「クロイツェル・ソナタ」が好きだった母親のこと。
僕の大切な彼女はとにかく涙もろい。
楽しいことも哀しいことも、なにか心を動かされることがあるたびにとめどなく涙が溢れてくる。
最近はとくに、母親の愛情みたいなものを感じさせるシーンがあるともうグスグスしはじめる。上京した子どものためにせっせと食べ物を送ってあげるとか、そういうのもダメみたい。
たしかに僕も学生時代はよく母親から送ってもらっていた。社会人になってもみかん一箱とかざらだった。
少なくとも僕にとっては、母親というのはこの世に存在するだけで不思議な安心感を与えてくれるものだった。その重しがなくなって、もう七年近くたつ。
今夜は少し母親のことを思い出してみたい。満月のせいか、そんな気分だ。
そもそも僕は母親似だ。AB型という血液型も受け継いでいるし、音楽や文学好きも母親の影響を色濃く受けている。
小学一年生のとき、初めてクラシックのレコードを買ってくれた。ベートーヴェンの月光ソナタ。十七センチEP版というやつで、ピアノはフリードリッヒ・グルダだった。
母親はベートーヴェンの「クロイツェル・ソナタ」とシューベルトの「冬の旅」が大好きだった。家にはディートリッヒ・フィッシャー=ディスカウとジェラルド・ムーアによるLP二枚組の「冬の旅」のレコードがあったが、なぜかクロイツェルは持っていなかった。
だからお葬式のときにかけてあげた。ヴァイオリンはイツァーク・パールマン、ピアノはウラディーミル・アシュケナージ。たぶん、気に入ってくれたと思う。
母親は四人姉妹の三番目で、戦前に朝鮮に渡り、戦後命からがら帰ってきた引揚者だった。
ひとに言えない苦労もしたと思う。自身も結核に罹り、肺の片方はほとんど死んでいた。それでも明るくにぎやかな人だったし、なにより人の世話をするのが大好きだった。
典型的な文学少女で、万葉集もアガサ・クリスティも赤毛のアンも同じ価値観で読んでいた。歴史も大好きで、とくにシルクロードものにはずいぶん魅かれていた。「あたしの前世は絶対遊牧民だったと思う」というのが口癖だった。
父親とサナトリウムで出会い結婚したのは前にも書いた。平穏な毎日を過ごしていたけれども、長男を海の事故で亡くすとは思っていなかっただろう。晩年は認知症になり、哀しい最期だった。
僕が小学四年生のとき、母親はパイオニアの懸賞論文に応募して一等賞を取り、東京での授賞式にも出席した。賞品はなんとパイオニアのステレオセットだった。夢のような話で家中で喜んだが、なぜか母親は浮かぬ顔。あとでわかったのだが、その懸賞論文のテーマは僕だった。「ベートーヴェンをわざわざルートヴィッヒ・ヴァン・ベートヴェンと呼ぶ、クラシックかぶれの次男坊」のことを書いたのだ。
僕はちょっと驚いたけれども、そんなことよりいきなり家に現れたどでかいステレオに夢中になった。毎日ステレオの前に座り、ヴェルディのオペラや「ヨハネ受難曲」を聴いていた。
子どもなんて、そんなもの。でも、わざわざフルネームで呼ぶ癖はいまだに抜けていないみたいです。