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装丁家・坂川栄治さんが愛したバッハの「無伴奏チェロ組曲」。
今年8月、装丁家の坂川栄治さんが亡くなった。まだ68歳。早すぎる死だ。
書籍編集に携わっていて彼の名前を知らない人はおそらく誰ひとりいないだろう。
吉本ばななの『TUGUMI』やヨースタイン・ゴルデル『ソフィの世界』が代表作としてよく紹介されているが、僕はカズオ・イシグロの『わたしを離さないで』における、あのカセットテープのイラストが忘れられない。
僕はたしか5冊ほどの書籍の装丁をお願いしたと思う。
事務所は南麻布の有栖川宮記念公園沿いの道を少し左に入った閑静な住宅地の中にあった。
二階建ての木造の一軒家。戦前に建てられたものがそのまま残されていたらしい。かなり手も入れたのだろう。どう見ても軽井沢あたりにある小振りな別荘のような建物だった。
アポを取って打ち合わせにうかがう。坂川さんはあの人懐こい笑顔を浮かべ、巨体を揺らして二階の打ち合わせルームに案内してくれる。
そこには十畳ほどのスペースに八人くらいが座ることができるテーブルが置かれていた。壁には坂川さんが選んだ写真家たちの作品が額装されて飾られている。窓際の棚に保管されているのは日本中から送られてきたイラストレーターたちの作品。そして室内にはいつも、ミッシャ・マイスキーが奏でるバッハの「無伴奏チェロ組曲」が静かに流れていた。
「坂川さん、どうしていつもバッハなんですか?」
ある日、打合せの最中にそう聞いたことがある。
「う~ん、なんですかね。バッハのこの曲を聞くと、場のテンションを上げてくれるような気がするんですよ。より創造的になるっていうか。目指すところに早く行けるっていうか」
坂川さんはそう言って、ふむふむと笑った。
坂川さんの装丁の作り方は独特だった。
当時、原稿は必ず自分で読むという装丁家もいたが、坂川さんはそんなことはしない。編集者の話にじっと耳を傾け、どんなイメージにしたいのかを探る。一週間後、再び打ち合わせに訪れると、表紙候補のイラストレーターの作品がいくつかテーブルに並んでいる。その中から作者を決め、新たに書き下ろしてもらう場合もあるし、目の前の作品をそのまま使用することもある。
これで装丁は八割がた完成する。あとは文字のデザインや本文のレイアウトなど、細かいことを詰めていくだけだ。
坂川さんはこの事務所の近くに自分だけの隠れ家を借りていて、時間があるときはそこにこもって、昔の映画をずっと見ているんだと言っていた。その巨体を惜しげもなく曝しながら、BSの番組で温泉案内をやっていたこともある。自らの北海道時代のことを書いた『遠別少年』という素敵なエッセイ集も出ている。晩年は事務所を荒木町に移し、一階にギャラリーを開設していた。
おやじギャグが大好きな心優しきおじさん。それが坂川栄治さんだった。
三年ほど在籍した書籍編集部から雑誌編集部に異動になるとき、挨拶に行ったら、「せっかく慣れてきたところなのに、惜しいねえ」と残念がってくれた。新しい雑誌編集部で目黒通りの家具店を見て回るロケの取材をお願いしたらふたつ返事でオーケーしてくれ、ロケバスに乗って一日中大騒ぎしたこともあった。
これからバッハの「無伴奏チェロ組曲」を聞くたびに、僕はあの震えるような時間と空間を思い出すことだろう。
まさにこれからなにかが生まれだそうという幸福な予感に満ちたひととき。
それはいまの僕にもっとも足りないもののひとつだ。
そのことを思い出させてくれた坂川さん、ありがとうございます。ゆっくりお休みください。