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旭川で出会った、ふたりの詩人のこと。


以前の出版社では販売部にも在籍していた。書店まわり営業で、担当は北海道。年に二、三回、札幌と旭川を回っていた。

旭川の駅に降り立ち、眼前に広がる買物公園(日本初の歩行者天国)を見て、「思えば遠くに来たものだ」と感慨にふけっていたのを懐かしく思い出す。

その旭川を移住以来初めて訪れた。11月の初め、鮮やかなグリーンの特急ライラックに乗り込んだ。

旭川駅は見事に生まれ変わっていた。

北口は整備された広大な広場が出迎え、南口では忠別川を見下ろすベンチと庭園が広がる。買物公園は道幅が広く、旭川名物のサックスを吹く人や大きな手のひらのオブジェが誇らしげに鎮座している。

その反面、昔はあったアーケードはどこにもないし、丸井今井や西武はすでにほかの建物に代わっている。

なにより、僕が営業で訪れていた富貴堂はもう存在していない。

唯一残されている「こども富貴堂」を訪ねてみた。買物公園のほぼ突き当り。小さな店舗にはラインナップを見ただけでここが選りすぐりの子ども専門店だとわかる絵本がひしめいている。女性スタッフたちは、なにかのイベントのあとだったのか、みな忙しそうに立ち回っていた。

僕はそのひとたちの顔をそっと盗み見る。もしかしたら「彼」のことを知っているかもしれないと思って。

でも話しかける勇気はない。黙ってドアを開け、外から写真を何枚か撮った。

 
彼の名前は中村といった。旭川富貴堂の文芸担当者だった。

何度かお店に顔を出すうちに、ふとしたはずみで自分が詩のようなものを書いていると言ってしまった。

「そうなんですか」彼は意外そうに僕の顔を見た。「いいですね。今度読ませてくださいよ」
「そんな、お見せするようなものじゃないです」
「どうしてですか」彼は不思議そうに首をひねった。「だって、どんなものであれ、詩であることに変わりないじゃないですか」

彼もまた詩を書き、同居人とともに小さな冊子を出していることをそのとき知った。


あれは秋だったか、次に出張したとき、誘われるままに彼と彼の同居人の女性と飲みに行った。

たしかアーケードを歩き、二階に上がった居酒屋だったと思う。

同居人の女性は彼より少し年上の、とても聡明で個性的な詩人だった。

主に彼女がにぎやかに話題を振り、僕と彼はただただ笑っているだけだった。「あなたはほら、千と千尋に出てくる緑色した頭(かしら)によく似ているわよね」と言われ、みんなで大笑いしたのを覚えている。

販売部時代、書店さんといっしょに飲みに行くことはたまにあったが、このときほど心暖かくうれしい飲み会はなかった。

 
それからしばらくして、会社宛てに彼が編集した詩の小冊子が届くようになった。

それは毎月きちんと送られてきた。彼女が短い詩を、彼は最後のページに長い散文詩を書いていた。最初の頃はちゃんとお礼の手紙を出していた。でも長くは続かず、やがて僕が異動になり、旭川に行くこともなくなると、いつの頃からか小冊子も届かなくなった。
 

旭川の街を歩きながら、どこかでばったりすれ違わないものかと淡く思った。でももちろん、そんなことは起こりようがない。不義理をした自分が悪いのだ。

帰り道、駅の構内にピアノが置いてあるのを見つけた。その夜、テレビで放映された「街角ピアノ」が旭川だったのはまったくの偶然である。

さまざまな年代の人たちが楽しそうにピアノを弾いていた。「上を向いて歩こう」をジャズ風にアレンジして歌った女性の声に心を揺さぶられた。「音楽って本当に一瞬で心がつながるんです」。何度も聞き覚えがあるそんな彼女の言葉にひとり大きくうなずいた。

 
中村さん、そして素敵な同居人さん、お元気ですか。

もしまた巡り合えるのなら、あのときとは違うお酒をいっしょに味わいたいものです。

そしてまた、あなた方の詩の話を聞けたら、こんなにうれしいことはありません。

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