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去年の「カルメン」と今年の「ヨハネ受難曲」、どちらも忘れられない。


先週、僕は三年半勤めた公共ホールを退職した。

辞めると宣言してから三か月余り。結局最後まで後任を決めてくれなくてまともな引継ぎができず、おまけに二月に入って緊急事態宣言が延長されたものだから、それまで昼間に行っていた講座までが中止されることになり、中止連絡やらオンライン講座の準備やらでバタバタとせわしない毎日が最後まで続いた。

でも最終日は一応みんなの前で挨拶させてもらったし、花束もいただいた。形だけでも円満退職になってよかったとほっと胸を撫で下ろした。

思えば最後の二年くらいは「フィデリオ」のフロレスタンみたいに地下に幽閉されているような日々だった。それでも思い出すことはいくつかある。その最たるものは「カルメン」への出演だろう。

カルメン2

昨年の二月、区民オペラの「カルメン」が上演された。その竜騎兵役と警官役として急遽舞台に立つことになったのだ。

セリフもないし歌も歌わない。要するに頭数合わせなのだが、立ち稽古が四回くらいあったし、当日は立派な竜騎兵の衣装に袖を通すことにもなった。なによりキャストたちや合唱団を含めた総稽古を間近で見ることができたのは得難い経験だった。

指揮者と演出家だけでなく、数人の副指揮者たちが合唱団に立ち位置や出るきっかけを教えてくれる。メインキャストのほかにもしものときは代役を務めるアンダーキャストたちも練習に余念がない。衣装合わせでは一人ひとりのサイズを確認して、衣装さんが微調整してくれる。ヘアメイクさんからはファンデーションや鼻筋の描き方も教わった。とにかくオペラは総力戦なのだ。

一回きりの公演だったが、なんと日当もいただいた。打ち上げには参加できなかったが、いろんな人から「お疲れさま。来年もよろしくね」と笑顔を贈られた。

今年は「ラ・ボエーム」の予定だったが、あえなくコロナで中止に。あの合唱団の人たちはさぞや嘆いたことだろう。

ヨハネ

先週の土曜日、ついに「ヨハネ受難曲」を歌うことができた。

紆余曲折の末、六百人収容のホールで百人限定とし、お客さんを入れて公演することにした。二十人の合唱団は全員マスク着用。団長のお母様が手作りした特製のマスクだ。

オケは五人の弦楽器とオルガンという編成。バランスも良く、これだけで十分だった。オケもソリストもさすがプロという力量で、特に急遽頼んだエヴァンゲリストの中嶋克彦さんはほとんど暗譜しているんじゃないかと思われる熟練ぶりだった。

これで入場無料なのはお得だったと思う。実はこの公演で合唱団のお金はほとんど使い切り、会場に設置した募金箱に入っていた数万円がなければ完全に赤字だった。

聴きに来てくれた彼女から「最後のコラールでみんなの声のエネルギーが一段と上がった」と言われた。素直にうれしい。コロナが収束したら今度はマスクなしで再演しようよと言っている団員もいた。それもいいけど、早くしないと忘れちゃいそうだ。

今回、ふたりの練習ピアニストさんからものすごく心のこもったメッセージをいただいた。

一年半近く、彼女たちのおかげで練習できたのに、本番は同じ舞台に立つことができない。その代わりふたりは録音・撮影係りをかって出てくれた。終演後は誰よりも早く楽屋に駆けつけ、涙を流さんばかりに喜んでくれた。

いろんな人たちに支えられて初めて、ひとつの舞台を成立させることができるのだ。たとえ不要不急のものだと位置づけられても、生きるためにこれほど大切なものはない。

芸術とはそういうものだと思う。そこにプロもアマもないはずだ。そんなことを感じることができた一日だった。

北海道

明日から一週間ほど僕は旅に出る。そこでどんな光景を見、どんな体験をするのか、いまから楽しみで仕方がない。

きっと未来につながる旅になるだろう。心と身体の両方でその喜びを感じ取るのだ。決して忘れられないものにするために。

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