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三か月ぶりに練習再開。この合唱団について思うこと。
今日から約三か月ぶりに合唱の練習が再開する。
二月に本番が終わったあと、一度練習しただけでずっと休止を余儀なくされていた。いつも使用している施設が都の持ち物なので、午後八時以降は使用できなかったり、使用自体が認められなかったりしたのだ。
今日も午後八時には撤退しなければならない。実質の練習時間は一時間ほど。それでも集まろうということになった。少しでも前に進みたい。たぶん、そんな気持ちからだろう。
来年三月の演奏会のために、今日はヴィヴァルディの「グローリア」を練習する。シンプルで力強く、それ故に美しい曲だ。ヴェネツィアの夕暮れの街並みが浮かび上がるようなハーモニーを目指したい。たとえ届かなくてもそれに向かって邁進する。アマチュア合唱団の心意気である。
思えばこの合唱団に入ってそろそろ四年の月日が流れようとしている。最初の年に「メサイア」を歌い、モーツァルトの「レクイエム」、「ヨハネ受難曲」と続いてきた。
団長の女性とは前の合唱団で知り合った。ベルリンで第九を歌ったことのある、七十人ほどの指揮者付きの合唱団だった。
彼女とはそれほど親しくなかった。というか僕自身が微妙に距離を取ってその合唱団と付き合っていた。毎回練習が終わると指揮者を中心に飲みに行く。そんなスタイルが少し鬱陶しかったのだ。
あの年の夏の終わり、やはり第九の練習会場で僕は彼女に声をかけられた。「実は新しい合唱団を作ろうとしているんだけど、よかったら練習を見に来ない?」と。
僕はちょうど横浜の公共ホールを辞めるところだった。それなりの喪失感を抱えていた。だからかもしれない。「誰にも声をかけてるわけじゃないの」と彼女は小声で付け加えた。僕は単純に誘ってくれたことがうれしくて、「じゃ来週、顔を出すよ」と答えた。
指定されたティアラこうとうの練習室に行ってみると、そこには十人ほどの見慣れた顔が並んでいた。要するに彼女は元の合唱団から自分と気が合うと思われる何人かをピックアップしたのだ。
元の合唱団の指揮者と些細なことからもめて、心底うんざりしてしまったとあとで聞かされた。でも歌うことは諦めたくない。だったら自分で始めるしかない。そう決心した彼女は同じような思いの同志を集め、一から手探りで始めたのだ。
この合唱団には入団条件がある。歌うことが好きなこと、お酒が飲めること、そしてどんな猥談にも耐えられること。
新しい指導者は宗教音楽が専門の実に温厚なテノール歌手なのだが、彼はなによりもお酒を飲むことが好きで、そこでは必ず「猥談」が主流になった。そのネタの数は無限で、それはもう、あっぱれなほどだ。
練習が終わったあとの中華料理屋で生ビールやワインを飲みながら次々に浴びせられるきわどい話の数々。男も女もそれにつられて話す話す。僕も相当やらかした。「前の合唱団ではそんな感じじゃなかったよね。隠してたんでしょ」とずいぶんからかわれたものだ。
きっと気のいい仲間だからこそこんな話で盛り上がれるんだと思う。それに猥談こそ万国共通のコミュニケーション・ツール。ドイツに留学していた先生はそのことをよく知っていたのだ。悪乗りこそしなければ、誰かの悪口で盛り上がるよりよっぽどお行儀がいい。
昨年から飲み会はご法度になってしまったのは残念で仕方がない。でも練習で四つの声部が少しでもきれいに交じり合うとき、僕はこの合唱団に救われたんだなとしみじみ思う。
音楽に対する情熱を少しでも維持できたのはこの合唱団があったからだ。そのことはたぶん、これからも続いていくんだと思う。
さて、この合唱団におけるいまの僕の役割は、委員会のメンバーとして運営に参加すること、発表会のポスターとプログラムを製作すること、そして発声の前に前に出て準備体操の音頭を取ること。
この準備体操が嫌でしょうがない。誰か代わってくれないかな。