世界の見え方
何だか実名を生きる気力がどんどんなくなってきているな、とグループLINEの通知がガンガンたまっていくのを見ながら思った。
実名、つまり私の名前を知っていて、背丈や話し方、リラックスした表情を知ってくれている、利害関係のない人たちとの関わりがどんどん薄れている。
かと言って、ネット上に親しい人がいるのかというとそういうわけでもない。
相変わらず自分の内側だったり、小説や映画に没頭している時間が一番長い。
あとはもう会えなくなってしまった人に無意識下で話しかけてしまってる時間も結構ある。
どんな風に振舞っていたか、どれくらい突っ込んで話を聞いていたか、どんな調子で笑っていたか、そんな当たり前にやっていたことがどんどんわからなくなる。
意識していなかったことを意識するようになり、私は友人の前でも「まとも」を心がけるようになるのだろうか。
もはやそうなった関係は学生時代のままではなく、友人と呼べるかもよくわからない。
病んでいると言われれば確かにそうかもしれないと思うし、昔からそうだったよと言われればそうか。と納得できそうな気もする。
分厚い雲が頭上を覆っていて「降るなら早く降ってくれればいいのに」と思う時の気分によく似ている。
大切だったものがそうでなくなるのはとても寂しい。だけど無理やりコントロールするのも違うというか、その方法をきっと私は知らない。
大好きな漫画、清家雪子『月に吠えらんねえ』に出てくる言葉を思い出した。
世界の見え方が違うのだから
違う道を行くのも必然なのだ
見えている世界を、その素晴らしさを大切な人たちに上手く伝えられるようになりたい。そういう自分に早く会いたい。
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