11月9日
金曜日、長い1日だった。
前日、日付が変わる頃に家に着いたこともあって朝は寝坊気味。
着替えだけして斎場に向かい、控室の洗面台で姉と並んで化粧をした。
何でもテキスト変換する癖と音を形で見ようとする練習のせいで頭の中が忙しかったけど、いくつかの景色は忘れない。
周囲が俯きすすり泣きも聞こえる場面でずっと前を向いていて、自分は冷たいのかもしれないと思いながら、何より知りたいという欲が勝っていた。
私は圧倒的な現実を前に敵うわけないと何に対してもはなから願望すら持てなくなっているけど、そうじゃない人たちの、他人と深く関われる人たちの、悲しいとか悔しいをちゃんと見ておきたかった。
骨になるのを辛いと感じるのは、その人の肌の感触を覚えているからなんだろうか。
その人をその人として成立させるために必要なものって何だろうな。
体があるから苦しいのに、体がなくなるのを、以前と違う形になるのを目の当たりにすると不在を実感してしんどくなる。
そして不在は点じゃない。
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