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自己紹介がてら私がSixTONESに辿り着くまでハマったものを書き出してみた

 はじめまして、メリッサといいます。
 私が“オタ垢”として動かしているTwitterのフォロワーは1桁なので多分はじめましてだと思います。
 今はSixTONESのしがないオタクをしています。
 もともと家で誰も聞いてくれなくなったSixTONESの話をするためにはじめたTwitterでしたが、圧倒的な文字数の壁に悩まされていたのでnoteをはじめてみました。
 今回はタイトル通り私の自己紹介がてらSixTONESを好きになった経緯をはじめこれまでハマってきたものを振り返ってみようと思い立った次第です。知らない人の沼落ち経緯とか正直どうでもいいと思いますが、私の備忘録も兼ねて書き記しておこうと思います。
 もしよろしければお付き合いください。

 まずはオタクどうこう以前にジャニオタ要素を引っこ抜いた私自身のことを。
 といっても特に紹介できるような肩書きも持っていないただの学生です。今流行りの(?)なんとかlineってやつで表すと05になります。同い年のジャニーズJr.は久保廉くんです。
 未成年が地雷の方いたらごめんなさい。
 もうすぐ18にはなります。
 未成年だからお手柔らかに……とか言いたい訳ではないのですが、変な日本語とかあっても気にしないでいただけると助かります。もしくは教えてもらえるとありがたいです。

 割と多趣味な方だとは思います。
 あとは熱しやすく冷めやすいです。
 こんなのを書いている時点でお察しかもしれませんが、文字を書くことが好きです。
 趣味的な話をすると読書と絵を描くことが好きですが、最近はほとんど時間が取れていません。
 あとはなんだろう……残りはこのあとの話と被りそうなので終わりにしておきます。

私の人生のバイブルは「嵐」である

 私の“オタク”の原点のようなものを辿るとなると、4歳の頃まで遡る必要があります。
 私が4歳のとき、私は嵐に出会いました。
 もう少し正確に言うと、「Love so sweet」に出会いました。
 私が幼稚園の年少のときの運動会、年長のみができる花形種目の課題曲が嵐のこの曲でした。
 その当時年少だった私にとって「ふたつ年上のお兄さん、お姉さんたちがなんだか素敵な曲に合わせてみんなが憧れるあの種目をやっている」光景はかなり鮮烈で、そのときのことは今でも思い出せます。
 今もそうですが、小さな頃から歌うことが大好きだった私は家で“ずっとずっと〜”とLove so sweetを歌っていたと母から聞いたことがあります。
 ただし、そのときの私はその曲が嵐のものだということも、嵐はジャニーズだということも、というかそもそも「嵐」を知りません。
 つまり、「Love so sweet」そのものに惹かれて、その曲自体を好きになったのだと思います。
 そこからは当時はお昼に放送されていたVS嵐を観はじめて、レンタルCDショップで借りてきてくれたCDを何度も聴いていました。
 ちなみに当時の私のお気に入りは「Beautiful World」で、「Dear Snow」や「虹のカケラ〜no rain, no rainbow〜」、「まだ見ぬ世界へ」などが大好きでした。
 叔母が大野くんのファンだったこともあり、「嵐」への熱は加速していきます。
 ただし、そんな私もせいぜい小学校低学年の女の子。CDやライブDVDを購入したり、FCに入ったり、ライブに実際に行ったりなんてことはせず、音楽番組に出演していれば録画して繰り返し観る、のようなことしかできないいわゆる“茶の間”でした。
 若干の熱量の波はありながらも、今日まで“ずっと好き”なもののひとつです。

人生の指針にしたいと思えるようなひと

 小学3年生か4年生の頃だったと思います、ロシアのソチで冬季オリンピックが開催されました。
 そこでフィギュアスケート競技男子シングルで金メダルを獲得したのが羽生結弦さん。
 のちに私が“人生の指針にしたい”と思う人です。
 私はソチ五輪での彼に魅せられました。
 演技に?
 いいえ、私が彼に魅せられたのは朝のニュースで偶然観た表彰式での笑顔でした。
 めずらしいタイプのソチ落ちだと思います笑
 それまでスポーツ全般まったくといっていいほど興味がなかったのですが、彼をきっかけにフィギュアスケートに興味を持つようになります。
 ルールを調べ、テレビ放送される試合やアイスショーを観て、フィギュア誌を買い集め、羽生さん関連の書籍(蒼い炎など)も購入しました。
 圧倒的な強さと美しさを持った羽生さんですが、試合や雑誌でのインタビューや書籍からの言葉には私には考えられないような素直さと謙虚さがありました。素敵な笑顔や美しいスケートだけでなく、彼の人間性も私を魅せたのです。
 羽生さんの言葉はいつも私の行動の指針になるような感じがしていて、実際に道標にすることもあります。そして特に忘れられないのが、「明日の自分が今の自分を見たとき、胸を張っていられるような そんな今を過ごし続けたい」。これは2015年、羽生さんが20歳の時の言葉ですが、この言葉をはじめて見たときに、羽生さんという人の解像度が上がったというか、妙な納得がありました。彼が貪欲に上を目指すのは、それでいてどこまでも謙虚なのは、彼が明日の彼に胸を張っていられるようにするためなんだ、と。
 それ以来、この言葉は常に私の中のどこかにいて何かを選択するときに、流されそうになったときに私を引き戻してくれる存在です。
 ちなみに、羽生さんには2019年の世界選手権のフリーで一度だけお目にかかったことがあります。その時のプログラムは「Origin」。優勝こそ叶いませんでしたが、あの演技は私の記憶に深く刻まれています。

歌い手的な、実況者的な、配信者的な、

 中2のときに友人の紹介でとある配信者グループにハマりました。彼らはオリジナル曲も歌ってみたも歌うし、ゲーム実況もするし、ツイキャス配信もYouTubeライブもするしでとにかく色んなジャンルのことをしていた印象です。彼らが出したCDは私が好きだった時期のものはグループもソロも全メンバー分購入していました。
 ただ、活動がネットメインだったこともあり、受験勉強をはじめてスマホから距離を置くようになると全くと言っていいほど情報が入ってきません。新しい動画も、新曲も、ライブも。
 彼らのことが嫌いになった訳ではなかったのですが、そのときに彼らが何度も繰り返し口にしていた“胸を張って好きと言える”状態ではなくなってしまったな、と感じました。このあと書きますが、受験の後半でSixTONESと「出会った」こともあり、そのまま彼らからはフェードアウトしていきます。
 彼らのお名前は敢えて出さずに“時折ネットをざわつかせている6人組”とだけ書いておきます笑

SixTONESと出会い、彼らを好きになった

出会いというより、再会

 SixTONESとの出会いは、少し複雑です笑
 というのも、「知ったとき」「気になりはじめたとき」「好きになったとき」がバラバラなんです。
 まず、「はじめて“SixTONES”を認識した」のは2018年、テレビで観た「JAPONICA STYLE」MV制作のニュースでした。
 もともと嵐や(後述しますが)キンプリを好きな身ですので、なんとなーく印象に残り続けたのだと思います。
 2018年はキンプリがデビューした年でもあります。小5のとき(2016とか?)に購入していた漫画誌「ちゃお」で特集されていた“Mr.KING”の髙橋海人くんに一目惚れし、Mr.KING及びPrinceに興味を持つようになりました。
 そしてキンプリのデビューの少しあとから“少クラ”を観はじめるようになります(具体的な時期は覚えていないのですが、玄樹くんとMemorialを歌っていたのは覚えています……)。
 思えばこの頃から「SixTONES」のことは知っていた訳です。もちろんSixTONESとして意識していた訳ではないのですが……………

“そういえば、SixTONES”

 2019年1月、ずっと大好きだった嵐が活動休止を発表しました(私がその報を知った時どこで何をしていたか今でもはっきりと覚えています)。
 2019年4月に前述した配信者グループにハマっているので、カウントダウンのなかそこまで大きな穴が空いたような感覚はなかったのですが、カウントダウンも進んできていた2020年秋頃にその配信者と距離が出来ます。
 それによって漠然と、「あぁ、次の推し見つけなきゃなぁ」と思ったんです。
 そしてそのときは、これまで「嵐!キンプリ!」だったから次は「キンプリ!どこか!」になるのだろうと思っていました。
 そこでどこにしようと思ったとき、思いついたのがSexy ZoneとSixTONESでした。セクゾはもちろんメンバー全員の顔と名前が一致するし、曲もある程度知っていましたが、SixTONESは京本くんと松村くんしか分からないな、ということから、SixTONESについて調べることにします。
 2020年の年末、たまたま自宅近くのタワレコにあったフリーペーパー。そこで「京本大我」「松村北斗」の2枚をもらって家でゆっくりと、何度も読みました。
 京本くんのほうには他の5人とのペアの魅力紹介も書かれており、松村くん以外の4人はそこで学びました。ちなみに、そこでの紹介文でいちばん魅力的に思えたのが「きょもじゅり」。現在の私を狂わせているものですね。
 幸か不幸か、年末ですから紅白もカウコンもあります。その年のカウコン、SixTONESは「A•RA•SHI」を歌っていますよね?私はそこに運命めいたものを感じずにはいられませんでした。
 そして私は、いつのまにかSixTONESに夢中になっていました。
 思えば2020年春には新型コロナ流行による大規模休校がありましたが、そのときキンプリ担の友人から送られてきていた動画のなかのいくつかは(当時は意識していませんでしたが)SixTONESのものでした。そのときのLINEのトーク画面を見返すと、面白かった、と私が友人に伝えていたのはすべてSixTONESのものでした(Jr.チャンネルのMr.ズドンや手汗かいてきちゃった、チャンプルしちゃうぞ など)。これはSixTONESを好きになってから気がついたことでしたが、これも踏まえると私がSixTONESを好きになるのは必然だったとも思えます。
 1月に「1ST」が発売されるなんて知らない私は、「こりゃシングルじゃ買わないけどアルバムが出るなら買ってみてもいいかもな〜」などと呑気に思いはじめます。

本格的に沼った決定打は「1ST」から畳み掛けられた“僕僕”だった

 そしてしばらくすると1月にアルバム「1ST」を発売したことを知ります。
 「え!?私アルバム出たら買おうと思ってたんだよ!?!?」とここでも運命的な何かを感じ、私立受験がひと段落したタイミングで「1ST」音色盤を購入しました。“もう(嵐から)乗り換えるの?”と母や妹に白い目で見られたのも今思い返せばいい思い出です。
 そこから学校に行く前に朝、一日一曲ずつ「1ST」を聴くようになります。
 結論、めっちゃいい。
 めちゃくちゃかっこよくて、衝撃を受けたんです。
 え、こんなかっこいいの!?と久しぶりに全く新しいものにハマっていく感覚があったのを覚えています。
 しばらくして2月には「僕が僕じゃないみたいだ」リリースが控えていることを知ります。
 SixTONESに“出会う”前の私なら確実に、“いやでもシングルを買うのはもったいないからアルバムが出るまで待とう”と考えていたはずです。
 ですがその時の私は既にSixTONESに夢中。
 新曲をアルバムまで待てなかったんです(今思えばCITYまで待てたはずがないのでもしここで買わなくてもどこかのタイミングで購入していたとは思います)。
 そして「僕が僕じゃないみたいだ」初回Aと同時に、「NAVIGATOR」期間限定盤、「NEW ERA」期間限定盤の2枚も購入しました。“NAVIGATOR”と“NEW ERA”は1STに収録がありますが、私がSixTONESを最初に知るきっかけになった「JAPONICA STYLE」が音源化されていることと、“期間限定”という言葉に弱い私の性格が起因した結果でした。
 そのまま3月にはFCに入会し、受験後の少し長い春休みを使って“ストチューブ”の未視聴動画を少しずつ減らしていく日々。それからCDやDVDを少しずつ買い集めて、春頃からは雑誌も買うようになって、次の冬にはTwitterのアカウントを作って。
 そうやって少しずつながら“SixTONESが好き”を何か物として、かたちとして残すようになりました。
 6人が大好きで、毎日頑張る理由をもらって。
 いつか何かしらの方法で恩返しができたらいいなとも思っています。




 これで全部書けたのかなー、ちょっと分からないですが、大枠はこんな感じです。
 嵐がずっと好きで、キンプリをかじって……とやってきましたが、CDをちゃんと購入してFCにも入ってとここまできちんと追いかけているのはSixTONESがはじめてです(でもそのきっかけを作ったのは嵐とキンプリだよな、なんて思ったり)。
 まだまだ分からないこと、及ばないことまみれですが、どこへもぶつけられないSixTONESへの叫びのようなものをこれからはここで文字にできたらいいなと思っています(もちろんTwitterと併用しますが、なんといっても文字数が足りないので笑)。もしよろしければお付き合いください。
 こんな5500字オーバーの他人の沼落ち記録なんぞなんの面白さもなかったとは思いますが、ここまで読んでくださりありがとうございました。
 

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