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高校2年の「予餞会」で舞台の素晴らしさを知った。
僕が舞台の裏方さんに興味を持ったのは、いつからだろう。
たぶん、あのときだ。高校2年の「予餞会」(よせんかい)。卒業式の前に3年生を送り出す伝統の学校行事の中で、僕たち2年1組男子クラスは誰に命令されたわけでもなく、自分たちの意志で「寸劇」を上演することにしたのだ。
年が明けてすぐのことだった。
いつものように自転車で学校に行った僕は、教室に入る前にクラスメイトのMに呼び止められた。
「バクチャン、今度さあ、予餞会で恋愛劇やろうと思ってるんだけど……」
「知ってる。Mが脚本と監督やるんだよね。もう配役は決まった?」
「それなんだけど、バクチャンにさあ、女役、やってもらいたいんだよね」
唖然とした。でも男子クラスの僕らが芝居をやる以上、誰かが女役をやらなければいけない。なんとなく予感はあった。なぜなら前年の文化祭で、僕は女装をして西城秀樹の物まねをやっていたからだ。おそらくそれをMは見ていたにちがいない。
「別にいいけど……、相手役は誰?」
Mはニカッと笑って自分の胸を指差した。
「俺が自分でやる。バクチャン、最高の濡れ場、演じようぜ!」
そこまで言われて引き下がるわけにはいかないじゃないか。
そもそも、なぜ「予餞会」なるものにあんなに夢中になったのか、いまとなってはよくわからない。
それがあの高校の伝統というものなのだろう。すべてが生徒の自主性に任されていたとはいえ、結構な数の出し物があった。個人・団体、どんな形でもOK。僕らはクラスで参加したが、テニス部の同僚は果敢に漫才に挑戦したりしていた。
さて、わが2年1組の場合である。
全部で10クラスある2年の中で、男子クラスは4クラス、あとは男女クラスだ。秋には修学旅行もあって、男女クラスに対する羨望はほとんど憎しみと化した。でもその分、クラスの団結度は高まっていたと思う。バレー部のセッターだったMは最初は目立たない存在だったが、修学旅行で女湯に潜入して名を挙げ、このころは独特の才能を発揮してクラスのイニシアティブを取っていた。
Mを中心にいろんな企画が出た。最終的に残ったのは3つ。Kによるチャップリンの物まね、バックコーラスを従えたHの「宇宙戦艦ヤマト」、そしてMと僕の恋愛劇だ。
確か本番まで1か月もなかったように記憶している。配役が決まったあと、すぐにMは台本を書いてきた。「金色夜叉」みたいなストーリーで、冒頭で僕はMに容赦なく捨てられるのだ。
セリフを覚え、放課後に立ち稽古をし、照明や選曲のメンバーと何度も打ち合わせをした。なんとか形になってきたかなと思っていたころ、問題が発生した。
衣装だ。Mは冒頭のシーンで僕にセーラー服を着せたがった。でも兄しかいない僕の家にそんなものはない。「誰かに借りるしかないか」「借りるって言ったって、俺、結構身長あるよ(その時点で170センチ)。そんな大女、いる?」「いる!」Mはほとんど絶叫した。「10組のOさん。彼女に頼むしかない!」
初めて言葉を交わす男子クラスの二人組の無謀な願いを、Oさんは快く引き受けてくれた。彼女は中学浪人をしていて、僕たちよりひとつ年上だった。きっとお姉さん気質が背中を押してくれたのだろう。本番の日にセーラー服一式を貸してくれることになり(彼女は一着しか持っていなくて、その場で着ていたものを脱いで貸してくれるという夢のような申し出だった)、僕らは恭しく頭を下げた。
当日はよく晴れた、すごく寒い日だった。
会場は八幡市民会館。プロのミュージシャンがコンサートを開く地元では有名なホールだ。
さすがに緊張していたので、当日の細かいことはあまり覚えていない。ただ、みんなが自分の持ち場で一生懸命動いていたこと、それを担任のY先生がニコニコしながら黙って見守っていたことだけは鮮明に覚えている。
いくつかの出し物が続き、会場が十分に温まったころ、僕らの出番がやってきた。
最初にKのチャップリン、受けてる。Hの「宇宙戦艦ヤマト」も堂々とした歌唱だ。ただここで僕らはひとつの小さなミスを犯した。「宇宙戦艦ヤマト」の最後に景気づけでばらまいた小麦粉の処理をちゃんとしていなかったのだ。
一度幕が降ろされ、僕とMがステージ中央に進んだ。幕が上がり、スポットライトがふたりを照らす。緊張で足が震えていたMが僕を盛大に張り倒す。僕はステージ上にスカートをなびかせて転がった。その下に大量の小麦粉が放置されていることも知らずに。
セーラー服は小麦粉だらけになってしまった。
大喝采の中、幕が下りてステージ上で記念撮影を終えると、僕はセーラー服を抱えて八幡駅までの長い下り坂を駆け下りた。
下手の袖口で、Oさんは顔を曇らせた。「明日、着ていくものがない」とジャージ姿のままうつむいてしまったのだ。こうなったら僕がすることはもうひとつしかない。
駅前でクリーニング店を見つける。中に駆け込み、「どうしても夕方までに仕上げてほしい」と頼み込んだ。
店長さんの約束をなんとか取り付け、会場に戻ってみると、すでに予餞会は終わっていた。
僕はMやOさんたちと時間をつぶし、めでたく日が暮れるころにきれいになったセーラー服をOさんの手に渡したのである。
芝居の出来はともかく、このときの舞台の裏方の風景が僕の心にずっと残っていた。
大学を卒業して編集者になったのも、その編集者を辞めてホールの貸館担当になったのも、表も裏も全員でひとつの舞台を作るというこのときの体験があったからではないかといまでも思っている。
ちなみに、Oさんにはこの年のヴァレンタイン・デーでチョコレートをいただいた。彼女はのちに国際線のキャビンアテンダントになり、いまは幸せな結婚生活を送っている。