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ツイツー遺書
わたしがTwitter2を知ったのはちょうど今から2ヶ月ほど前でした。
Internet Overdoseがリリースされたのをきっかけに、aiobahnさん経由で知ったのだと記憶しています。
Twitter2に参加してからすぐにわたしはその空気感に居心地の良さを感じ、メインチャンネル、人生、ひとり言、かべを主に行き来していました。
しかし、だんだんとメインチャンネルで常連さんとなっている方々がわいわいとしている空気に乗れているのか、空気を読めているのかという不安感をじわりじわりと感じるようになってきました。
それでもツイツーをやめられなかったのは、みなさんが面白く、好きだったからです。
しかし、ツイツーでスペースが流行りだしてからその不安という自意識は確実なものになりました。
人とコミュニケーションを図ろうとスピーカーとして参加するのですが、わたしがいたところで空気を明るくすることが出来ませんでした。
さらに、わたしにとってある決定的なことが起こりました。わたしの不用意な発言が、その場にいた方を不快にさせてしまった恐れがあるシーンがありました。
それに気づいた瞬間、わたしはこのコミュニティから離脱しようと決めました。
きっとツイツーでわたしは目立ったユーザーではなかったでしょう。現実のところ、わたし一人が抜けたところで気づかない人がほとんどでしょう。
それでも、わたしは尊大な自意識と罪悪感によってツイツーから離れることにしました。
さようなら、だれも社会や政治の話をせず、毎日みんなでアニメを観たりゲームをしたりして1日がおわるマジで楽しいSNS。