頑張るということ
最近乙武氏が義足を使って歩く訓練をしているのをよくツイッターなんかで目にする。
パラリンピックなんかで障害者が自身の障害を受け入れ、頑張っているのもよく見る。
それに引き換え俺は何をしているんだろう?と自問してさしまう。
障害を負ってから社会復帰、仕事復帰を目指していた頃は頑張ってリハビリをしていたのは確かだ。
リハビリを続けていくにつれ元に戻らないのを目の当たりにしてしまう。受傷直後医師から元には戻らないと言われその言葉に反発する為頑張ってきたのだが医師の言う通りの現状に頑張る理由が見つからなくなった。
私は技師、看護師として仕事をしてきて、その仕事に復帰できるように頑張ってきたのだが、動きの悪い脚、全く動こうとしない左手指、こんな状態で仕事復帰なんてできない、そう感じてしまうと頑張ろうと言う気持ちが萎んでいくのが自覚できてしまった。
今はヘルパーの支援と自身の工夫で一人で生活はできておりこれ以上をあまり望まなくなっている。今以上に歩けるようになっても今と同じくらい周りに迷惑をかけるのは目に見えているし今以上に何かが楽になるのが見えない。
左手に関しては特に指が全く動こうとしない為本来したいことが何もできていない。
ならば今のままで取り敢えず不満はないからその先に、とは思えなくなっている。
何にしろ何かがしたいから頑張るのだが私の場合は高望みが過ぎているのだろう。
長年積み重ねてきた経験を活かした活動、元の仕事への復帰というのは厳しいんだろう。これに関してもできるようなってよかったね、ではなく元の技術まで戻らなければ意味がないと思ってなんとかしようとしていた。そしてそれが無理だと納得してしまったらもういいやなんて感じがしてしまった。
家族なんかがいれば違ったのかもしれない。ならば家族のために頑張ろうなんて思えたのだろう。しかし独り身では自分のために、ということでしかモチベーションを保てなくそれは容易に崩れ去る。
障害を負って独り身であることにある意味安堵したものだ。なぜなら迷惑をかける身内がいないからだ。
だけど一人で頑張るのは辛いものだ、と今更ながら感じている。