舘野泉と祈りの音楽。
舘野泉というピアニストに出会ったのは、僕が横浜の公共ホールに勤めていたころ、いまから6年ほど前のことだ。
舘野さんは世界的に活躍していた65歳のとき、ステージ上で脳溢血で倒れた。2年後、「左手のピアニスト」として復活する。以来、さまざまな作曲家に左手のための作品を委嘱し、再び世界的な活動を繰り広げていた。
その日は息子さんでヴァイオリニストのヤンネさんらとのアンサンブルを中心としたプログラムだった。
当時でも、足腰はかなり危なかった。でもピアノの前に座ると、いきなり左手を振り上げてダダーンと弾いた。その音のなんと力強く、美しかったことか。下手の袖で聴いていた僕は心の底から驚いた。このホールのピアノがこんな音を鳴らすのを、それまで聴いたことがなかったから。
今回、仕事で舘野さんにお話をうかがう機会を得た。
キタラ小ホールでの札幌公演の前に、ホテルの一室で一時間ほどお目にかかった。
この11月で87歳になる。3月の終わりに長年連れ添った妻のマリアさんを亡くされた。それでも彼は予定された公演をキャンセルすることなく、6月に出される新しい本の執筆もこなし、車椅子に乗って札幌までやってきた。
「なにも変わっていないんですよ。小さいころから音楽をやっている。両手でやるか左手でやるかということはあるけれど、それもあまり考えたことがない。『第二のピアノ人生』という考えもない。音楽をやることは生きるということ。命の軸。それをただやっているだけ」
一言一言、噛み締めるようにゆっくりと話す。口調は柔らかいが、その中に鋼のような強い信念が感じられる。
「人がなんと言おうと、これは正しいんだと思ったことをやっていければいい。だからこれは孤独な世界。自分で切り開いていかなくちゃいけないものなんです」
静かに見つめられる。それだけでなにも言えなくなる。
人生のすべてを教えられたのだから、当然だ。
二日後、舘野さんのリサイタルに足を運んだ。
曲の合間にマイクを取って聴衆に語り掛ける。一曲目が終わると、マリアさんが亡くなったことを告げ、曲目を変更して「マリアが好きだった曲をやらせてください」と言った。
バッハの「シャコンヌ」。右手を故障したクララのためにブラームスが編曲した左手用のものだ。
決して派手さはないが、力強い単音の連なりがまるで繰り返される祈りの言葉のようだった。
亡き妻に捧げられたその音楽は、同時にいま生きていることの大切さをも知らしめているように、僕には聞こえた。