アリス=紗良・オットの生真面目さに思う。
六月に入った。あと一か月も経たないうちに、僕はこの街をあとにする。
思えば高校を卒業してからずっとこの界隈に住んできた。
東京という場所に強い憧れがあった。でもその思いは割と早い段階で消えていった。まず慣れることが最優先。いつしかそれが日常になり、どこで何が起こってもさして気にならなくなった。
新しい土地での暮らしに不安がまったくないわけではない。おそらくその寒さは想像以上だ。だけどひと冬越せばおそらく笑っていられるだろう。体の細胞が新しい土地の空気を欲しているのが、いまの僕にはよくわかる。
今週、ありがたいことに何人かの昔の仲間が送別会を開いてくれた。
皆、一様に驚くものの、すんなりことの顛末を受け入れてくれる。根掘り葉掘り聞かれることもない。「それよりさあ、俺の話を聞いてくれよ」という感じ。なんだか誰の送別会だかよくわからない。
あとになって気がついた。大口を叩いていたあいつも、小心者のくせにいきなり独立してしまったあいつも、それぞれ将来に対して不安を抱えているんだと。だからうまくやっている奴らのことが気になるのだ。
僕はどうだろう。
少なくともひとりじゃない。そのことを励みに、自分の思い描いた未来に近づいていければと思う。
先週、所沢でアリス=紗良・オットのリサイタルを聴いた。
「エコーズ・オブ・ライフ」というコンセプトのもとに構成されたピアノと映像のコラボレーション。ショパンの「二十四の前奏曲」の合間に7曲の現代曲を挟み、それぞれにテーマをもたせて一気に弾き切った。
照明を落とし、ときおりスクリーンを見ながらピアノを奏でるアリスの音楽は、エモーショナルであると同時にとてもよく考えられていると感じた。
感性豊かな彼女は、同時にとても知的なものに憧れているのではないか。リサイタルのプログラムに書かれた彼女の文章も含めて、生真面目さが強く感じられた。だからこそ彼女はここまでピアノを続けられたのだろう。
プログラムによると、彼女が患った多発性硬化症は複数の医療チームのおかげで、現在は症状も出ず抑えられているそうだ。
彼女の生真面目さが素晴らしい未来を切り開くことを願わずにはいられない。
アンコールはサティの「グノシエンヌ第1番」。それはまるで、アンニュイで不安定なこの世界を丸ごと受け入れる彼女の決意のようなものに思えた。
僕も、僕の仲間たちも、きっともっと自信を持っていいんだと思う。
未来はそんなに悪くないはずだから。