Kさんという名物編集者のこと。
夢の中にKさんが出てきた。
出版社時代の大先輩。ずっと芸能誌や男性誌畑で、髪を肩まで伸ばし、面長の顔はいつもどこか憎めない表情をたたえていた。無類の酒好きで女好き。日課のように競馬場に通い、夜は麻雀に明け暮れた。
全共闘世代特有のダンディズムを漂わせ、仕事はさっぱりなのに大衆団交になるとがぜん存在感を発揮する。そんな人はあの会社では珍しくなかった。僕が親しくさせてもらったとき、Kさんの髪はすでに銀色で、僕は販売、彼はムック編集部だった。
一度、詩人の正津勉さんに憧れていると僕が言うと、だったら会わせてやると池袋の居酒屋で三人で飲んだことがある。僕は緊張しながらも、自分で書き溜めていた詩を正津さんに恐る恐る手渡した。正津さんは「ありがとう」とにこやかに笑い、僕の詩集を無造作にカバンに詰めた。
なにを話したかはもう覚えていない。解散して、正津さんが手を振りながら夜の雑踏の中に消えると、Kさんがやおら「俺ができることはここまで。あとは適当にやんな」と言った。そのことだけは鮮明に覚えている。
ある日、Kさんから携帯に電話があった。
「申し訳ない。金を貸してくれ」。ついに来たかと思ったが、「ボーナスが出たらすぐ返すから」と言われて承諾した。たしか十万円と思う。二か月後、また電話がかかってきた。「すまん。どうしても返せなくなった。もう少し待ってくれ」。うすうすわかってはいたけれど、僕はやはりショックだった。なんだ、やっぱり僕はKさんにとって、ていのいい金づるのひとりだったのかと。
Kさんは組合からもお金を借りていた。それから一か月ほどたったある朝、組合の経理担当の男から電話があった。
「こっちは解決しました。立野さんは大丈夫ですか?」
「え、なにが?」
「知らないんですか。Kさんが昨夜、会社の近くの飲み屋で倒れたんですよ。病院に運ばれて、そのまま亡くなったそうです」
組合から借りたお金は、慶弔金で相殺するという。あまりのことに呆然とした。
あの電話がKさんと交わした最後の会話になったのだ。そのことがどうにもやるせなかった。
気がつけば僕はあのときのKさんの年齢を追い抜いている。それでも夢の中に出てきた彼は、いつものように人懐っこい笑顔をたたえながら、日本酒のお猪口をひょいと持ち上げていた。
僕はあくまでも彼の後輩として、隣に座ってただ彼の話に相槌を打っている。