記憶
昨日は3/11東日本大震災のあった日だ。
この時期は既に東京、区内で仕事をしていた。
とあるクリニックで臨床工学技士として透析業務に従事していた。
その時は午後の透析を始めていた。
大きい揺れが来て地震だと理解して直ぐに患者の安全を確認して技士としてコンソールの状態を確認した。
以前、阪神神戸大震災の状態を聞いていたのでコンソールが極端に動いていないかが気になり部屋の確認をした。
機械は問題なく動いていたので透析はそのまま続行した。
そうこうしていたら院長が駆け付けたので今後の動きを話し合った。
現在は機械としては異常が無いから透析を続けるのは問題ないと伝えるとそのまま処置を続けるよう指示があった。
取り敢えず後の予定は決まったからそれをスタッフ、患者に伝える。
患者からは不安の声はあったが今辞めてしまうデメリットを伝え続行することに了承を得た。
その後は情報収集を兼ねていくつかある関連クリニックに連絡を入れた。
とあるクリニックでは停電で続行不可との話があった。幸いか断水までは聞かなかった。大変なことになっている所が多いみたいだった。
患者さんが見ているテレビを見て東京全体が凄いことになっているのをみた。
まだ、東北の状況は知らなかった。
クリニックでは落ち着いて最後まで透析をする事ができた。
その後大変だったのがエレベーターが止まり歩けない患者さんを負ぶって一階までなんとかおろしたが、送迎車で家まで送るのも大変だった。
道路がダダ込みで時間がすごいかかった。
終わるまでクリニックに居て今後のことを院長、スタッフと、話し合った。
取り敢えず電気のことが気になるのでそれの確認、電気があるなら普段通り透析を施行する、とした。スタッフには無理してくることはない、と、念を押しておいた。
送迎が無事終わったのを確認してその日は終わった。
私と事務の一人はクリニックに泊まった。明日無事に来れるかわからなかったからだ。
関連クリニックにも連絡を入れて情報交換を行なった。
クリニック内はそんなに混乱することがなく取り敢えずは眠った。
次の日とある患者さんから電話があり今なんとか家の近くまで来れたのだがどうしよう?とのことだったので来れるなら直ぐクリニックにくる様に伝え少し渋ったみたいだったが今日は透析日なこと、来たら自分のベッドで寝てて良いからと言って直ぐ来てもらう様に言ったら了承してくれた。
透析というのは1日くらいならというのもあるがその後が読めなかったので飛ばすという選択肢は選ばなかった。
当クリニックではさしたる混乱もなく地震後は過ごすことができたが、関連クリニックでは計画停電の範囲内になったから当クリニックで受け入れて実施をした。この辺は都内に幾つがクリニックを持っている強みでもあった。
刻々と入ってくる情報に恐々としていた。
そして思いがけないことがあった。
東電の原発事故だ。
その時は大変だななどとある意味悠長に見ていたが放射性物質が都内の飲料水に検出された、との情報が入ってからはそれに対する対応に追われた。
うちの使っている水源、浄水場はどうなっているか、もし混じっていたらROでなんとかなるのかなどと水道局やらメーカーに問い合わせて事後対応を迫られた。
最終、問題はなかったのだが経験したことない、無論勉強したことないことが続いたのでバタつき焦っていたのを思い出す。
自然災害は生活している限り避けることができない、ならばキチンと対策をせねばならない。
クリニックでも対応方法を改めて話し合った。
幸いなことにこの震災でうちでは人的にも被害がなかったから落ち着いて動くことができたが、東北の様になったらと思うと居ても立っても居られない。
こんなふうにだけどその時を思い出して気持ちを新たにしたい。
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