叶わなくったって恋は恋だ
建築家になりたかった。
仲間とスタディを重ねて検討を繰り返し、問題解決としてのデザインを形にする建築家になりたかった。
でもその夢は叶わず、泳ぐことをやめ現在地もわからないままただただ空を見上げて浮かんでいたら次の夢を見つけた。
それは文章を書くことだった。
小説なのかエッセイなのかわからないけど、自分のために書いた文章が誰かに届いたらどんなに幸せだろう、それを仕事にできれば最高だなぁという考えに至った時はとても嬉しく、「今度こそ叶えよう。これこそが私の夢だったんだ。」と思うようになった。
だけど実際書き始めると、当たり前だけど難しい。読んで理解できる文章と書ける文章には思っていたよりずっと大きな隔たりがあるし、頭の中にあることを書いているつもりなのに純度を保ったまま書き表せないことが歯痒く、文章を書くのは好きなのに上手く書こうとすればするほどその過程で取りこぼしてしまうものばかりに目がいき次第に書くことからも遠ざかっていた。
書くことより好きだった読むことも、いつのまにか「自分にはこんな風には書けない」と落ち込むだけの時間になっていた。
だけどそうじゃないよな、とふと気づいたのだ。
叶わなくったって恋が恋であるように、小説家になれなくても小説を書くことはできる。
そりゃ仕事として出来たら最高、本当にこれ以上ない幸せだけど、最初の動機はそこじゃなかったはず。
わからないことやもやもやしてること、自分が思う真実を形にしたくて、切実さを残しておきたくて、自分のためという自覚もないくらい自分のために書いていたんだった。
きっとまた迷うし、思うようにいかない現状にめげてしまうこともこの先あるだろう。
だけど最初の、「書くことが楽しい、もっと上手に書きたい」って気持ちを思い出したから、もうしばらくは大丈夫。