ルノワールから始まった僕の「印象派」体験。
印象派と呼ばれる人たちの絵が好きだ。
大学の卒業論文は、印象派の父なるエドゥアール・マネとその長男ともいうべきクロード・モネを取り上げた。
マネが切り開いた現代的な視点、平面的なフォルムを光の魔術師モネがいかに発展させていったか。最初は「名前が似ているからいいか」くらいにしか思っていなかったのだが、調べるうちにこの両者の様々なスキャンダルに動じることなく、おのれの信念を突き通していくさまに深く引き込まれていった。
以来、マネの「草上の昼食」や「オランピア」、モネの「印象・日の出」などが東京にやってきたときは必ず見に行った。それらは僕に本物を見ることの大切さを教えてくれた。何よりもそのサイズ感、色調に驚かされた。「草上の昼食」の大きさ、「オランピア」のコントラストの鮮やかさは想像以上で、逆に「印象・日の出」はこの絵から印象派が始まったことが信じられないくらい、地味で小さなタブローだった。
印象派が好きなのは、たぶん、絵画との最初の出会いがそうだったからだ。
小学6年のとき、母親に連れられて博多の美術館に行った。数十年に一度の大規模な「ルノワール展」が開かれていたのだ。
オーギュスト・ルノワール。若いころは磁器の絵付け職人だった彼は、その制作の初期から可憐な女性像を数多く描いてきたことで知られている。
モンマルトルの舞踏場を描いた「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」や、8歳の伯爵令嬢の肖像画「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」は、題名は知らなくても絵を見れば誰もがああとうなずくような作品だ。でも、このときの展覧会はこの巨匠の大回顧展。晩年に量産した裸婦像、とくに丸々と太った裸の女 性が大群をなす「大水浴図」が所狭しと並べられ、僕は子どもながらに「こんなの、見ていいの?」と母親に質問したくらいだった。
「どうして女のひとの裸ばっかり描くんだろう」という次の質問に、母親は顔を引きつらせながら小さな声でこう答えた。
「それは美しいからよ。こういうの、健康美っていうの」
いまにして思えば母親も随分苦しかった。だってそこで展開されている構図は、どこから見てもエロティシズムの極致なんだから。
ちょうど同じころ、僕はやはり母親に連れられて、博多の文化会館でウィーン・フィルを聴いた。クラウディオ・アバドがモーツァルトの交響曲第40番とベートーヴェンのエロイカ・シンフォニーを振ったのだ。アンコールはヨハン・シュトラウスの「こうもり」序曲だった。だから僕のルノワール体験には、いつもこの3曲がBGMのように低く流れている。
晩年のルノワールはリウマチに苦しみ、動かなくなった右腕に絵筆を括り付けて制作した。彼の次男ジャン・ルノワールは高名な映画監督になり、「ピクニック」などの名作を後世に残した。子どもも芸術家なりえた稀有な例だ。
僕が最初に編集した本は『ルノワール その生涯と作品』という翻訳本だった。お金のない出版社だったからデザインも自分でやらされた。カバーの絵は「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」にした。どこかの画集から勝手にコピーして印刷所に回した。いま考えると恐ろしいことだ。どこからもクレームは来なかったけど。
もちろん、長い絵画の歴史の中で「印象派」は19世紀末に起こったひとつの流れにすぎない。でもその新しいビジョンのとらえ方はピカソやマティスという現代アートの巨匠たちに大きな影響を与えた。
「印象派」を中心として、その前と後というくくりで絵画の歴史を眺めるのも面白いかもしれない。
幸いなことにまだパリに行ったことのない僕には、ルーブル美術館やオルセー美術館を回るという人生最大の楽しみが残されている。
もしパリ旅行が実現したら、モネの「睡蓮」が360度展開されているオランジェリー美術館もぜひ見ておきたいと思う。感激するだろうな、絶対。
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