ポスト・クラシカルしか聴けなくなった僕の罪。
詳しいことは書けないけれど、僕は自分のせいで彼女を深く傷つけてしまった。
すべては肝心なところで激しくブレてしまった僕の優柔不断さのせいだ。
誰に頼まれたわけじゃない。すべて自分で始めて、自分で決めて、計画通り進めてきたことだった。
なのに実行できなかったのは、ひとえに僕の思慮と信念が足りなかったせいだ。
彼女はどれほど苦しんだことだろう。本当に、言葉もない。
しかし彼女は、もう一度だけチャンスをくれた。
今度こそ僕は自分の足元を見つめ、正しい一歩を踏み出そうと思う。
もちろん、この先だっていろんなことがあるだろう。いまはそれらを分析することができる。でももう僕は投げ出したりしない。どんなに苦しく、どんなに寂しくとも、自分の人生にけじめをつけ、前を向いて歩き続ける覚悟がいまの僕にはある。
この数週間、なにかにすがるように、ヨハン・ヨハンソンとマックス・リヒターのポスト・クラシカルの音楽を聴いていた。
ヨハン・ヨハンソンの「オルフェ」は2016年に発表された彼の最後のソロ・アルバム。オルフェウス神話に基づいた構成で、ラジオのノイズのような人の話し声がときおり聞こえてくるのが実に幻想的だ。2018年に48歳の若さで急死したのが本当に惜しまれる。
現在も精力的に活動しているマックス・リヒターの曲では、「デパーチュア」(ラン・ランがピアノを弾いている)や「ノヴェンバー」を繰り返し聴いた。どの曲も優しいフレーズを無限に繰り返すミニマル・ミュージック。そのさざ波のような音楽がささくれ立つ心のひだを埋めてくれるような気がした。
もう言葉は不要だ。その段階はとおに終わった。
黄泉の国の出口で今度こそエウリディーチェの手を離さないように、僕は強靭なオルフェとなってしっかりと前を向いていなければならない。