北国の年の瀬に思うこと。
札幌はすっかり雪景色の中だ。
日中、穏やかに日が差していても、日が暮れた途端、粉雪が舞ってくる。そのまま夜を徹して雪は降り続け、翌朝、新しい雪の層にまばゆい朝焼けの光が照り映える。
なんとなく感じていた雪への恐れもずいぶん隅に追いやられた。変に暖かくなって道路がぬかるむより、いっそ氷点下のまま新しい雪を踏みしめたい。見栄でもなんでもなく、自然にそんなふうに思えるようになった。
一年前は函館にふたりで行った。大晦日に帰ってきて、正月はふたりで過ごした。今年は昨日まで支笏湖でくつろぎ、今日からしばらくは家にいる。三が日は近くの琴似神社にお参りに行く以外、とくに何も予定していない。こころとからだをゆっくりと冬仕様になじませようと思っている。
24日の午後に、札幌交響楽団のクリスマス・コンサートを楽しんだ。三ツ橋敬子の指揮と伊藤晴のソプラノ、城宏憲のテノールで、プッチーニのマノン・レスコーとラ・ボエームの名場面集。歌の力というより、フルオーケストラが織りなすプッチーニの和声の絶妙なニュアンスにまいってしまった。
25日は北海きたえーるでミーシャのコンサート。ここは完全にミーシャの歌のうまさに打ちのめされた。何度もシャウトを繰り返しても音程は完ぺきにコントロールされ、歌に乗せる思いは時間を追うごとに雪のように降り積もっていく。この状態が2時間続くのだ。ほとんど奇跡に近い。「スマイル」という曲が作った会場の一体感は、まさに音楽の神髄だった。彼女は「ミーシャは祈りの人だ」と言った。僕は「日本の宝」だと言いたい。今年いちばんのエンターテインメントだった。
来年はどんな年になるのだろう。僕にとって大切な本が少なくとも4冊は出る。5月のパリ行きが仕事につながるかどうかは不透明だが、きっと忘れられないものになるだろう。チセムジカにも大きな進展が待っている。いろんなことが変わるとしたら、来年はその土台作りの一年になる。
なにがあっても、明日をあきらめない人でいたい。これがいまの僕の、ささやかな望みだ。