ミューズがこの世に残したもの。
「ミューズ」とは本来、ギリシア神話の女神のこと。芸術一般をつかさどり、その信奉者に多大な影響を与える。若くて美しい女性に代表されることが多いが、もちろん例外はあるだろうし、異性でなく同姓であるケースだって当然あるだろう。
たとえば谷崎潤一郎。彼の『痴人の愛』や『細雪』、『瘋癲老人日記』にはそれぞれモデルがいた。『瘋癲老人日記』などは妻の連れ子に惹かれるのだから、大谷崎、おそるべしである。
作曲家の中で思いつくのは、ショパンにおけるジョルジュ・サンド(彼女は6歳年上だった)、ベルリオーズにおける女優ハリエット・スミッソン(『幻想交響曲』のモデル。のちに結婚・死別)、ワーグナーにおけるマティルデ・ヴェーゼンドンク(『ヴェーゼンドンクの5つの歌』や『トリスタンとイゾルデ』が生まれたが、楽劇が完成するや熱は冷めてしまった)といったところか。
しかし僕にとっていちばん強烈なのは、38歳も年下の人妻カミラ・シュテスロヴァーに恋したレオシュ・ヤナーチェックだ。
当時、ヤナーチェックは63歳。カミラはふたりの子どもを持つ25歳の既婚女性だった。夏の休暇中に温泉地で知り合ったふたりは、はじめはお互いの夫婦同士で招待を繰り返していたが、やがてヤナーチェックがほぼ一方的に妻ズデンカが激しく嫉妬するほどの思いを込めた手紙を送り続けた。
オペラ『イェヌーファ』が成功したとはいえ、まだチェコ国内でしか知られていなかったヤナーチェックは、ここから怒涛のように傑作を生み出していく。
管弦楽曲『シンフォニエッタ』(村上春樹の『1Q84』で取り上げられた、あれです)、オペラ『カーチャ・カバノヴァー』、『マクロプロスの秘事』、『利口な女狐の物語』、『死者の家から』、そして弦楽四重奏曲第一番『クロイツェル・ソナタ』と第二番『ないしょの手紙』などなど。特にオペラは現代の主要プログラムとして君臨しているといっていい。それまでのどちらかというと保守的だった彼の音楽は、チェコの民族音楽に根ざした独特の音楽話法を開花させた。まさにカミラさまさまといった感じだ。
ヤナーチェックは死ぬまで出し続けた720通もの「ないしょの手紙」の中で、口を酸っぱくしてカミラへの愛を綴っているが、当の彼女はほとんど聞き流し状態。それでもヤナーチェックが彼女の家を訪れ、ときには泊まることも許していたし、夫とともに旅行に行ったことさえある。
最後まで肉体関係はなかったようだ。だけど、ヤナーチェックは幸せだったと思う。その歳で、すべてを忘れて己の才能を捧げられる存在に出会えたのだから。
晩年の傑作はそのひとつひとつが彼女に対する恋文だ。僕たちはそのおこぼれを預かっている。なんという「棚ぼた」だろう。もしかしたらカミラが散々じらしてくれたおかげで、僕らは至高の作品を受取っているのかもしれない。本人はおそらく、苦しかったと思うのだが。
カミラと出会って11年後、ヤナーチェックは肺炎であっけなく死んでしまう。迷子になったカミラの息子を探して森の中をさまよい、風邪をひいてしまったのだ。カミラはどう感じただろう。一人の天才のミューズという立場から、一介の子持ちの主婦という現実に戻ってしまったことを。
ここからは大いなる蛇足だ。
ついこのあいだまで同僚として働いていた女性がいる。
ショートカットがよく似合う彼女はクラリネット奏者でもある。地元ではアンサンブルを組み、東京ではアマチュアのオケにも参加した。
でもコロナの影響で就活はままならず、オケも活動中止に。僕はまだ彼女のクラリネットを聴く機会に恵まれていない。
明るく、行動的な彼女はいま、大きな人生の転機に差し掛かっているようだ。
ここはこらえどころだと僕は思う。じっと息を潜めて機会を待つ。そうすれば必ず、あっと驚く出会いが待っているはずだ。
なにより、自分が誰かのミューズになっていることを知れば、きっと彼女も自信を持ち、大きく光はばたくに違いない。
誰のミューズかって? そんなこと、口が裂けても言えません。
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