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元保育士、子育てしんどい

様々な方面に誤解を招いてしまいそうなタイトル。

私の性格・意地・プライドと、職場で学んできた知識がかけ合わさった結果、なぜかこうなってしまった。という話を面白半分アウトプットしてみたかっただけで、元保育士・現役保育士の皆に当てはまることではない。もちろん保育園批判でもない。

だけど、どこかで誰かが、共感してくれていたら、何だか嬉しいなと思う。

私は8年間保育士をしていた。

「保育士さんだから、子育ても余裕でしょう?」
本当に言われるものなんだなぁ、なんてのんびり思う。

「いやいや、自分の子となると全然。」
これは本音。

仕事であっても、相手は気持ちのある人間なのだから、思うようにすすまない瞬間はいくらでもある。それでも、子ども側もちゃんと家と外をわきまえている子が実際多いので、保育と自分の子育ては別物だ。

とはいえやっぱり発達に対しての知識と、たくさんの子どもたちを相手に培ってきた声かけの引き出しの数は子育ての味方になる。なっている。

うまくいかないことは沢山あるが、数打ちゃ当たる時もある。わかっているから焦らずに済むことがたくさんある。なので実際、いやいや〜と言うのには謙遜も多少含まれている。

ここでタイトルの話に戻る。なぜしんどいのか?

私は変に生真面目だ。ズボラだし、キレイ好きでもないし、多くのことはまあいっかで終わる。なのに、自分が知識を持っている分野に関してだけはなぜか生真面目で、完璧主義になりたがってしまう厄介さがある。

保育士をしていて、"エジソン箸使えても普通の箸は使えない説"を聞いたことがある人は多いのではないかと思う。他にも、"トレパンちょび漏れ気づかないからトイトレ向かない説"や"吸盤で張り付くお皿使ってる子、自分でお皿支えれない説"など、そのような知識に基づく様々な説が幾年もかけてスリスリ擦り込まれ染み渡り、無意識のうちにがんじがらめにされてしまっていた。

これはもちろん、知識としてはあっても良いと思う。
「何でこれで出来てたのにあれでは出来ないの?」と子どもにイライラする必要がなくなるからだ。

ただ、"これが正解!"と思い込んでしまうとよくない。保育園での仕事と自宅での育児は環境も自分の心の余裕も全く別物だった。

思い込んだら一直線な私は、ジブンデ食べてみたい!スプーンが持ちたい!な息子にできるだけシンプルな食具を持たせた。案の定うまく食べられず散らかる。息子も怒れて泣けてしまうし、私もそんな姿にイラッとしてしまい、親側の自分が食事の時間を憂鬱に感じていた。ここで気持ちにゆとりを持って好き放題散らかしてもニコニコ見守れたら良い育児だと思うが、仕事でできても家では難しかった。

これではいけない。息子の笑顔が見たい。私もニコニコしていたい。

その場限りのできた!でも、その先ちょっとのジブンデできる!でも良いじゃない。とやっと思えた私は、勇気を出して赤ちゃんに使いやすいカトラリーを買うことができた。

それを使って食事をしても散らかることには散らかる。でも、自分が一皮剥けた気持ちで晴れやかだ。
おお〜やってるやってる。とにこやかでいられる。
そんな私を見て息子も笑っている。スプーンも持ちやすそうだ。


自分の子にどうなってほしい?
幸せに生きていける子になってほしい。

生活の自立に、最短コースをめざす必要はあるか?

こんなことがわかるまでに時間がかかってしまうもので情けない。母ちゃんになっても発達途上、よくいえばのびしろたっぷりな女のどうでもいいお話でした。


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