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シベリウスの長い沈黙のわけ。


毎月最終火曜日に行っている「火曜名曲サロン」、今月のテーマは「秋になると、シベリウスを聴きたくなる」。1時間ほどでシベリウスの名曲の数々を紹介するつもりだ。

札幌にいると、折に触れてシベリウスを感じることがある。

札幌交響楽団が定期演奏会で彼の交響曲を取り上げることも多いし、街中でよく目にする清廉な白樺並木は、まるで僕が持っているシベリウスのCDジャケットそのもの。

フィンランドという国もとても身近だ。建築家の畠中秀幸さんはフィンランドの巨匠・アアルトが設計した真っ白いフィンランディアホールこそが理想の建築だと語る。そういえばわがホールの調度品はマグカップやランチョンマットなど北欧スタイルのものが数多い。

気候はもちろん、温もりを感じさせる人の印象もどこか相通じるものがあるのだろう。
 
シベリウスは1957年に91歳で亡くなった。だが1926年に交響詩「タピオラ」を作曲をしてから、いくつかのピアノ小品や自作の改定作業をのぞいてまったく筆を折ってしまった。約30年間、彼の終の棲家「アイノラ」が建つ土地の名前を取って「ヤルヴェンパーの沈黙」と呼ばれるこの時代、彼はラジオを購入して全世界で演奏される自作のコンサートにひたすらを耳を傾けていたという。

沈黙の理由は様々に言われている。十二音技法全盛の当時の潮流と自らのスタイルとの乖離を感じていたとか、手の震えと目の衰弱に悩まされていたとか、第7交響曲を超えるもの残さなければというプレッシャーに耐えられなくなったとか。なにが真実かは本人でなければわからない。それらしきことをなにも残さず、彼は沈黙を守りとおした。

世界中が待ち望んだ第8交響曲を、逡巡の末、自らの手で焼却したシベリウスは、長い年月、なにを思って生きていたのだろうか。人々の期待に押しつぶされ、自らの才能に疑問を感じ、好きな作曲さえままならなくなったとき、この20世紀を代表する作曲家は人目を避けて隠遁するしかなかったのである。
 
シベリウスの中期の作品に「樅の木」というピアノの小品がある。どこか物悲しい、愛らしい曲だ。フィンランドに永住するピアノスト舘野泉が、アイノラに遺されたピアノを調整し直して録音したCDが僕の手元にある。彼が脳溢血で倒れる前に演奏した、宝物のような一枚。当日、「フィンランディア」や「ヴァイオリン協奏曲」のあいだにそっと花を添えるようにかけてみるつもりだ。

人が秋の訪れとともにシベリウスを聴きたくなるのは、自らを律し続けたその不屈の精神に人知れず励まされたいと思うからかもしれない。

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