているのだと思う。特に小説はその傾向が強い。

だから何って話でもないのだけど、自分としてはすごく腑に落ちて。


抜粋した文章の直前に秘密ついての記述もあって、それもなるほどな〜と思ったし、まだまだ考える余地というか理解不足な部分もありそうなのでまた見返したい。

あと、実際の哲学科の学生の論文も読んでみたいけど、素人が読んでわかるものなのかな。


#エッセイ #映画 #物語 #二重生活

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