鬱病虚無日記(随時修正)

2023年12月11日

心療内科に通院を始める。

12月25日

今の自分の状態が典型的なパニック障害(発作)そのものなんだなと(今さら)知った。自分の場合、糖尿病の低血糖や脱水症状とパニック発作の症状がかなりよく似ているために、自覚が遅れてしまった。二週間前から心療内科で薬はもらっている。ちなみにセルフ認知行動療法というのがあるという。

https://www.nhk.or.jp/kenko/atc_978.html

12月25日

今まさに「発作への恐怖や不安で行動範囲が狭まっていく」状況の中にある。自分の状態が典型的なものであると知る。先週金曜に仕事で電車で都心に出た時のパニック発作が結構重かったのだった。溝の口→神保町の区間でニ度、電車から降りてしまった。

《パニック発作は繰り返し起こる特徴があり、発作を繰り返していると、"また発作が起きてしまったら"と不安感に襲われるようになります(予期不安)。予期不安が強くなると、発作を予感させる状況や場所そのものが恐怖となり、それを避けるようになります(回避行動)。

例えば、電車に乗っているときにパニック発作を何度か経験すると、"電車に乗ったら、また発作が起こるかもしれない"と考え、電車に乗ろうとしなくなるなど、日常生活に支障を来すようになります。

回避行動が進むと、パニック症のおよそ3分の1に「広場恐怖症」が起こるという調査もあります。広場恐怖症とは、パニック発作が起こっても逃げられない、助けを求められない場所に身を置くことに恐怖を感じることです。飛行機、新幹線、特急列車、高速バスなどの交通機関の中や、エレベーターの中など、見知らぬ人に囲まれる場所が対象になりやすいです。》

12月25日

パニックから意識を逸らすための技法――「大丈夫!」「死なないから!」と自分に言い聞かせるのも逆効果であるらしい。悟りとか、マインドフルネスとかの領域に近いような気もする。

《パニック発作が起きたら、心臓がすごくドキドキします。自分が死ぬんじゃないかと思い、思わず胸に手をあててしまうと思いますし、知らないうちに心臓の鼓動やドキドキに強く気を集中させてしまいがちになってしまします。このような「死なないよね」「ドキドキしていた」「苦しくなったらどうしよう」と確認する行動は、不安に対する無意識の「確認行為」かもしれませんが、パニック障害の場合にはその意識が強く働きすぎて、自分で自分の不安や緊張を高ぶらせすぎてしまう傾向もあるとされています。

つまり、ドキドキしていることを確認すると、余計に心臓のドキドキ感が強くなって不安が止まらなくなってしまうのです。

意識の向け先を作らなければいけません。意識の向け方としては、「声を出さずに頭の中で好きな歌を歌う」「時計の秒針をみて数を数えながら呼吸のペースを一定にする」「指を折って順番に数字を数えてみる」「頭の中で、計算をひたすらする」など…》

2024年1月12日

今の自分は、自律神経失調症→慢性的過呼吸→パニック発作→広場恐怖症、という感じなのだろうか。こんなに苦しくつらいものとは知らなかった。同症状の他人の苦しみに想像力がおよんでなかった。

一月になって、在宅でも過呼吸発作が出るようになってしまった。対策として腹式呼吸の練習をしている。危ないと感じたら、腹式呼吸(難しければ1吸って2吐くだけでも)で発作を軽減する。試行錯誤中。

しかし日常語の「パニック」や「不安」と、パニック発作の時の〈パニック〉や〈不安〉とは、似て非なる何かという感じがする。日常語によって誤解されている面があるのかもしれない。しかしあの感じをうまく言語化できない。

1月13日

それにしても鬱病の神経衰弱で、わずかな間にすっかり生活が一変してしまった。昨年9月10日に脱水で倒れて一段階ラインを越え、その後の電車内パニック障害でもう一段階越え、年が明けて夜の自宅内パニック発作を経験してさらにもう一段階ラインを越えた。

それ以前までは、家族で釣りに行ったり、低山登山や野鳥探索に行ったり、近隣をポケモン探索に行けたりしていたのに。無駄な時間も素晴らしい、とか言いながら。今はまともな外出ばかりか近隣で外食するのも難しい。これだけ心身が衰弱すると、それらが遠い日のように感じられる。この間ほんの数ヶ月のことなのに。それ以前が幸福で退屈な恩寵の時間帯に思える。毎日を何とか生き延びるだけで、すっかり力を使い果たしてしまう。鬱病とは恐ろしい病気だ。

1月13日

どうすれば回復するのか、これという養生の方法がなく(薬の効き目がいまいちわからない)、それもまた不安を強める。頼みの綱がない。確実に無意味ではない行為・行動とは何だろう。腹式呼吸の練習。そしてとにかく小まめに歩こう、歩き続けよう。ウォーキングは糖尿病にも鬱病にも効果的なはず。日光でセロトニンが増えるらしい。ウォーキングにセルフ認知行動療法を混ぜながら。

2年前からの糖尿病の療養では、とにかくウォーキングを大切にし、坂道や階段を織り交ぜながら7000〜1万歩を歩き続けることを日課にしていた。身体にも心にも間違いなく効き目があった。頼みの綱だった。

しかし鬱病で心身が衰弱してからは、4000~5000歩くらい歩くと心臓がバクバクしたりめまいが襲ってきたりするようになった。頼みの綱が奪われ、非常に参っている。なので小刻みに、小まめに、3000〜4000歩くらいを数回に分けて歩くようにしている。大丈夫そうな時は坂道や階段をなるべく織り交ぜていく。焦らずに、少しずつ心身の具合が上向きになっていけばいいなあ、と祈りながら。

1月13日

『不安神経症・パニック障害が昨日より少し良くなる本』によると、

《不安神経症からの回復には、回復したい、回復すればこうなる、という考えを捨て去ることが必要なのだということです。回復したいと考えれば考えるほど、不安は強まります。要するに、私たちはまっすぐ前を向いて、将来のことを考えるのでも過去のことを振り返るのでもなく、今この瞬間を生きなくてはならないのです。不安神経症について考えなくなればなるほど、不安神経症が私たちに与える影響は小さくなります。ただし、それを自分に強要してはいけません。回復したいと考えてはいけない、と自分に強いれば、その考えは消えません。回復、という枠の外で考えれば、回復は自然に訪れます。》

 自分が当事者になる前はこうした考え方は(ネガティブな意味で)スピリチュアルな感じがしたけど、今はこういう考えはじつは実践的=プラグマティックなんだよなと感じる。悟り/マインドフルネス的なメンタルにもっていくこと。いつかきっと治る、と考えてもいけないし、一生治らない、考えてもいけない。しかしやはり難しいことだ…。

1月19日

10日前の1月9日の夜中に自宅で重いパニック発作があった。また5日前の1月14日日曜の夜に重い脱水(おそらく)を経験し、さらに翌日月曜の夜も短めの似たような症状が出た。

それ以来、急性期というのか不安障害/パニック障害が一気に悪化してしまった。日常的にできないことが増えた。ここ10日ほどは本当に地獄というか、あまりにつらく、最悪に苦しい。これがどん底なのかもわからない。

いくつかの本で不安障害/パニック障害について調べたりもしたので、少し落ち着いたら言葉にしてまとめてみようとは思う。こんなに想像以上に苦しいものとは全く知らなかった。せめて今の状態を抜け出したい。いくつかの仕事のイベントも中止とさせて頂いた。申し訳ない。

1月30日

 また10日ほど過ぎた。今月のことを少し振り返ってみる。今月1月9日くらいから自宅でも過呼吸・パニック発作を経験するようになり、また冬のひどい脱水症状もあって、それ以降はパニック障害・不安障害がかなり深刻化した。本当に苦しい日が続いた。

これを急性期、と言うのだろうか。つねに不安と体調不良に襲われていた。近隣に買い物に行ったり、食事や風呂さえままならなかった。睡眠も不安定になった。精神安定の頼みの綱のウォーキングも、神経衰弱で難しくなってしまった。歩く体力すら手元になかった。複式呼吸法やセルフ認知行動療法も試してみたが、効果はよくわからなかった(しかし長期的に見ると、多少の効果はあったような気がする)。

 そして1月17日くらいからは、慢性的な強烈な頭痛に悩まされるようになった。本を読むどころか、スマホを見ることも、テレビを見ることも、歩くこともできないような頭痛。何もできない。ロキソニンを飲んだりもしたが効かない。不安と緊張のため体がガチガチに強張っており、緊張性の頭痛かも知れないと思い、肩甲骨のストレッチ、(半裸で)日光浴などを長時間繰り返した。冬の寒さもダイレクトに心身に堪えるようになった。

1月25日に心療内科で薬を変えてもらい、また長時間の肩甲骨ストレッチが奏功したのか、頭痛が次第に少しずつ緩和されてはきた。ここのところは、在宅での過呼吸・パニック発作も見られなくなった(油断は禁物だが)。お風呂に入れるようにもなった。食欲も少し戻ってきた(1月に入って食欲がなくて2㎏ほど痩せていた)。

相変わらず頭痛はあれど、多少であれば読書ができるようにもなってきた。昨日(29日)の糖尿病内科の定期通院では、諸々の数値も安定していた。ちなみに、国保の健康診断&大腸がん・肺がん検診の結果も出たのだが、再検査の必要などもナシとのことだった。よかった。ちょっと安心した。油断禁物とはいえ、ほんの少しずつ、諸々の事たちがよくなってきている、回復の方へ向かっている、と思いたい。

2月1日

無理せずちょっとずつ日常や仕事に戻れたらいいのにな……と思い、昨日、近所の古びた中華屋さんへラーメン(今時400円)を食べに行けた。次の目標は映画館へ行くこと。

2月3日

昨日の夜と今日はまた心身の調子が微妙。そんな簡単にはうまくいかないものだ。数ヶ月(それ以上?)かけて調子を整えていくしかない。焦ってはいけないと思いつつも焦ってしまう。

2月7日

日によって、少し良かったり、少し良くなかったり。気候の影響なんかもあるのだろうか(雪が降る前の午前に、久々に地元の温泉に行けたり。でもその翌日にまた軽い脱水になってしまったり…)。自分では自覚しづらいけれど、螺旋状にゆるゆると回復していっている…のならばよいのだけど…

2月7日

『うつヌケ』を読んでいて、やっぱり自分にはアファーメーション(肯定的自己暗示)が必要なのだろうと思う。同書の大槻ケンヂのエピソードは沁みた。自分と同じ不安障害/パニック障害だったんだな。森田療法か…。読んでみようかな…

2月9日

12月頭から通院と服薬がはじまり、1月の急性期の困難な時期を過ぎて、2月に入った辺りから次第に良い方向に向かっているのか、と思いきや――この数日の心身の調子は全体としてまた非常に微妙だった。特に朝、午前中の抑鬱がかなり重い。短い距離の散歩すらできなかった。そんなにうまくはいかないものだ。

2月10日

この十数年は物書きを仕事にしてきた。その限界が来て、ついに鬱病で完全に倒れた。いちど死んだ。ポンコツになってガタガタの身体が悲鳴を上げまくっている。もう無理だと助けを求めている。かわいそうに!そういうことなんだと思う。

この間、わかったのは、仕事(労働すること)と批評(書くこと)という両輪が必要だということだ、50代以降の10年のためには。生の根本的な虚無に耐えるためには。そしてそれを超える生の価値を新しい人たちに伝えていく(というか分かち合えるようになる)ためには。今の状態からもし回復できるようなら、そういうことを実践していきたいと思う。

2月10日

確認。お前のスキーマ(思考の根源的なフォーマット)とは、自分の仕事=天命についての虚無なのだろう。虚無。必死に本を書いても誰も読まず売れずすぐ消える、という虚無。それを必死に否認しようとしている。しかしその真理をネガティブにではなく能動的に諦め=明らめてよいのだ。そもそもそういうものであると。

しかしお前には誤解がある。お前の書いたものたちは完全に虚無に消えるわけではない。少なくとも歴史に登録される。ささやかな小さなものとして、であるにせよ。それは事実だと、それはお前も認めるだろう。ほとんどの書物はそのような命運をたどるのだ。そのことでそれが文化の腐葉土になるのだ。それでよいと信じてよいのだ。お前がたとえ神のごときものは信じずとも地球の文化の歴史を信じてよい。

お前はつまり他者を信じていない。愛せていない。それが根幹だ。しかしお前は未来の他者を信じてよい。いつか誰かがお前の言葉をささやかに読むだろう。未来の他者を信じて愛することが、この世界を愛することであり、お前がお前を愛することなのではないか。お前がお前を愛するとは「いつか誰かに読まれるかもしれないお前」を愛することなのだ。

お前の無知無能を自己否定しなくてよい。他者の才能と比較しなくてよい。お前の天命と他者の天命は違う、というだけである。お前はお前だけに書ける小さなものを書いてよい。書いたほうがよい。多くの人に売れる、多くの人に読まれることを目的とすることは間違いであり、誤りである、ということをもうお前はとっくにわかっているはずだ。

誰にも読まれないものを書くんだ、とお前はさんざん嘯いてきたが、それは嘘だった。わずかな誰かにいつか届くと信じてよいのだ。たとえ生前のお前がそれを知り得ないとしても。それが歴史の摂理なのだ。

だから、正確に言えば、虚無などないのだ。お前が怖れ、怯える虚無など、最初からありはしなかったのだ。虚無はない、しかし、これからも、虚無へのおそれは消えないだろう。お前は虚無を不安がり続けるだろう。全ては無駄だと。無意味だと。それがお前の不安の正体なのだろう。お前はお前がお前自身をついに愛せないことを不安がっているのだ。だがそれはお前が他者をほんとうの意味で信じず、愛していないからなのだ。だがお前はありのままのお前、在るが儘のお前を誤解しているだけなのではないか?

2月11日

1月半ばは主にパニック発作や不安障害や頭痛など、ぼろぼろの身体の悲鳴の苦しさだったが、2月は自分の仕事や将来の問題(虚無感)がメインの鬱という感じに変わってきた。それらは連続しているはずだが、若干フェーズが変わって、重い抑鬱感やブレインフォグが前面化してきた。

苦しみの質はともあれ、毎日の苦しさの分量はやはりかなり厳しい。この数日はその日一日を乗り切るのに精一杯。ウォーキングも、体力より気力の問題で、あまり長くは歩けないまま。足が止まってしまう。

意味や不安や虚無に翻弄される自分はひとまず捨て置いて(そのままにして)、眼の前の「作業」をこなそう、今すべきことをしよう、という森田療法っぽい考えは、僕の場合、書き物の仕事がまさに「作業」なのかもしれない。与えられた作業を淡々とこなそうということ。それになんの意味があるのか、なんてことをまだ考えてしまっている。意味のある仕事を選択せねば、という理想を先立たせてしまっている。しかしそれは自縄自縛なんだろう。「そのうえで 成功しても失敗しても その人生はまちがいではない」(大槻ケンヂ)。

2月12日

絶不調が続く。参った。いつか家族とまたドライブや旅行に行きたい。それを夢に見る。

2月13日

『うつヌケ』の田中圭一がもっとも影響を受けたという宮島賢也のうつ本。読んでみたら、自己啓発&親責任本で、ちょっと怪しいけど、田中さんが影響されたポイントは僕にもわかる。

鬱の症状は体が警告(サイン)を発しているのであり、自分の考え方や生き方、人間関係を根本的に変えるためのチャンスでもある。あえてそう考えたほうがよい。鬱は過労や自殺から自分を守っているとも言える。

僕の場合、もっとちゃんとした本を書かないと、まともな仕事をしないと、自分には生きる価値がない、という根源的な自己否定がある。そんなことはない、ということをどうすれば信じられるのか。それが課題。

たとえもうこのあと一冊の本も書かなくても、自分には生きる価値がない、生きる意味がない、なんてことはないんだよ!と思いたい。たとえば(立岩真也が述べたように)花鳥風月を楽しめるだけで良いじゃん。それだけの唯の自分を愛せればよいじゃん。何かを成した自分ではなく、あるがままのこの自分(存在そのもの)を自分で認めてあげられるようになりたい。セルフケアとは、条件付きでなしの、無条件の自己尊重のことだろう。そのうえで、もちろん、書けるならばまた書けばよいわけで…。

……と書いてみたものの、今日はお昼すぎまでは最悪の最悪の最悪のメンタルだった。家にいるとそれだけで鬱々が深まる。日常のなかで、仕事のできなさや人生の虚無につねに向き合わねばならないのだろう。つねにステータスが状態異常のようなものだ。

思い立って、車でドライブや公園散策などをした。そうすると少し気楽になる。たぶん、それらをしている最中は、日常からちょっと離れて、仕事や意味とは無関係な、あるがままの自分を楽しんで肯定できているからじゃないか。とはいえ、そもそも鬱の症状で身体が弱っているので、いつでもできることではないのだが…。せめて体力がもっと戻ったらいいのだけれど。(少しでも自己客観化していかないと本当の本当にやばいので、延々とこういうことを書く)

2月13日

意欲がない、集中力がない、早く目覚めてしまう、食欲がない、性欲が消える、というのは典型的な鬱の症状なんだな。

2月13日

宮島賢也の本で、ハッとしたのはーー今までやってきたことを、死んだつもりになって、休んでもいいときなのかもしれませんね(95頁)、死んだつもりになって、そこから離れてみてはいかがですか(98頁)、というところ。何気なく書いているのかもしれないが、死んだつもりになってーーという部分にハッとしたし、ゾッともした。そうか…。

2月14日

2月にぶち当たったのは、今の自分は人生の目標を完全にロストしているんだなということ。心身の限界が来て、ものを書くという目標から一度離れざるをえなかったので(一度死んだので)、人生の目標がない。何も無い。大学教員や介護労働者でもないので、ダイレクトにそれが来てしまった。虚無への直面。

今のところ、やりたいこと、やっていて楽しいことがほかに何も無い。何をやってもつまらない(ブレインフォグ=濁った寒天で文字が頭に入らない)。退屈であることを贅沢に感じられない。暇がただの圧倒的な虚無として迫ってくる。

逆に言えば、これまではマンガや映画やアニメの視聴すら、人生的に「意味」のある仕事に紐付けていたのだった。「意味という病」の自縄自縛。そこからどうやって別の道を見出すか。単純だけど、単純ゆえに、非常に難題である。大槻ケンヂが作業的にプラモデルや格闘技をやったというけど、まずはそういう何かが必要なのか。

これは割と多くの鬱病者たちが直面する問題なのではないか。やること(やれること)がないので、一日が異様に長すぎる!どうやりすごせばいいのかわからない!という苦しさ。

2月14日

自分にとっての鬱病の一つの根っこにあるのは(少なくともその一つは)、虚無的な自己嫌悪――自分の人生には何の意味もない、有りの儘の自分を自分で好きになれない――の問題であるというのは、間違いなさそうだ。自分を好きになれない。自分が嫌いで仕方ない。

自己嫌悪が体の姿勢とか呼吸とか頭痛とか、認知の歪みや癖とか、たえまない不安や自己否定などの身体症状に変換されてしまっている。それらが積もりに積もってガチガチの心身の負荷になり、泥の鎧のように己を塗り固めてしまっている。

長い間、ものを書き続けることでなんとかそれを誤魔化し、見ないふりをしてきた。しかしアラフィフにして、誤魔化しの限界がついに来た。一気に虚無という真理に直面させられた。それに対しては、認知や思考習慣、フレーム、生き方などを変えていかないと、もうどうにもならないようだ。

ごくごく単純化すると、そういうことなんだろう。もちろん単純化のしすぎだし、具体的にはどうすればよいのかは五里霧中の手探りだが…

2月14日

『うつヌケ』の田中圭一さんは、とにかく肯定的自己暗示(アファメーション)を大事にしている。他人に何気なくちょっと褒められたら何度も何度もそれを反芻するとか。生き延びるためにはもはや恥も外聞もない身なのだから、僕も何でも真似してみよう。

ところで、田中さんは、最も重要な影響を受けたという宮島賢也の本『自分でうつを治した精神科医の方法』からアファメーションを知ったのだけれど、宮島本のオカルト的で成功哲学的なところをうまく躱している。そこは採り入れていない。親の育て方の問題、という話も採り入れていない。薬はいらない、という極端な選択もスルーしている。食事療法/断食法のこととかも。あくまで肯定的自己暗示の技法だけにフォーカスしてるんだよな。

基本的な心構えとしては、科学に基づく投薬も必要だし、プラグマティックな身体技法(腹式呼吸や猫背矯正)やセルフ認知行動療法も必要だし、実存的で自己啓発的でマインドフルネス的な話もどこかで必要だし、自助団体というかピアカウンセリング的なものも必要であって、あとは、個人(このわたし)にとってカスタマイズされた組み合わせのベストなあるいはベターなスタイルを試行錯誤していくことなんだろうな。

パニック障害になって最初に読んだのが、純粋に身体的なアプローチ(呼吸法や姿勢を重視)の小塚高文さんの『パニックくんと不安くん』で、それは結構バランス的に良かったのかなと思った。

2月14日

過呼吸〜パニック発作が起こるメカニズムとは、呼吸が浅く早い、おかしい、窒息死する!回避せねば!という脳(扁桃体)の〈誤作動〉が原因であり、そのための緊急回避行動として、心臓のバクバクや「死んでしまうのでは」というほどの強烈な不安が起こるものらしい。

そしてその経験が「またそうなるのでは」という予期不安となり、不安が不安を呼び寄せるという悪循環になり、パターン化してしまう。ちょっとしたことが不安のトリガーになりうるために、行動範囲ややれることが狭まっていく(広場恐怖症)。

パニック発作になると、言葉の上で大丈夫だからと言い聞かせても、脳の誤作動は解除されない、というのが厄介なポイントなのだろう。意識や意志でどうこうするのではなく、緊張した状態を身体的に解除してあげねばいけない。それがたとえば腹式呼吸だと。(かつては紙袋を口にあてて呼吸するというペーパーバッグ法がよく知られていたが、近年では危険もあり推奨されていないという…)

しかしこれは逆にいえば、生命の危機だと自分の脳が勘違いするほどに、誤作動を起こすほどに、身体が長い間疲れきって、たえまない緊張を強いられていた、ということなのだろう。

そう思うと、自分で自分の身体に申し訳ない。自分の身体が何だかかわいそうだ。そんなに助けてくれと悲鳴をあげていたのに、誰も聴いてくれていなかったとは。何だか泣きそうになった。

パニック障害になって、初めて、そういう(他者としての自分の身体への)労り=ケアの気持ちが湧いてきたのだった。セルフケアとは、他者としての自己の身体に対する配慮であり労りなのだろう、たぶん。

2月14日

小塚高文さんの『パニックくんと不安くん パニック障害・不安障害を自分で治す方法』によると、パニック障害と不安障害は、その根本は同じものである。体の過度の緊張がある。心に不安があって体が緊張するのではなく、体の慢性的な緊張が原因で、様々な不安を感じるようになるのだと。だから体にアプローチすることが大切になる。

体が緊張して呼吸が浅く、早くなり、心臓の動きも早くなって、精神的に不安定になり、様々な不安が生まれる。予期不安で不安を先回りして、段々何もできなくなる。すると、日常的に呼吸を深く、遅くするのがよい、ということになる。浅い呼吸の原因は普段の姿勢にある。具体的にいうと腹式呼吸(横隔膜が動く呼吸、丹田を意識した呼吸)が大切。腹式呼吸になるには、姿勢を整えるのが大切。要するに、猫背を治すこと!体の姿勢が楽になれば心も楽になるはず!。これ、結論だけみると笑ってしまうけれど、合理的で、理にかなっているのだよな(もちろんそれですべてよくなる、という意味ではない)。

小塚さんによると、禅宗の教えもじつは姿勢を整えることなんだと。座禅とは、体と呼吸が整えば心も整う、という考えのこと。「調身」「調息」「調心」の三調を整えるべしという考えがある。座禅とは、心の煩悩云々ではなく、姿勢がすべてで、だから姿勢が乱れると打たれる。なるほど。

2月15日

何を食べても美味しく感じられず、公園に行ってみても美しいと感じられず、テレビ(息子が好きなポッキーさんのゲーム中継動画とか)を見ても楽しいとも思えず、何の意欲もやる気もわいてこない。一日が苦しいだけでひたすらに長い。それは教科書どおりの状態ではある。

ということは、時が経てば、教科書どおりに回復していくものだと信じたいが、というかそのくらいの希望なしにはつらすぎるが、どうか。平均的には、ひとまずの回復期は4ヶ月〜6ヶ月頃で、元の状態に戻るのは1年くらいらしい(あくまで平均の値で、個人差があるし、再発や波も大きいと言われる)。12月頭に通院を始めたので2月末で3ヶ月になる。

2月17日

数日前(14日)の夜に、自分の今の人生が論理的必然的に「詰んでいる」とわかって、鬱の状態も一気にわるくなったように思う。正確に言えば、だいぶ前から自分の人生が「行き詰まり」にあるとわかっていたはずなのに、そこから目を逸らし続けていたことがわかった。

説明すると長い話になるが、よくある退屈でつまらない話でもある。しかしいずれにせよそういうことだったのかと自分の中で腑に落ちたのだった。そしてそれはシンプルゆえに、どうにもならないもの、今までの生き方では乗り越えがたいもので、正直途方に暮れてもいる。

どうしよう?

2月18日

鬱病の調子が全然よくならない、もうだめかもしれない…という気持ちばかりがつのっていく…きびしい…。

2月20日

とにかく、今は余計なことは考えずにゆっくり休んで心と体を回復するしかない、というシンプルな結論になる、のだけれど、心身を休めるのがひどく難しくてほぼ不可能であるのが、まさに鬱病の特徴なので(横になってぐっすり眠る、などができない)、どうしてよいかわからない。そういう悪循環があって、頭がおかしくなりそうな日々が続く。食欲も厳しくて、あっという間に体重が4キロ減ってしまった。体力の低下。ウォーキングができない。ただつらい。疲れ切っている。

2月20日

時間が薬、時間が薬…

2月21日

つらい。地獄。

2月22日

ここのところ、鬱病マンガを少し読んでいた。『ツレがうつになりまして。』シリーズ、『うつヌケ』、『マンガでわかる!うつの人が見ている世界』、『うつ病九段』、『今のわたしになるまで』、『わかりやすい鬱病の参考書』、『うつ逃げ』など。相原コージのは怖くてまだ読めない…。

鬱病になると活字がよめない、頭に入らないというのが典型的なのだが、鬱病関連のマンガや本なら読める人たちがいるらしい。僕もそうだった。小説などは全然頭に入らないが、鬱病関係の本だと何とか読める。ふしぎだ。鬱病だけではなく、他の精神疾患関連だと読める、という人もいるようで、ちょっと試してみたい。

鬱病マンガはバラエティも色々。エリート階級男性ものも、意識高い系女性ものも、自分探し系ものも、ちょっとスピリチュアル寄りのものもある。ただ、これらを読むと、やはり今の自分は「何もできない状態」と感じる。そもそも趣味や旅行や外出など、何もできない。いまのところ、『うつヌケ』がいちばん励ましになっている。

2月23日

長い間準備してきて集大成にすべきと考えていた大きな仕事が、残念ながら失敗作であり、使い物にならないゴミだった!虚無だった!とわかってしまった。その衝撃たるや。

しかし無意識のうちにそのことに気付いていたから、真実を回避し、否認して、固執して、鬱病を悪化させた、という面もあるんじゃないか。これを完全に破棄するか、嘘でも何とかするか。そういう瀬戸際の選択肢まで、やっと、進んできたわけだと思う。それに気付いて、こないだ号泣してしまったのも、そういうことだろう。無念だけど、事実は事実なので、仕方ないということか。

いや、しかしそれだけじゃない。それどころじゃない。もう、書くべき仕事がなくなってしまった。何もなくなってしまった。その衝撃たるや!それも多分だいぶ前に気付いていたんだろう…。空っぽの、虚無の、ゴミになってしまった!自分が!終わってしまった!

…というこうした極端な考え方こそが間違っている、とはわかっているのだけれど。しかし論理的にそれを認めることはできても、実践的にどうすればよいのかわからず、行き詰まり、出口が見えなくなった。それが現状。現在をまずは現状として受け容れねば。

2月24日

今日もつらい。苦しい。ほんとうにつらい。地獄としか言いようがない。一日布団の中にいる。しかし脳はオーバーヒートして眠れない。苦しみ悶えている。神的な何かに祈るしかない。どうか助けてくださいと。南無阿弥陀仏と。

3月3日

しばらく日記も書けなかった。2月半ばから、鬱病の薬が2段階で変わり、その薬が致命的に体に合わず、かなり深刻な状態になってしまっていた。強烈な希死念慮に苦しめられた。そのことを思い出すだけでもおそろしい。薬とはほんとうにおそろしいものだ。いつか冷静に振り返って記録できればいいのだけど。

0226月曜に薬をもとに戻して(同じ薬の内容を少し強めて)、少し落ち着いた。ただしひどく眠たいので閉口する。全体的に体調がよいとも言えない。このまま少しは落ち着いてくれたらいいのだけれど…。

3月6日

冷たく寒い雨で、迷ったけど、連れ合いと一緒に、バスと電車で二子玉川へ行き、ドラえもんの新作映画を観た。映画館に行けた、というだけで大きい。しかし鬱と薬のせいでずっと眠く、集中力はなく、体力も衰えていたので、ちゃんとは観れなかった。半睡状態。素直に楽しいという感じは得られず。それでもほんの一歩前進、なのかなと思いたい。連れ合いはその後買い物、僕は体力限界で先に帰宅する。

外出後、めちゃくちゃ体調が悪くなってしまった。帰宅後は布団の中から動けない。寒気がとまらない。

家族に申し訳ない、恥ずかしい、という気持ちが消えない。布団から動けないが、頭の中はオーバーヒートしていて、リラックスからは程遠い、動けないが休めない、というのが鬱病の典型的なパターン。

いつか、ふつうに外出したり、家族と旅行したり、友人と食事したりできますように。それを夢見て、日々に耐えていこう。たとえ今日は布団から起き上がれずとも。

情けない。恥ずかしい。また少し泣いてしまった。

特に春から中3になる息子に心配させてしまっていることや負担をかけてしまっていることがつらくてならない。

どんどん泣き言を言葉にすることを自分に許そうと思った。

3月7日

昨日の帰宅後から翌日まで、断続的に18時間くらい眠ってしまった。眠くて眠くて仕方ない。鬱病の急性期(1〜3ヶ月)から回復期(4〜6ヶ月)に移ると、異様に眠たくなるという話もあるわけだが……と、都合よく受け止めてみる。そんな都合よくはいかないか。気分や体調の激しい波があるのも回復期の特徴らしい。先ほどウォーキングをしてみたが、思ったより歩けず、4000歩ほどでふらふらになって戻ってきた。

あるページによると――

《「眠くて眠くて仕方がない」という状態も、うつ病の「回復期」における特徴的なポイントです。

人によっては10時間以上眠っても眠気が取れず、日中も過眠状態になったり寝込んだりしてしまうこともあります。回復期に入ったとはいえ、急性期のつらい症状によってエネルギーを消耗しきった状態だからです。

しかし、この「眠くて眠くて仕方がない」という時期をすぎると、心身の状態は一気に回復していく傾向にあります。眠いときは心と身体が回復する時期だと考えて、十分に睡眠をとりましょう。》

 ……「「眠くて眠くて仕方がない」という時期をすぎると、心身の状態は一気に回復していく傾向にあります」というのは、本当だろうか…。

回復期は、症状に波があるために、「本当に良くなっているのか?」と不安や焦りを感じることが多いらしい。直線的によくなるのではなく、一進一退を繰り返しながら改善に向けて進んでいくのが鬱病的な回復の特徴であるため(三寒四温ともいうらしい)、とにかく焦らないことが大切なのだと。もっとも今のこの自分が本当に回復期に入っているのかは、全くわからないが…ちょっと外出しただけで激しく寝込んでいるわけで……。

3月8日

明け方まで雪模様。天候や気圧のためか、朝、鬱重し。やはり「未来の行き詰まり=虚無」の観念に囚われると鬱が厳しい。なんとかなる、なんとかなる、と布団の中で肯定的自己暗示。気休めであれども。今日も食欲なし。

鬱病の恐ろしさは、何もできないため、一日の時間が恐ろしく長く、苦痛な暇と退屈から逃れられない、ということではないか。

何を食べても気持ち悪く、娯楽も楽しいと感じられず、眠りもそわそわして安眠はなく、やること(やれること)がなく一日がひたすら長く、苦しいだけで、何を希望にしているかと言うと、少しでも脳が休まってより良く心身が回復してくれることなんだよな…しかしなかなか…焦ってはいけないとはいえ、12月の治療開始から3ヶ月を過ぎて、さすがに疲れと無力感がつのり…いや、もう、とにかく焦ってはいけないのだけど…

鬱病の症状で、食欲がなく、どんどん痩せてしまい、こわい。2ヶ月で6kgは痩せた。なんとか無理にでも食べようとはしているものの、やはり吐き気がして、気持ち悪くなってしまう。なぜかカロリーメイト(固形)なら食べられるので、頻繁に食べている。

3月9日

体調悪い…なんかもうやんなっちゃったな…全然回復なんてしてないやこれ……。3月に入って(治療4ヶ月目に入って)、ずっと異常に眠たいのと、体がぐったりして何も動けないのと。

3月9日

ちょっとまだ生々しすぎ、トラウマ的に過ぎるのでうまく言語化できないが、2月半ば、薬が合わず、鬱が深刻化して、希死念慮に苦しめられたという例の件。思えば、危なかった。本当に怖かった。今思い出すのも怖い。恐ろしい。

その時、連れ合い、母親など、家族に対して、助けてほしいと涙ながらに泣き付いた。赤ちゃん返り、幼児化が出た。背中をさすってもらったり、頭を撫でてもらったり、手を握ってもらったりした。ある意味でそれはスキーマ療法的(?)な親子関係の再構築だったのかもしれない。

薬を変えて希死念慮はひとまず治まったけど、赤ちゃん返り、幼児化の問題はけっこう重要な問題として自分の中に残っている。赤ちゃんのように丸ごと全肯定されたい、という気持ちがアラフィフおじさんの自分の中にあったんだな、と。藤子・F・不二雄先生の作品にそういうのがあったけれど…。

3月10日

鬱病の薬を飲んでいるので、お酒ダメ、カフェイン含むコーヒー、紅茶、緑茶、ウーロン茶ダメ。何より厳しいのは車の運転が基本ダメなこと…

鬱病についてよく言われる、寒さで体が冷えると、顕著に心身の状態が悪くなるというのは、僕の場合も、かなりはっきりと当てはまりそうだ。寒い中外出したら18時間ずっと寝込んだし、雪模様の日は体調不良だった。体を冷やしてはいけない。

鬱病になると食欲がなく、美味しさの感覚が希薄になるのだけれど(それは多くの人が経験することなのだけれど)、最近食べ(られ)たものの中では、なぜか、お菓子のキャラメルコーンと、モスバーガーのポテトがすごく美味しい!と感じられた。油っぽい食事はできないのに、ポテトチップをちょっと口にしたらそれも美味しかった。不思議。妊娠中の人の味覚に似た部分があるのだろうか。

3月に入って、とにかく体が疲れていて、また眠たくて仕方がない。夕方買い物して料理、洗い物、などの作業すら難しくなくなってしまっている。明らかに身体の衰弱が深まっている。回復どころではない。困った。ウォーキングもあまり歩けない。どうすればいいんだろう?ここから急に回復があるとは思えない。体がある程度動かなければ何もできない。ゆっくり休めばそのうち回復して体力が戻る、ということは信じていいんだろうか。

3月11日

鬱病者の時間意識。過去はすべて無駄だった、取り返しがつかない、もう後の祭りである。未来に何らかの可能性が開かれるとは信じられない、ここが行き詰まりである。そして現在としての今は、時間の流れが遅くなり、絶え間ない苦痛が延々と引き伸ばされていく。一日が地獄のように長くなるが、一ヶ月は瞬く間に過ぎる――日々、具体的な「経験」は何も生じず、何も積み重ならないから。

坂口恭平の躁鬱本を読んで成る程と考えさせられた。

鬱病の人のある部分は、どう考えても自分の限界を超えた不可能なことを目標にしてしまっている。それができなければ人生が無意味で、生まれた甲斐がないと。他方で、そのほかにやりたいこと、やれることを何も見つけられない。それら他のことでは物足りないと感じているから。本当に素晴らしい人生を求め、それ以外では満たされないと感じ、そのために燃え尽きるのはやむないとじつは鬱になってさえも未だに信じ込んでしまっている。

問題は、こうした欲望とは、棄て去るべき「間違い」なのか、それでも突き詰めるべきものなのか、である。

ほとんどの鬱本は諦めよ、自らを労れ、等身大に変われ、と説く。しかし坂口はそうでない道を示す。

3月11日

『うつヌケ』によれば、鬱病の原因は、深層的な意味で、「自分で自分をキライになっていること」にある。自分の心が自分の体を嫌いになり、自分の体がそれに反抗する。体が「これ以上ムリするな」と警告を発する。脳がつねに誤作動し、自分で自分を否定し続ける。出口のない自己嫌悪。

意識や考え方を変えればいいとか、自己肯定感が大事とか、そういうレベルではない。どうにもならない脳や身体のレベルにおける自己嫌悪=誤作動なのだから。どんなに反省しても、反省が反省をぐるぐると呼ぶだけで、出口がない。

結局、生き方や働き方そのものをどこかで何かしら変えるしかないのだ(僕の場合、フリーライターの仕事の「先」にこれ以上の未来はない)。しかし、その「変える」というアクションが難しい。簡単に変えられるようなら、そもそも鬱病になってはいないだろうから。その難しさを受け止めたうえで、それでもやはり、「変える」しかない……ということらしい。

さて。どうしよう。本当にどうしよう…

今の自分は、あまりにも絶望的だから認めたくないけれど、アラフィフにして、完全に人生のデッドロックにはまってしまった。今は、日々の苦痛を何とかどうにかやり過ごしながら、回復期を迎えて心身がある程度動けるようになるのをひたすら待つしかない。そしてその先の段階で、どのように生き方、働き方を具体的に変えるかを模索するしかない。どうもそういうことらしい。(本当は「変えたくない」「このままで人生をまっとうしたい」にもかかわらず!)

結局のところ、認めざるを得ないのは、「大学の先生をやりながら批評を書く」「介護の仕事を続けながら物書きをする」「別の仕事をしながら書き続ける」という努力を避けてしまったこと、批評家一本で押し切ろうとしたこと、それが致命的な失敗だったということだろう。そのツケを鬱病として支払っている。単純化すればそういう話になる。

3月11日

薬や体調でまた変化するのだろうけれど、ここのところ、夕食後の薬を飲んでから寝る直前までの数時間の間に、平穏な、静謐な、安楽な時間帯が恩寵のように訪れる。スマホをいじったりマンガを読んだりするだけだが。一日の中で、ほぼ唯一の安息の時間帯。この安息が永遠に続けばいいのに。けれども眠って目覚めれば、苦痛ばかりの長い鬱病の一日がまたはじまる。

3月11日

鬱病になってみて、僕の病気に理解を示し支えてくれる優しい家族たちへの感謝が本当に身に沁みたという思いと(この病気にならなかったらそれを知らないままだったかもしれない)、だからこそ、自分の存在が家族の活動の負担や足手まといになってしまっていることへの口惜しさと。両方の思いがある。

3月12日

雨天荒天で散歩や買物などもできず、低気圧で体調も悪く、何もできず、時間が遅々と流れず、布団の中で悶々と身悶えし続けるしかない、という鬱病的に非常に過酷な一日でした。何の意味もない苦痛だけの一日。なんとか耐え抜いたというだけでヨシとさせて下さい。

3月14日

昨日(13日)は割と動けた日だったのだが、皆が言う通り、鬱はその日毎の体調ガチャであり、アンコントローラブルであり、今日は活動日和の好天なのに、朝から動けず、少し動いては布団に戻ってしまう。寝すぎて頭が痛いのに。外へ出て散歩もしてみたが、たったの1200歩ですぐに疲れて戻ってしまった。情けないと思っちゃいけない、と分かっていながら、情けないと思ってしまう。ああ、外はよい天気だ。

3月15日

結局昨日(14日)は最悪に苦しい一日だったが、その前日(13日)は、体調がよくてウォーキング7000歩+6000歩歩けて、食事も三食ちゃんと食べられて、久々に3時間ほど仕事のようなことができて、とても快調な一日だったのだった。予想はしていたとはいえ、その翌日の、急転直下の体調不良で、心がうまくついていかない。しかし、日によって心身の調子が大きく変動することは、回復期に入ったサインという話もある(だからこそアンコントローラブルで苦労するということのようだが)。もちろん油断は禁物で、本当に回復しているのかわからないけれど、あまり暗いことばかりは考えないようにしよう。

3月15日

鬱病の薬のせいで車の運転ができない。子どもの通院や車検など、今まで分担していたことを連れ合いに負担させてしまっている。じわじわと罪悪感、申し訳無さになってきた。テレビで北陸新幹線関連の番組などを見ると、自分はもう旅行へも行けず、子どもを何処へも連れていけないのではないか、という暗い気持ちになる。最近は旅番組から目を背けるようになった。金銭的問題の不安を含めて。いや、暗い未来を考えすぎてはいけないのだけれど…。

3月17日

治療4ヶ月目に入って(眠さは回復期の兆候ともいうので)回復期に入ったのかなと期待していたら、とんでもない、全然ダメだ(通常4ヶ月目〜6ヶ月目が回復期とされる)。たまたま調子の良い日が一日あっただけで、基本散歩は全然距離を歩けないし、食欲も戻ってこない。文字が頭に入らない。ずっと疲れていて、ほとんど何も動けない。買い物と食事作りさえもなかなか難しい。ソワソワにずっと苦しめられる。焦ってはいけないのはわかっているけど…あまりにも回復の兆候がなさすぎる…つらい…きびしい…

3月21日

心療内科の通院日(10日ぶり)。最近はずっと眠くて、ずっと疲れていて、ひきこもりのような生活で、調子が悪いと一日中布団の中にいたりして、暇で退屈なのが苦痛で苦痛で困っているんですけれど……と言ったら、それはなかなかいい状態なんじゃないですか(引きこもって、十分に眠って、暇なくらいが今は理想、という意味らしい)、とドクターに言われた。

そう考えていいのか、少しだけほっとしたような。でもよくわからない。本当だろうか。つらいものはつらいので…。

通院から4ヶ月目で、そろそろ、なかなか体調がよくならないなあ、という焦りというか、無力感を感じているのですが……と言うと、あまり焦らないでくださいね、焦りが出る時期ですから、と。薬の内容などは変わらず。次回は2週間後。

帰り道、気分転換にと、久々にドトールでお茶を飲んだ。

3月22日

調子が良くなかった。明らかに過眠で頭がひどく重いのに、布団からあまり出られなかった。散歩も体力なく、二度に分けて3000歩+3500歩がやっと。頭がずっと重い。何もできない。

3月23日

今日も過眠(寝すぎ)なのに異様に眠たい。寝過ぎてつらいのに起きていることもできない。午後、小雨の中、夕飯の具材を買いにスーパーへ3000歩歩いただけでへとへと。再び布団に入る。それにしても、あまりにも何もできないので、脳みそが腐って溶けていくかのようだ…

本当に少しでも体力が回復していく日が来るのだろうか…治療開始からもうすぐまる四ヶ月になるのに、ちっともよくならないな…

3月24日

今日も一日、過眠地獄に苦しむ。過眠なのに疲れていて、布団から出て活動できない。ひたすらつらい。

つらいつらいつらい。ひたすらもう、つらいだけ。ただつらい。鬱病おそるべしだ…

もうだめだ、と言葉にしてしまうと、歯止めがきかなくなりそうなので、なんとか耐えている(と、言葉にしてしまったけど)。われながら、こんなんでよく耐えられているなあ、と思う。

でも正直、もうだめなんじゃね?というくらい、慢性的に疲れ果てている。安楽な時間がほとんど訪れない。ひたすらつらい。

3月25日

12月から治療を始めて、丸4ヶ月が経とうとしていますが、回復(期)の兆しはありません。どんなにやり過ごそうとしても、ただ苦しく、何とか日々を生き長らえているだけで、「生きている」という感覚が全くありません。鬱病は恐ろしい病気だと思います。皆様の心身が健康でありますように。

人生の中で色々と浮き沈みがありましたが、自分にとっては、疑いなく鬱病発症後の現在がもっとも苦しく、つらい日々です。鬱病になりやすい性格や環境、鬱病の兆候などについては様々な情報があります。それらをチェックし、どうか皆様が全力で鬱病を回避し、そこから逃れられますように。

人生をやり直したいですか、という問いに対してやり直したいと感じたことは特になかったけど、もしやり直せるならば鬱病にならないような人生を送りたかったと今では思う、全てが後の祭り=祭りの後に感じられているからこそ

3月26日

疲れた。ただただ、疲れ果ててしまっている。明日も無限に長い苦しみしかないのに、容赦なく明日がやってくる。その絶望感。わずかでも安楽がありますように。

3月26日

(今いちばん夢見るのは、安楽生です)

3月27日

「鬱病で何もできない」「未来が見えない」「新しい生き方を探らねばならないが年齢的に手遅れ」ということそれ自体がうつ病の理由や原因になってしまっているので、虚無の悪循環という出口の無さがある。例え体調が回復するとしても虚無問題は別問題なのだろう……

それらは要するに再就職問題、生活費問題、障害者雇用問題などの話ではあるものの、それだけでもない特殊な厄介さがありそうに思う(自分の場合、この十数年フリーライター=批評家だったという特殊事情ゆえに…)。自分の仕事と存在が虚無だと気付いてしまった、がゆえの未来の虚無。さて困った。本当に困った。

3月27日

希死念慮とはちょっと違うんだけど、鬱病が本格的に発症する前に人生が終わってくれていたら、安楽で美しかったのに(虚無に気付かずにすんだのに)、という気持ちはどうしようもなく正直ある。家族旅行や友人との食事、仕事のイベントなどが全て不透過な膜の先の、戻らない美しい幻想に感じられる。

3月27日

鬱病者の時間には、安楽で平穏な退屈はなく、苛烈な焦燥に満ちた苦痛な暇の痛みだけがたえまなく襲ってくる。蝶番の外れた時間による拷問。しかしそれもまた経験の貧困であり、何かを本質的に学び知る経験は積み重ならない。一日は永遠に永く、一ヶ月は瞬時に飛び去る。

3月27日

暇潰しというとネガティブなイメージがあるけれど、鬱病者にとって、安楽生のための暇潰しの方法は、本当に藁にもすがるほどに欲しいものなのだった…この暇を潰せるのなら!しかもそこに安息と安楽があるのなら!

3月28日

家族が鬱病について理解してくれて優しいということと、それでも申し訳なく情けなく、「居た堪れない」ということは両立してしまう。うつになると自分の〈存在〉がそのものとして苦痛と煩悶になるので、他者と一緒の空間に居ることじたいが居た堪れない。しかしそれでも他者の存在が力になっているのだ。

3月28日

低気圧と雨天のためだと思うが、朝から全く起き上がれない。まもなく1400だが布団の中にいる。存在論的な無力感の中に沈んでいる。仕方ない、労わろう、セルフケアを、だけではすまない無力感がある。重力にすら押し潰されているような…。

今日もただただただただつらいつらい苦しみばかりの一日だった…。

この4ヶ月を言い表すなら、とにかく疲れた、もう疲れ切った、ひたすらつらい、苦しすぎる、安息がほしい、安楽がほしい、日常を取り戻したい、ということに尽きる…。

寝る前の、服薬し、歯を磨き、お風呂に入り、着替え、肌にクリームを塗るなどの日常的メンテナンスが途方もなく疲れてしまう…特にシャワーやお風呂がきつい…強い意志がいる…。

3月29日

京都の出版社の友人が地元に会いに来てくれた。あいにくの強風だが、近隣の駅まで出向いた。1時間半ほど雑談。鬱病の話ばかりで「生産的」な内容は話せず、申し訳なかったが、ありがたかった。またいつか会えることを祈りながら。

鬱病について考えていくとどうしてもスピリチュアルな領域に近付いていく。安楽を求めることは不可避に安楽死的な言説を呼び寄せる(それが嫌で安楽生と言っている)。死にたくないが消えたい、というよくあるフレーズも、生の安楽性へ向けた祈りであると思える。

鬱病の回復期に転じる時に、それを確かに実感した、という声を何人からも聞いた。苦痛の底が抜ける、凪が来る、云々。一進一退、三寒四温のうつ病において不思議に思えるが、経験者にはそれが「論理的」なのだろう、と想像してみる。マインドフルネスも経験を振り返れば「論理的」なのかもしれない

パニック障害/不安障害に対する呼吸法(腹式呼吸)や認知行動療法のようなプラグマティックな対処に対して、マインドフルネスは「治そうと意志してはいけないし、治らないと考えてもいけない」という禅問答的なことを主張するが、経験を振り返るとそれが「論理的」なんだろうか…(と、想像してみる)。

この生の無限の苦痛が消えてほしいと祈ることは、イコール死を望むことではなく、安楽な生という奇蹟を待ち望むことである…神(回復)を待ち望むように。

3月30日

うつ状態において、自分の現状と他の人の達成とを何一つ比較しないこと。他の人の仕事や趣味を目にして焦らないこと。今の自分と過去の自分をも比較しないこと。虚無の中に浮かんでいる今の自分の痛苦のみで「十分」であると思い知ること。

せめて本がふつうに読めるようになればな…せめて…本が読めるように…。

われわれ精神障害者にとって自由とは何か(そしてその前に安楽安息とは何か…)。

病気として焦ってはいけないという気持ちと、残りの寿命の計算と、老い衰えゆく生活費の問題と…なんてことも、今は考えないほうがよいんだろうけれども。

フリーのアラフィフで鬱病という絶望的な状況なのに、人生のハードルをまだ自分で上げてしまっている気がする。もうこの程度のぼろぼろの無能な人間がそれでもなんとかかんとか生きていける道を探してみるしかない。そんな道がそう容易くあるとは思えない、というのがこの国の人間の不幸だとしても…。

今日は家族で銭湯に行った。近くのスーパーでお弁当を買ってみんなで食べた。テレビをぼんやり眺めた。スーパーでも銭湯でも不安や鬱はつきまとったけれど、行けて良かった。こういう日常のささやかな幸福を、忘れずに覚えておこう。全てがいつ崩れて消えるか、それは誰にもわからない。

明日が来るのがいつも怖い。何も出来ず、何もすることがなく、布団の中で動けず、時間が流れず、頭がぐるぐるオーバーフローし続ける〈暇〉な明日が来るのが怖い。どうやっていつも耐えられているのか自分でもわからない。薬が効いて眠る前の夜の穏やかで静謐な時間帯、この時に時間が静止してほしい。

3月31日

案の定、今日は朝から夕方まで布団から起きれず、過酷なつらい一日になった。過眠ゆえリラックスも難しい。そして暑い。死体が息しているようなもの。無為と無力。何のために生きなきゃいけないんだろう、とどうしても考えてしまう。

多くの当事者が言う通り、鬱と不安と苦痛に耐えてただ〈今〉を生きのびているだけでも偉い、と信じるしかないんだろう。生の苦痛の中に回復がきっと内在しているから。ゆっくりと、ゆっくりと。きっと。尊厳生としての安楽生が、きっと。

4月1日

午前中、寝たきり。昼過ぎに近隣のスーパーまで食料の買い物(往復3000歩)。昼食後、また動けなくなり、布団で横になる。早くも日が暮れてきた。これでも生きているんだ、と言いたい。

いや、生きているとは言えないな。もうだめかもしれない。つらすぎるな。

低気圧の影響もあるか。外は雨が降ってきた。

何も出来ず、寝てばかりで、申し訳ない。家族に申し訳ない。ごめんなさい。恥ずかしい。情けない。この虚無のループから、いつ抜け出せるんだろう。焦ってしまう。焦ってはいけない。でも回復してほしい。少しでも。というデフォルトの自己否定がぐるぐる渦巻くのだった。

もうだめなんじゃないかという諦め、深い深い疲弊がいちばん厄介なのかもしれない。しかし客観的に言えば、通院4ヶ月足らずはまだ「鬱病初心者」の段階と言える。

通院開始から4ヶ月目になれば、教科書的に(都合よく)いけば、回復期に入ってくれるのでは、と期待していたことも、焦りや疲れという意味では、よくなかったのかもしれない。そんなに都合よくいくとは限らないのに。

それにしても、つくづく、返す返すも、しみじみと、鬱病とは、こんなにも恐ろしい病気だったんだなあ。それを乗り越えてきた人々、闘病中の人々、再発と戦っている人々、みんなみんなすごいなあ。大勢のそうした人たち、素直にリスペクトする。苦しすぎるもの。もちろん途中で力尽きてしまった人々も…

とはいえ他方で、自分の鬱病が軽いのか重いのか中程度なのか、まだ急性期なのかそこから少しは抜けたのか、云々がよくわからないので、過度な一般化はあまりよくないのかもしれないけれど…。

鬱病の治療には脳心身をとにかく休ませよう、リラックスしよう、ぼーっとしよう、と言われるが、自分はそれがまさに苦手で、だから回復が遅れているのかもしれない。リラックスが本当の本当に不得意。漫画や映画も「仕事」に結び付けてしまう。鬱病実況ツイートはリラックスではないけど暇潰しにはよい。

鬱病の恐ろしさは何もできない、何もすることがなくなるという純粋暇時間であり、だから暇潰しが大事だと考えてきたが、やはり暇潰しではなくリラックスでないとだめなんだろう。しかしそうすると自分には絶望的に感じられる。リラックスってどうすればよいんだろう?

今、基本的にロラゼパムとスルピリドという薬を飲んでいるのだけど、スルピリドは食欲増進作用があり太ると言われているが、自分は逆にどんどん痩せてしまう。この数ヶ月で7〜8kgは痩せてしまい、ちょっと怖い。とにかく食欲がない。気持ち悪い。料理する気力がない。

4月2日

今日も午前中、布団から起きられず。食料の買い物含め4000歩。たったそれだけで疲れ果ててしまう。また布団の中に戻る。情けない。

ああ、リラックスできないな…苦しい…ひたすら苦しい…どうすればいいんだろう。

どうしてもリラックスできない。散歩も体力的につらく、読書もだめ、音楽もだめ、映画もだめ、ゲームもだめ、漫画がかろうじて。しかし漫画もだめな時があり、そうするともう打つ手がない。ひたすら苦しい。ただ苦しい。どうすればよいのかわからない。

なんとか無理してさらに2000歩ほど歩いてみたが、へろへろになってしまう。

奇跡のような安楽よ、来たれ、そう祈るしかない。

(ごく簡単な)夕食の準備をし、家族と食べ、洗い物その他をした。もうそれで今日一日はよしとして下さい。

4月3日

鬱病は「闘病」という言葉がしっくりする。例えば鬱病の人たちがお風呂を「倒す」と表現するのは、成る程と思う。うつが重くなると食事、トイレ、着替え、料理などのハードルが著しくあがるが、シャワーやお風呂は特に難敵。倒さねばならない相手という感じがする。

結局、今日も一日、うつにより布団からほぼ出られず、寝たきりだった。何日目だろう。自分の心と体はどうなってしまうんだろう。もうだめなんだろうか。いつか起き上がれるという気がしない。雨が優しく降っている。

しかしたとえ寝たきりでも、どんなに無為で無力でも、夕方にシャワーを浴びられたのだから本日は100点だと生を自己祝福すること、それが鬱病者の勇気であり、うつ病の倫理学(エチカ)であるのだろう…。

しかしうつ病でほぼ寝たきりになって3年、4年、それ以上、という経験をした人々もいるわけだよな。50代目前の自分がそうなったら、人生詰む、というか、家族生活や経済状態が完全に破綻するだろうな…そういう可能性もあるのか…。

4月4日

意味のある生はすでに終わってしまった、なのに事実としての生存が続いている、なぜか生き続けねばならない、その不思議な過酷さをどうにもできない。身動きすらできない。そうした実存感覚がある。それがたとえ鬱病ゆえの脳の誤作動だとしても。

鬱病実況をはじめてから、様々な鬱病・双極性障害の経験者の方々が声をかけてくれる。もちろん具体的に何が変わるわけではないけど、励ましを受ける。何より、その人たちが今、社会に出て様々に活動できている、という端的な事実に励まされる。自分もいつか、と思える。

鬱病の特性は脳機能低下なので、この社会の脳中心的な能力主義の暴力性をあぶり出すとも言える。文字が頭に入らず、お風呂や食事や着替えにも苦労するようになり、つねに異様に疲れてしまう。無能力者としてのうつ病者。常日頃から求められてきた能力のハードルがいかに高いかということでもあるのか

心療内科の通院日(往復5000歩)。この2週間、ずっと布団に寝たきりになってしまった、と話す。それも回復期へ向かう過程ですねと説明される。過眠による睡眠障害のため、薬が一種類増えた。

通院で疲れたらしく、夕方からまた寝込んでいます。布団や衣服の温度調整が難しい季節になってきた。

4月6日

うつ病は気持ちの落ち込みの問題というのみならず、脳疲労というのか、異様な疲れやすさが特徴で、布団から出て座っていることもできないほど疲れてしまう。近隣のコンビニやスーパーがやたら遠く感じる。ちょっとした低気圧で寝たきりになる。お風呂がキツいのも、体力を奪われるためなのかも。
抑鬱や不安に脳神経のリソースを奪われているので(脳機能が低下しているので)、ほかの日常行為にエネルギーを回す余裕がなく、ゆえにお布団がお友達になる、という感じなのだろうか。

鬱病は誰にもありうる典型的な症状で、そこに特異な意味はたぶんない。深堀りしても何も出てこない。というか何にでも意味を求める態度が鬱の原因の一つとも言える。ある種の極度の抽象的な貧しさが鬱病にはある。けれどもそこから意味を絞り出そうとしている。耐えられないから。暇-過剰だから。

夜、寝る前の時間帯にしばしば空腹を感じる。お腹が鳴る。なのに、翌朝起きると食欲はどこかに消え去り、食べるのは気持ち悪い、つらいと感じる。ふしぎだ。たまに夜中や明け方にお腹が痛くなりトイレに行くようになった。今まで経験がない。これもふしぎだ。睡眠や食欲、排泄の時間帯が錯乱している

鬱病それ自体は徹底的に無意味で虚無な病気なので、その過酷さを受け入れるしかなく、そこから回復/寛解するときに、自分の人生にとっての意味や価値観、世界観をいかに変革できるかがきっと大事なんだろうな、とは予感している。そのための代償があまりに大きすぎるけれど

というかよく言われるように、このままだとお前の人生は燃え尽きるぞ、別の生き方を探しなさい、と身体が教え諭してくれている(そして脳と身体が内戦状態にある)のがうつ病なんだろう、今は休め、とにかく死んでも休め、と。ここがお前の人生の終だ、という意味でもあるかもしれないが。

4月7日

異様に眠く、今日もほとんど寝たきりだった。恥ずかしい。情けない。ごめんなさい。申し訳ありません。ゆるしてください。という罪悪感がとめどなく湧き出てくる。それらが間違った罪悪感だとはわかっているのだけれど。根深いな、と思う。

うつ病の時はとにかく心身を休めるしかないのだが、しかしうつが悪化すると心身を休めること自体が困難になる、というパラドックス。布団で寝ていても頭はオーバーヒートし、過眠や過剰な暇やそわそわに絶え間なく苦しめられる。そして「心身を休めるスキルが無いのも自己責任」になってしまう…

資本主義の荒波によって鬱病になり、働けなかったり寝たきりになった親がその子どもたちのメンタルに与える影響とはどういうものだろう。ヤングケアラーとも少し違う話か。しかしZ世代はSNSの影響などもあり彼ら自体がメンタルヘルスを病みがちと言われる。メンヘル的世代循環があるのか。

鬱病は徹底的に無意味な苦しみと虚無しか与えてくれないのだとしても、それに対峙する精神は、虚無に陥らない生き方、能力主義とは別の価値観、他者を過労に追い詰めない緩さと優しさを学び知ることができるのかもしれない。長い苦痛と大きな代価を支払ってでも。

4月8日

うつにおいて、日中であっても過眠気味であっても、いつなんどきでも、眠れているという状態は無条件に「よいこと」と見なしてしまってよいだろうか。罪悪感など抱かないで。

最近、過去の外出や旅先の夢を見ることが多く、ふと目が覚めた瞬間に、自分が今鬱病であるという現実がなかったことになっていて、しかし次の瞬間、その現実を思い出して、まさかと愕然とする、今この現実の方が全て悪い夢ではないかと感じられる、ということを何度か経験した。悲しかった。悲しい。

ふしぎと鬱病になってからも悪夢はほとんど見ないな。見ない。ふしぎだ。

4月9日

思えばこのところ一日15時間近く眠っている。2400に寝て(中途覚醒あり)、朝一度起きて食事と薬、その後またお昼まで眠る。午後から夕方も数時間眠る。必要があって脳心身を休めている、という感覚がそこにはある。過眠は回復期のサインという話もあるが、まだよくわからない

シャワーは2日に一回しかやっつけられない…やはりつらい

今夜は久々に鬱が重い。治療開始4ヶ月も経つのにこの調子じゃもうだめだ、こんなの耐えるの無理に決まってる、早く終わりにしてほしい。そう感じてしまっている。弱ったな。一過的なものだと思うけど。たぶん。

洗い物や歯磨きがあるけど布団から起き上がれない。お風呂は今日は無理っぽい

しにたい、消えたい、終わりにしたい、もうむりだ、みたいな気持ちを完全に抑圧して、なかったことにするのも微妙に違うんだろうな。そういう気持ちが存在することを認めつつ、宥めすかして、懐柔して、うまくつきあっていく技法が必要なのだろう、鬱病の場合は。

日常の当たり前のことができなくなって悔しいという〈悔しさ〉の気持ちや、こんなに徹底的に追い込まれて寝たきりになるほど悪いことしてなくない?理不尽すぎない?という〈怒り〉の気持ちもあるな、うつ病に対しては。割と真面目に頑張って生きてきたつもりだが、まさにそれが病気の原因とはね。あーあ、悔しいな!

4月10日

一応書いておきます。鬱病の症状とは関わりなく(厳密に言えば関わるのだけど)、自分の人生は「詰んだ」。物書きとして生活費を稼ごうとしてきたけど、もう書けることがなくなってしまった。大学の教員や介護の仕事などをしながら物書きをする、という努力を怠ってしまった。だから自業自得である。

たとえ鬱病が回復/寛解しても、人生的に「詰んだ」という根本の問題は何も変わらない。それを自分は「虚無」としか表現し得ない。どうすればいいんだろう。しかしその事を考え始めると鬱が悪化するので、根本問題をあまりちゃんと考えられない、ということも今のジレンマになっている。

結論としては、鬱病をちゃんと治療して何か別の仕事を探すとか、障害者雇用の道を探るとか、そういう感じになるのだろうか。しかし現時点ではそうした人生について、全く想像がつかないのだった。アラフィフにして何の技能もない。介護福祉士の資格はあるが…。

鬱病を発症する前に、根本の虚無に直面する前に、人生が終わりになっていたなら、その方がずっと良かったのに。今はそのようにしか考えられない。非常に身勝手だけど、それが今の正直な思いであるということ。今の思いを正直に記しておくとそうなるのだった。

鬱病になったから詰んだのか、詰んだゆえに鬱病を発症したのか、鬱病になったから詰んだとしか考えられなくなっているのか、鬱病とは無関係に人生の詰みは端的に詰みであるのか。

たとえ人生をかけたゲームが詰んだとしても、人生そのものは続く。続いてしまう。それは残酷で苛酷なことでもあり、未知の希望でもあるのだろうか。わからない。今は想像もできない。どうして終わってくれなかったんだ、という祈りが滑稽化する時が来るのか。耐え難きを耐え、回復を待ち望むならば。

4月11日

うつ病では確かに「世界」(人々が共同で参加し動かしている世界)そのものから置いてきぼりにされ、切り離され、どんどん取り残されていくような焦慮と孤独感がある(家族に対してすら)、そしてその置き去りの距離は二度と埋めることも追いつくこともできないのでは、と。

「世界」が異次元に遠ざかるのに対し、自分の「生存(生きているという事実)」そのものの重みは堪え難いほどに増していく。主に苦痛という形で。「生存」そのものに閉じ込められ、その虜囚になってしまう。自室と布団が牢獄となる。そこで恩寵=変化を待ち望むしかない。

何らかの恩寵=変化を待ち望む、という時に、「待つ」とは外側からの身体の変化を受動的に待つことだが、一点、「望む」という主体の能動的な側面がふくまれる。根本的に無力で何もできないがゆえの、変化を望むという欲望。それは時間の牢獄(もう取り返しがつかない非世界的な今の時間)の外を欲望することなのか。

過眠で頭が痛いのに、眠たくて眠たくて仕方がない

今日の体調もよくなかったな…。通院開始から昨日で4ヶ月が経つのに未だにほぼ寝たきりとはな…焦るなとは言え…どうなっちゃうんだろう…

しかし思えば、一ヶ月前は布団に横たわっても頭のオーバーヒートやそわそわで眠れなかったけど、今は過眠というほどに眠れているのだから、それは回復へ向けた半歩前進なのかもしれないな(と思ってみることにする)。

4月12日

投薬のせいでお酒が飲めないので、四ヶ月ぶりにキンキンに冷えたノンアルコールビールを飲んでみたら、ほんとに『カイジ』みたいに、涙が出るほど美味しかったです。

うつ病は食べ物の美味しさがわからなくなり、食欲が減退するので(薬の副作用で逆に過食で太る場合も)、ノンアルコールビールを飲んで「涙が出るほど美味しい」と感じられたことは、結構、重要な体験のような気がするのだった。

これはマジメにこっそりと教えてほしいんですが、うつ病関係の薬を飲んでいる人は、車の運転は基本的にアウトと言われると思うんですが、実際のところ、仕事や生活の必要から運転しちゃったりしているものなんでしょうか?どうなんでしょうか?みんなどうしているんだろう?

うつ病のために日々の時間があまりに虚無なので、悔しくて、せめてもの抵抗というか引っ掻き傷のような(「意味」ではなく)痕跡を残そうと、Twitter(X)に日々の思考を記録しているけど、病気にとってそれが良いことなのか悪影響があるのかは正直よくわからない。どちらでもなくそれもまた虚無か

まいった。今日の通院で処方されたミルタザピンという薬を寝る前に飲んだら、逆に全く眠れない。手などが妙にむずむずして気持ち悪い。これまでの薬では中途覚醒はあっても不眠はなかったのだが、これは弱ったな。

3時。まだ眠れる気配が一向にない。入眠のための薬で不眠とは。これだからメンタル関係の薬は怖い。

4月13日

昨晩の新しい薬の副作用のアカシジア(手などの極めて不快なむずむず感)と不眠のせいで、今日の調子はひどいもので、回復期の兆候など微塵も見られずに、ずっと苦しんでいるのだった(アカシジア自体は朝には消えていたけど)。本当に生が耐え難い。この生に安楽と安息がほしい。

今欲しいものというと、幸福とか快楽であるより、安楽、安寧、安息、安眠などの言葉がしっくりくる。安。安らぎ。逆に言えば、鬱病の苦痛とは、生の安らぎを延々と剥奪されていること。一刻も安らげない。安らぎたい。安らかでいたい(やはりある意味で死の安息に近付いていく)

ああ、困ったな。夕方、久々に(2月半ば以来)、希死念慮に襲われた。頓服(クロチアゼパム)を飲んだ。ロラゼパムも前倒しで飲んだ。前回も新しい薬を処方された時だった。まいった。

どうもロラゼパム+スルピリド+頓服クロチアゼパム体制を動かそうとすると、希死念慮が出てくるような。困ったなあ。怖い。希死念慮、怖い。

希死念慮って、よくわからないけど、心や気持ちの面で「しにたい」というよりも、脳が強制的に「しぬしかない」という命令を出しているような、心が憑依されているような感覚があって、だから怖い。本当に怖い。

へとへとでぼろぼろだな。どうすればいいんだか。

憂鬱だなという気持ちとうつ病(様々な脳や身体症状の詰め合わせ)が別物であるように、死を思う気持ちと希死念慮(強制的な憑依や脳の誤作動的命令)はなんとなく別物であるような気がする。

明日が来るのが怖い

どうか安らぎを。どうか

4月14日

鬱病者の時間の過剰な無為(できることが何も無い)は、やはり、退屈(何もしなくて良い)とも暇(やることが何も無い)とも違うのだろうと思った。そして無為を遊び=リラックスの非意味的な時間に変えるのが肝要なのだろう、とも。鬱病日記は私の遊び。当たり前の結論に戻ってきただけだけども。

眠くて疲れていて、すぐ体を横たえてしまう。努力して起き上がっても、すること、できることが何もなく、あまりの無為ゆえに打ちのめされてしまう。懶惰な鈍い頭痛が強まっていく。体をまた横たえる。もうこの状態から抜け出すすべは無く、ずっとこのままなのではないか、という無力感が強くなっていく。

〈もうだめだ〉という感覚。「このまま回復などしない」「この状態がずっと続くに違いない」「きっと少しも良くなんてなっていない」という無力感。うつ病のせいでそう思い込んでいるのだとしても、それだけではない気がする。実際に現実的にこの状態が何年も十数年も続く可能性はあるのだから…。

アラフィフにしてうつ病のまま社会的にひきこもりになり、金銭的にも家事その他的にも、家族の負担になり、重荷になり、ひたすら迷惑をかけてしまう、という暗澹たる恐怖。おそらくそうした考えは誤っている。しかし葛藤はやはりある。内なる優生思想を身近に感じる。

自転車で買い物をし、ごくごく簡単な家族の夕食を作るだけで、へとへとに。今日やれたのは他に布団干しだけ。それで一日が終わる。何もしてない。いや、そういう風にネガティヴに考えてはいけないんだけど。やれたことをポジティブに数えよ。それもわかってるけど。でも疲れたな…。生に疲れた…

症状は千差万別であれ、うつ病者が日本だけで100万人もいるなんてヤバいというかすごいことだな。逃れられないこんな苦痛の中を何年も何十年も生き延びてきた人々はすごいよ。あなたたちはすごいです。尊敬します。

何でも「自分はできていない」と考えてしまうネガティヴなマンネリ/ワンパターンを受動的に反復するようになるのが、うつ病者の思考の特性であると。なるほど。同一の思考を反復しながら身体や生活が徐々に変化していきうる(それに応じて思考も変化する)のが回復の過程なのかしら…

我々うつ病者が繰り返す「できない」とは何なのだろう。仕事ができない。社会が要求する能力の基準を満たせない。健康だった自分と比較して能率が落ちている。どうもそれだけではなく、そもそも物事が「〜ない」(為し得ない、美味しくない、楽しくない)という自己否定として経験されているのではないか。

仕事ができなくて罪悪感や自己否定感を抱えてしまうように、食事の味が感じられないとかテレビの面白さが感じられないことなどにまで、つねにすでに、ネガティヴな自己否定(自分は○○できないんだ)を感じているような気がする

生きていることに安息や安楽を感じられないのも、脳のバッテリー劣化・異常による慢性的なエネルギー不足のみならず、何もかもが自己否定(自分は○○できない、もうだめだ)として経験されてしまう、という側面があるのかもしれないな。いや、これも例の完璧主義の呪いというワンパターン思考か…

できていることはできている(たとえスローでも、へとへとでも、数は少なくても)とちゃんと自己認知して、日常的行為に張り巡らされた完璧主義(もうだめだという自己否定)に捕われず、ありのままの自分を自己受容してあげることがやはり大事なんだろうな、たとえワンパターンの結論であれ…

うつ病による苦しみ(なにもできない、しにたい、きえたい、もうだめだ)を否定できるものとは考えず、しかし安楽死や尊厳死の方へもいかずに、忍耐強く安楽生・尊厳生を待ち望んで擁護する……そうした生き方を貫けるだろうか。

4月15日

鬱になると文字が読めなくなるのは有名だけど、うつ病になってから、コンビニでジャンプの立ち読みができなくなった。情報が頭に入ってこない。今日もだめだった。

スーパーのような場所は確かに抑うつ感が重くなり、キツい感じがする。情報量や選択肢が多すぎて、バッテリー劣化している脳がフリーズしがちになるのだろうか。

治療開始から4ヶ月以上が経過したが、なかなか急性期を抜け出せず回復の兆候がないのは、薬やリラックスがうまくいっていないのみならず、そもそも通院より前に鬱病を長い間放置していたからなのだろう。そのぶんだけ病巣が深く根をはってしまった。心当りのある人は放置せず早めに通院してくださいね

うつ病による苦しみ(なにもできない、しにたい、きえたい、もうだめだ)を否定できるものとは考えず、しかし安楽死や尊厳死の方へもいかずに、忍耐強く安楽生・尊厳生を待ち望んで擁護する……そうした生き方を貫けるだろうか

さっき、もうこんな人生いやだ、つらい、苦しい、どうしてこんなことになっちゃったんだろう、と、突然涙が止まらなくなった

うつ病者にとって大事なのは、自分もまたゆっくりゆっくり回復しているんだと自分の身体を信じることなのかもしれないな。肯定的な自己暗示(アファメーション)で構わないから。少し引いて見れば、2ヶ月前よりはマシになっている、とか。都合の悪いことは全部、脳の誤作動のせいにする(事実そう)

悲観的で否定的な気持ちを言語化することもそれはそれで大切で、それも一つの浄化になるのだけれど、そこにとどまってしまうと自己呪縛になるので、とにかくとりあえず肯定的で楽観的なフィールドに戻って来なければ。誤作動する脳との騙しあい。正しいも間違いもなく自然の流れで回復し寛解するよ、と

4月16日

うつ病において、日中の長い時間に何も出来ることがない、することがないという無為/暇のきつさ。エネルギーの枯渇した地獄。何度も言ってるけど、これだけはなかなか伝わらない。わかってもらえない。脳がとろけて腐っていく音が聞こえそうな。

通院開始が12月10日だったので、闘病生活も5ヶ月目に入っていたのだった。今日もほとんど布団で寝たきりのまま夕方になっていた。抑鬱と疲労と苦痛ばかりあれど、メモする程のことも何も無い日々。それでも絶望しすぎないために生の痕跡の何事かをメモし続ける。ノート未満のメモの断片。風は優しい。

今日できたこと。昼間にシャワーを浴びた。スーパーに買い物に行った(3000歩)。ごくごく簡単な夕食を作った。それ以外はずっと寝ていた。布団を畳めなかった。今日はなんだかとてもとても疲れきってしまった…夢の中でいいから鬱病からの回復を信じて安息と安楽がほしい…安楽…安楽な生…の夢…

悲観的で否定的なことを言えば自己呪縛になってしまうけれど、しにたい、消えたいと言い続けることでようやく生きていける生の様態もあるから、そこは匙加減、塩梅が難しいよね、とはいつも思ったりする。しにたいと言っちゃだめな世界もまた息苦しい

毎日のうつ病の生に疲れている、あまりにも疲れているので、安楽と安息と安眠をただ夢見るということは、しにたいと念慮することとは微妙に別なんだと思う。生の耐え難さという点では同じだとしても。

うつ病者になるということは、完治の困難や再発率の高さなども含め、ほとんど異星人に成るようなものなのかもしれない、地球の生活の労力や重力に耐え難いような脆弱なエイリアンに。ゆえにこの世界、この地球から疎外される。しかしそこに別の生、他なる生、新たな生の様態があると言えるのだろうか…

4月17日

中等度のうつ病の寝たきりはあまりにも単調で平板な疲弊と苦痛がひたすら続くので、それを語る言葉すらなくなって(それがきつい)、「息をしているだけでもエラい」という単純な祈りあるいはオマジナイに行き着くしかなくなるのも分かる気がするな

何となく、うつ病は半年くらいで「よくなる」「よくなっていく」(漠然としたイメージとして)ものかと思ってきたけれど、見通しが甘かったことをじわじわと痛感しはじめて、わりと絶望している。最初のうちは4ヶ月〜6ヶ月が回復期とあったので、4ヶ月目に縋り付くように期待したがもう5ヶ月に入ったし

一年以上寝たきりなんて普通にあるようだとわかってきたし。焦ってはいけないとは言え、今の寝たきりの状態が一年やそれ以上も続くとしたら、ちょっと色々な意味で耐え難いだろうし、労働・金銭問題も出てくるし、家族との関係も色々と変わってくるかもしれない。

でも現段階ではそんなことをあまり考えちゃだめで、その日その日をいかに安楽に過ごして休めるか、それこそ息をしているだけでもエラいと思えるか、それが大事なのもわかっているんですけれど、それがなかなか難しくて(ワンパターンに)ぐるぐるしちゃいますね

ぐるぐるをストップさせることがリラックスするということなんだろうけど、それと同時に、ぐるぐるしながらそこに肯定的なもの(自分はエラい!)を見つけていくのも大事ということかしらね

4月18日

うつ病で何を考えても、うつ病によって受動的/誤作動的に「考えさせられている」だけなのかもしれない。だからいつ、誰が書いても似たりよったりのことしか書けない。それがわずかでも自己セラピー的な慰撫として機能しうるのか、かえってメンタルを悪化させてしまうのか。単純ではない感じもする。

うつ病者はまず思考せずに脳を休めよ、主体的であろうとするな、というのは正しいのだろうけど、結局、休み方や回復の仕方にはその人なりの思考や主体性が必要で、しかしそれがどういったものであるべきかは自己責任に投げ出されてしまっている。そこが一番難しいのに。

じつはまだ自立支援医療(精神通院医療)の申請をしていない。もっと動けるうちに早めに行っておけばよかったな。気力がなかなか湧かない。

自分が精神障害者になったこと、精神疾患の当事者になったことをどこか否認して来てしまったのは、差別的心性というより、認めたらもうずっと付き合っていくのであり、完治はないと認めることが無意識に怖かったのかもしれないな

4月20日

起きている元気がなく昼間から布団に横たわっている。しかし過眠で頭が痛く意識がぼんやりし、安眠もできない。少し散歩してみても歩く前から疲れきっている。生きながら屍のよう。出口なんてなくどんどん追い詰められていく。生き地獄としか言えない。耐えがたい。救いがない。もうどうしようもない。

4月21日

うつ病について何かを書くことがささやかな慰めになる、という効力も消えてきた。結局、単調な同じことしか書けない。すべてが疲労と苦痛、無力感と希死念慮に押し流されつつある。

4月22日

不眠もあり疲れきっていて、今日も午前中、布団から出られなかった。よく言われるように地球の重力が重すぎるような状態。締め付けられるように頭が痛い。まだ布団の中。このあと通院があるので、何とか起き上がらねばならない。

尾籠な話だがうつ病になって食欲が減退しみるみる痩せて、便秘になった。夜中寝ている時や通院時などに歩いていると突然、お腹が痛くなる。これが困る。便秘によってもまた活動を制限されてしまう。そうした身体の不具合があちこち生じている。肌が乾燥しカサカサだとか。

うつ病になりやすい性格の人は、本当に本当に、そうならないように常日頃から心掛けてほしい。仕事を頑張りすぎてしまう人、責任感を過度に背負う人、0か100かの完璧主義の人、自己愛が低く自分を嫌いな人。早めに対処してほしい。こんな虚無の苦しみを味わう人が一人でも減ってほしい。

僕のツイート/ポストを目にして、もしも、うつ病になりたくない、おそろしい病気だと感じて、そうならないよう動く人がいたら、それがいちばん本望という気がする。そのうえで、うつ病に対する誤解や偏見も減っていってほしいと思う

正確に言うと、過度な頑張りや責任を背負わされ、完璧主義を強いられ、自己愛を育めないように「させられてきた」人々ということかもしれない

4月23日

先日抗鬱剤が増えて(別の薬は減薬)、就寝前に服薬するのだが、日中も異様に眠くて仕方ない。往復三千歩の近隣のスーパーへ行くのにふらふら。うつ病と闘っているのか、薬の副作用と闘っているのか、わからなくなってきた。そもそも自分はまだ〈生きている〉と言えるのか怪しくなってきた。

うつ病がリカバリーしているという実感はないのに、日常的にできることやQOLは少しずつ悪くなっていく。無力感や希死念慮がじわじわと強くなっている。どうすることもできない。ただ我慢し続けるだけの日々。

〈さらに調査結果の暴いた驚くべき点は、「自殺する者は残される者のことを考えず自己中心的である」という一般に根強い先入観に反して、実際に自殺を試みた人々は、そのぎりぎりの瞬間まで、家族や愛する人々のことを思っていたこと。それなのに死を選んだのは、「自分が生きていては、家族や愛する人達が幸せになれないから」だと言う。それは精神疾患により捻じれ絡まった信念だった。〉

〈せめて、希死念慮について語ってもいい雰囲気があれば、身近な人に打ち明けることができるようになり、精神疾患による自殺者数は劇的に減少するかもしれない(略)そして語ることで、「自殺を考える人々は我儘で責任感に欠ける」という自殺者に対する一般的な先入観に疑問を呈することができる〉

4月29日

この間強い希死念慮に憑依され、それと闘っていた。新しく処方された薬のおかげか念慮は今の所おさまっているけれど(知人の助けもあり)、終日ひどく眠く、ぼーっとしている。スマホの文字も目で追えない。歩くのもやっと。いよいよ進退窮まったか。なんとかなれ。

希死念慮というのは本当に怖いものだとぞっとした。生きていたい(心)、苦しいから楽になりたい(体)、お前は死ぬしかない!(脳)が分裂していくような感じがした。他者としての自己が強制的に自分に命令し続けてくる。コントロールも無視もできない。脳の誤作動だとわかっていても抗えない。

5月2日

うつ病の回復期に失敗し、急性期的なものが戻ってきて、進退窮まった袋小路の中、という感覚がある。数百歩歩くだけで疲れ、スーパーや病院にたどり着けず、食事できず痩せ、言葉が頭に入らない。ひたすら寝て休んで回復する、という時期とは何か違う。ずばり「廃人」という言葉が思い浮かぶ。

引きこもりで寝たきりの安楽を肯定した結果としての、いわゆる廃用性症候群に近いのではないか?無理をしてでも身体に負荷をかけて「できる」部分を確保すべきではなかったか?眠って脳を休める以外の事をしてはいけない、というのも過度になれば危険な道だったか。

専門家の診断ではないが、うつ病とも関係の深い「慢性腰痛」が発症したらしく、その地味ながらも異様に厄介で致命的な苦しさに恐れ慄いている。まじに困った。地獄の下にはさらなる無数の地獄がある。

5月3日

腰痛が予想以上に厳しい。ぎっくり腰のような痛みではなく、酷い肩凝りのような、非常に不快な痛痒感。腰の奥深くにおそらく患部があり、ストレッチが届かない。体の内部に手を差し込んで揉みほぐしたい。少し動くと腰痛が出て、一〜二時間動けなくなる。生活状況的にかなり深刻。

ネットで調べたところ、「腰部脊柱管狭窄症」という症状の可能性もあると知った。とすれば現状、絶望的だけれど……。パニック障害があるので、MRIを受けられない。腰痛の原因を詳しく調べるには必須だろう。どうすればいいんだろう。鬱病×腰痛×糖尿病。詰んだ感じがする。そもそも鬱の疲労と腰痛で長時間通院する体力すらない。そうなるとどうなるんだろう。行き詰まり。詰んだ。

本当に詰んだのではないか。しかし問題は、詰んだだけでは投了になってくれない、ということにある。どうすればいいのか。

色々現状の行き詰まりを考えていたら抑鬱が重くなってしまった。布団から起き上がれない。しかし考えないわけにもいかず。どうすればいいのやら。そして安静にしていても、肩凝りの塊のような腰痛の苦しみが波のように襲ってくるのだった。拷問だな。

MRI(数年前に2度経験あり)のイメージトレーニングをしただけで、パニック発作を起こしかけた。だめだこれは。どうすればいいのやら。

なんかの奇跡で、腰痛だけでも自然に治まってくれないかな。そんなわけないか。

連日、夜2100ごろになると腰痛の波がやってくるな…つらい…苦しい…

だめだ…一時間半近く腰痛(痛痒感)がおさまらず…さらに立ち上がると足に何となく力が入らず、微妙に足萎えのように…これは腰痛の根幹に関わる症状なのか。やっぱりやばそう。

21時頃から2時間以上身悶えているがまだ腰痛がおさまらない。でもちょっと落ち着いてきたのかも。ここ連日この有り様だから疲弊もする。この腰痛には鬱病の身体化という側面もあるのか、全く別物なのかも気になるところ。しかし今や苦痛に次ぐ苦痛ばかりだな、今の自分の生は。きがくるいそう

5月4日

自分がどこまでも無能で無力な人間であること。それを自分に赦しつつ心身を休めること。どうしようもなくなった人間こそが安楽も安息も欲してよいのだと。そうしなければ、うつ病という病の根源から目を背け続けることになってしまう。確かに汝は今や虚無だがそんな汝を愛せ、と。

自分の人生で言えば、大学の教員にもなれず、介護者を続けられず、家事もろくにできず、売れる物書きにもなれず、他に手に職もなく、何者でもない。すべてが手遅れかもしれない。何もできない。周りに負担や迷惑ばかりかけてしまう。それでも安息と安楽を望んでよいのだ、と。

内なる優生思想(生産性も意味もない人生は生きるに値しない)との闘争を、今こそ身をもって試されている感じがある

今までの人生で鬱病のこの数ヶ月がはっきり言って断トツに苦しいし、時間を遡ってやり直せるならやり直したいが、他方で鬱病は必然的な宿命で遅かれ早かれこうなったろう、という思いもある。だとしたらせめて鬱病の経験それ自体から自他を活かす何かのヒントを学び取りたい、例えそんな余裕がなくとも

5月5日

腰痛こらえがたし。体を動かさなくても痛いタイプの腰痛であり、素人判断だが、どうやらやはり「腰部脊柱菅狭窄症」の可能性が高そう。鬱病だけで超難敵だったのに、あーあ。よわりきったな…。

素人判断は禁物だが、そもそもパニック発作でMRIをどうすればよいのか、という問題も依然ある。希望が何も見えない。これはもう、だめ、なのではないだろうか

5月7日

GW明けの病院へ。混雑。検査。MRIではなくCT検査で対応してくれた。やはり腰部脊柱菅狭窄症。軽度だと。服薬・湿布で対応すると。心が折れそうだが受け入れていくしかない。痛みの強さはうつ病が悪さをしている気がする(素人判断)。

5月8日

自分には職場復帰や社会復帰のような目的地がない。ゆえに、うつ病からの回復(リカバリー)が何を意味するのかがわかりにくい。仮に物書きに復帰することが回復であるなら、脳が壊れているため、沢山の本を読んで本を書く、ということはもうできそうにない。虚無とはそういう意味なのだが。

リカバリーとは、別の仕事を探すということなのだろうか?再就職のこと?このぼろぼろの心身と年齢で?とても現実味がない。とりあえずのサヴァイブを繰り返していれば、再生と回復、リハビリとリカバリーが見えてくるのだろうか?

鬱病者の身体問題が積み重なる。慢性疲労。腰痛。食欲減退。体力低下。睡眠障害。アトピーの悪化。便秘と腹痛。自分に必要なのは、日常行為ができるようになる、という意味でのリハビリテーションではないのか。今やまともに歩くことも、ちょっと外出することもできない。どこかで道を間違えてしまった

うつ病で半年、一年も寝たきりだった人たちはどうしているのだろう。身体はまだ動くのだろうか。リハビリテーションとリカバリーの関係はどうなっているのか。このまま身体的に社会に出られず動けなくなってしまうのが恐ろしい。

身体の状態も刻々と変化していく。少し前までは、寝る前の数時間が非常に平穏で安楽で静謐な時間帯だった。しかし薬の変化の為か、今やその時間帯は、過剰に眠たいのに決して眠れない、という不眠の苦しみを煮詰めたような地獄の時間帯になってしまった。夜が来るのか怖いと感じるほどに。

病院に通うの、もう疲れちゃったな…(うつ病と糖尿病と腰痛=狭窄症で)。お金もどんどん減っていくしな…どうすればいいのか…本当に心身の根っこの部分が疲弊してきた…いつまでこれが続くんだろう…色々なことがじわじわ悪くなっていくと感じる…終わりも行く末も見えないしな…疲れたな…

最近特に困っているのは、寝る姿勢がなかなか決まらず、枕の位置や体の姿勢を延々と変えてそれでも決まらず、疲弊してしまうことなのだが、これはうつ病のせい、あるいは薬の副作用とかに関係するのだろうか?(アカシジアとはまた違う)他の皆さんはどうなのだろう?

うつ病との闘病が始まってもう5ヶ月というべきか、まだ5ヶ月というべきか…いずれにせよ疲れた、とっても疲れた…教科書通りの回復期なんて来なかったな…しかし今が急性期の連続なのかもわからず…どうなってしまうのか、どうしたらよいのか、あいかわらずわからない…ただ日々が苦しく、時が苦しい

5月9日

数ヶ月前に、うつ病マンガを色々と読んだが、基本的にやはり「回復」「寛解」「うつヌケ」の物語に即したものがほとんどだった。復活した人々のストーリー。その必要はわかりつつ、今はそれらを遠く感じる。無名の、回復の物語にならない、パターン化された個々の生たちの苛烈な苦痛を今は想う。

うつ病によってどんどん追い詰められていく。心身の一つずつがじわじわと悪くなっていく。世界そのものが遠ざかっていく。今、回復や寛解の光はどこにも見えていない。暗黒。鬱病の前の、家族や友人との日々が夢のように光を帯びて何度も想起される。一瞬の静謐な時間や安楽な姿勢が恩寵に感じられる。

しかし綺麗事の感傷ではすまない。現実的には、うつ病者は多かれ少なかれ家族の重荷、負担になっている。あるいはなっていく。それが怖い。情けなく恥ずかしいとも思う。そこに、迷惑をかけるなら…という内なる優生思想との戦いもある。負担としての自分、重荷としての自己を肯定できるのか。

もちろん、そのように生真面目に責任を背負おうとして自分を追い込んでいくのが、典型的な鬱病仕草なのだけれども…。

5月10日

個人的な問題。鬱病の問題と、ひきこもりの問題と、仕事(物書き)のバーンアウトの問題が自分の中では絡み合っている。鬱病が仮に好転して回復に向かっても、具体的な「やること」が何もなければ、ひきこもり的な無産者のまま動けない、という現実に直面するだけだろう。ではどうするのか。

まだ回復も何もない段階だが、回復後の具体的な目標(生の意味)が必要なのだろう。抽象的な回復を求めてもダメなのだろう。回復のためにはとにかく何も為さず脳を休めねばならない、しかし、基本休みながら生の「何か」を求めねばならない。このバランスやタイミング、機縁はとても難しいのだと思う。

本を読む、そして書く、それは自分のアイデンティティそのものだった。いちばん重要な事柄だった。うつ病によりそれを根本的に破壊されてしまった。できなくなった。それが悔しい。無念に思う。残念でもある。しかし逆に言えば結局この期に及んでも、やりたいのはただひとつ、物書きの仕事なのだろう。

他方ではもちろん(繰り返してきたように)人生は詰んだ、不可能だ、無理だ、それがリアリズム的な認識だ、という感覚もある。でも結局、回復とは不可能に思える奇跡を待ち望むことであるし、どうにもならない受動性の中に或るタイミング(機縁)で能動性を見出すことなのだろう、とは思っている

夕食後に家族3人で近隣のまいばすけっとに買い物に行ったのだけど、夜はやさしいのに、うつ病によって脳が濁った寒天に覆われているようで、自分の見聞きするもの、話す言葉がゾンビのように感じられ、全ての物事に疎隔感を覚えて、とてもとても悲しくなった。本当に悲しい。鬱病を憎いと思った。

店内には同年代の家族連れが結構いて、笑いあったり軽く口論したりしていたけれど、自分はもうああいうふうに自然にふるまえないのだと感じ、とてもとても申し訳なく思った。そして不安な未来ばかりが脳裏をよぎった。脳の誤作動だろう。

たとえばうつ病の脳でテレビ番組を見ていると、旅先や食事の場面は、「いつか自分もそこにいるかもしれない」という(嘘でも)「可能性」を奪われて、「自分があそこにいることはない」「自分には無理なのだ」「できない」という疎隔感として現れてしまう。可能性自体をもう永遠に喪ってしまった、と。

っと悪くなっていく、という未来への不安が募っていく。あらゆるものが不安のトリガーになりうる。今までできたこと、当たり前のことができなくなってしまってごめん。みなの負担や重荷になっていくことが怖い。とても怖い。でもどうにもならない。これは脳の誤作動ではない。現実的にそうなのだから

5月11日
せめて鬱病が回復に少しでも向かっていると体感できればいいんだけど、どんどん心身の調子が悪くなっていく…そこに希望がない…今できることは、せめて、半年一年後は考えずに、眼の前のことだけを考えるということなのかな…今日できたことを「えらい」「よくやった」と自己肯定すること…しかし…

しかしそうはいっても、心身の調子が悪すぎるんだよな…肯定的なことを数えあげるよりも肉体的に悪いことが多すぎる(腰痛、アトピー、過眠、慢性疲労、喉の乾き、眼精疲労、便秘と腹痛)…薬の副作用もあって身体がぼろぼろすぎる…自己肯定の材料がなさすぎる…

あとはもう、本当に「息をしているからエラい」「今日生き延びたからエラい」というオマジナイに頼るくらいしかない…それでいいのだ、と言える力が自分にはないんだよな…どうすればいいんだ……

それにしても、遠出の外出をする基本的な体力すら自分にはない、というのはどういうことなんだろう。うつ病者が一般的にそうなるわけでもないのに。友達と遊んだり海外旅行へ行ったりするうつ病者は普通にいるんだよな。ここがクリアされないと今の状態をどうにもできない。

リアリズムで考える限り、もう詰んだ、終わった、と感じている。本当はわかっている。しかしそれでは生きられないから、奇跡的なリカバリーや希望があるかのような言動を続けるしかない。我にかえれば、本当に救いようがなくなってしまう。一日一日を誤魔化して繰り延べていく、それくらいしかできない

息子が富士山に行きたいな、とぽつりと呟いて、それを叶えてあげられない自分は父親失格であり、人間失格であるように感じられた。悲しい。つらい。本当に悲しい。うつ病を発症する前、ほんの半年前はいっしょに行ったのに。すべてが悪い夢のように思える。

5月12日

あとは〈ただたんに生きている〉だけで良し、を倫理としよう。それ以上を自分に望まないこと。複合する苦痛に耐えぬくこと。生きていることの負担、迷惑、重荷と、自死のそれらを比較して、前者がマシと計算しうるならば、〈唯の生〉に耐えよ。どんなに苦しくとも。惨めで情けなく恥ずかしくても。

鬱病を発症した時点で自分は死んだ。ゾンビになった。それに気付けなかった。物書きとして復活したいとか、家族とまた旅行したいとか、高望みが過ぎた。このまま〈唯の生〉としてどこまで生き延びられるのか。己の負担、迷惑、重荷に自らが押し潰されず耐えられるか。考え方を変えねば。

まだまだ心身の調子が悪くなっていく、という予感がある。その残酷さに耐えられるだろうか。ただたんに生きていることを貫きたい。ついに物理的なリミットが来るまでは。弱音を吐きながら。自己憐憫に塗れながら。もうだめだ、もうむりだ、誰かもう殺してくれ、と繰り返し呟きながら。

鬱病の薬を飲んでいる限り、基本的には車を運転できない。車で旅行もできない(コロナ禍で車を買って50〜60回家族で出掛けたものだが)。寛解はあれ完治はないなら、二度と運転できない可能性も高い。何か信じられない。一瞬でぷつんと未来が断ち切られた。全ては不能になった。夢のように残酷に思える

そうか、通院開始(12月10日)からもう6ヶ月目に入ったんだな。しかしどう考えても体感的にまだ急性期としか思えないのはどういうことか。回復期はいつになったら訪れてくれるのか。誰か教えてほしい。

5月13日

全く起き上がれないほど鬱が重たい、ひどい、どうにもならない。

身体の不調の積み重なりから来る「もうだめだ」は、脳の誤作動としての希死念慮とは異なる。誤作動ではなく正常で合理的な諦念なのだからーーもうだめだ、はやくおわりにしてほしい、と繰り返しながら、それでも何らかの唯物論的な奇跡を待ち望んでもいる。

――これはだめだ。本の文字が全く読めなくなってしまった。少し前までは、ちょっとは読めたのに。久々にページをめくってみたら、全く頭に入らない。壊れた。脳が壊れてしまったかのようだ。これはだめだ。もうだめだ。うつ病が相当悪化している。

その後、たった往復400メートルのまいばすけっとに買い物に行っただけでへとへとになった。帰宅後、すぐ布団に横たわった。疲労が尋常ではない。どうすればいいんだろう。

トイレと食事以外は寝たきりで、お風呂も入らず、長らく天井だけみて時間を過ごしていた、という「底」まで行った人が、回復して今は普通に動けている、という話(噂)を何度か聞いた。想像もつかないが、そういう奇跡を僕も信じてよいのだろうか。

うつ病で食事とトイレ以外寝たきりになって、通院を続けられなくなり、やむを得ず断薬になる、という人はけっこういるのかもしれない

正直にいえば、うつ病のどん底からも回復し寛解しうるのかもしれないという懐疑的な希望と、今が苦痛でつらすぎて早く安楽になりたいけど面倒だし怖くてできないという逡巡の間で、行ったり来たり乱高下しているのが今の心境なのだった。

鬱病の世界には下にはさらに下がある――外にすらでられない、トイレと食事以外ずっと寝たきり、通院できない、スマホすら見られない――という現実が、ちょっとした励ましになるのは不思議なことだ、人はどん底のさらに下でも生き延びてきたのだし、回復しうるのだ、と。

5月14日

今日も寝たきりで動けない。通院からら6ヶ月目に入り、体調としては今がいちばんひどいかもしれない。うつ病で寝たきりを経験した方々の経験談を色々と聞けたのはよかった。絶望的ではあるけど、それでも生き延びてきた人たちがいる、という驚き。生にはどん底の下にさらに底があって、それでも底付きがあるのだ。

とはいえ、希死念慮というか優生思想的な感覚が消えるわけではなく、本当に行き詰まった、さすがに耐えがたい、もうだめだ、詰んだ、もうこれ以上生きていても仕方ない、生きていたくない、という絶望感は正直自分の中に強くあり続けていて、それはどうにもならないのだけれど……。

人生が詰んで寝たきりのままという状態の絶望感が麻痺してきて、寝たきりであることが安楽と錯覚されているだけで、動こうと思えば現実の困難に再び直面し、強烈な絶望と希死念慮がやってくるのもわかっているが、それでも寝たきりの安楽を享受することを自分に赦したい

人生に奇跡的な回復を期待するなんてばかげている、すべては必然に従って詰んだのだ、鬱病=運命=寿命ということだ、という思考回路にはまって、出口がない。もうだめだ、とはそういうことなのだろう。自分が間違っているなら、どんなにいいだろう。自己を誤認しうることの中に希望があるのだろうか。わからない。

何とか買い物。とはいえわずか3000歩。それでもぎりぎり。

治療開始は2023年12月からだけど、その前に電車でパニック障害が出たことが始まりで、アラフィフのこの心身には、長年積もり積もったダメージがあるのだろう、治療開始から半年で回復期になるはず、という単純な話でもないのだろう、大分前から殆ど壊れて死にかけだったのだろう、だから焦ってはいけない…

とはいえ治療開始から4〜6ヶ月で回復期が来ると素朴に期待していたので、6ヶ月目に入った今、自分がこのような状態であることには焦りや無力感を覚えてしまうのだが、考え方を根本的に変革して、もっと長い時間軸で考えなきゃいけないのだろう、ひどく絶望的で暗鬱だけれども…とにかく焦らず休め、と……

鬱病だけでも完全に手に余るのに、腰痛(脊柱管狭窄症)がつらすぎるのだった。

ひどい一日だった、今日も。無意味で、無意義で、疲労と抑鬱ばかり。脳が休まっているのかどうかもわからない。そういう思考のぐるぐるを断ち切ることが心身を〈休める〉(リラックスして遊ばせる)ことなんだろうけど、未だにそれは難しい。虚無の中で心を遊ばせ、安息するにはどうすればいいのだろう。

なかなか相性のいい薬と出会えず、回復も遅れている、という印象がある。副作用の出やすい体質のようでもある。強い希死念慮が出たり、アカシジアに悩まされたり。奇跡的な回復を起こす薬に運良く出会えないものか。ずっとそう願っている。

夜のシクレストを服用すると、一時間後くらいに体調が悪くなるようになった。なんだろう、低血糖のような――。こわい。僕の場合、うつ病の薬はこんなパターンばかりである。リスペリドンの時は希死念慮がやばかった。ミルタザピンはアカシジアがほんとにきつかった。正直、薬恐怖症である。

うつ病の薬にはたぶん色んな副作用があり、僕で言えば、両手、両足、顔のアトピーが悪化した。カサカサになるタイプのアトピー。今までに経験してきたアトピーとは別物。地味だが確実につらい。こういうのがたくさんある。体重10kg痩せたとか。割と重い便秘になったとか。

これも謎なのだけど、性欲が全く無くなった。この五ヶ月、一度もマスターベーションしてないし、その欲求がないし、かと言って夢精するわけでもない。どういう作用なんだろうか。これも地味に、しかし確実につらいことの一つ。

相性のいい薬に出会えず、薬恐怖症であるので、自分の思考や意志を変革することによって鬱病を改善しようとし、しかしそれこそが負のループとなって病気を悪化させる原因となっている、という悪循環はあるのかもしれない。この病気には思考や意志は徹底的に無力なのに。

今日も完全に寝たきりで、過眠で頭痛がひどく、ゆるやかな希死念慮が波のようにやってくる。などというつまらないことをこの場に書かねばやりきれないほど、あまりにも不毛で無意味な時間が過ぎていく。ほんとうにもうおれは脳が壊れてだめになってしまったんだろう。ゆるやかに廃人化していくのだろう

回復の曲線を描かずにゆるやかに着実に悪くなっていく。治療の過程で何かを間違ってしまったんだろうか。どうすればよかったんだろうか。鬱病になったのは必然にしても、鬱病の治療がうまく行かず手も足も出ず悪化していくのは必然とは思えない。とても残念で悔しい。廃人になりたくない。

本当に残念だ。どうしてこんなことになってしまったんだろう。なぜ?なぜ?どうして??

時間という薬が心身を回復させる、という感覚がどうしても得られない。時間の経過と共に悪くなっていく。どんなに眠っても回復しない。休んでも休まらない。壊れてしまった、とはそういうことなのだろうか?

お風呂にさっと入る。鬱病者の鬼門というだけではなく、アトピーの身体と直面する。カサカサを洗い流さねばならない。出たあとに保湿するが、痛痒に向き合い、耐えねばならない。鬱病の薬の副作用で、今、アトピーがひどい。それもまた重畳する身体の苦痛の一つであり、それらが生きる気力を削いでいく

とにかく心身の調子が悪すぎて、日常生活がどんどん成り立たなくなっていく。今の自分の心身にとっては苦痛や抑鬱がデフォルトで、その中に時折ふと、静謐で平穏な時間帯が恩寵のように訪れる。凪のような安息の時間帯。回復や寛解から遠い今、そうした恩寵によってかすかに生かされている気がする。

5月17日

今日も寝たきり。虚無。せめてこの時間が休息であり、休むことで回復に向かっていると信じられたらよいのだけれど。どんなに眠っても回復の手応えがない。眠りの中でも疲労するかのように深く深く疲れきっている。虚無の中に疲労があるだけ。無の安息に還りたい。それでも生きる喜びを取り戻したい。

必ずよくなります、きっと回復します、焦らないで、ゆっくり休んでください、とみんなが言ってくれる。でもそれを信じられない自分がいる。どんどん悪くなる一方じゃないか。しかし自分の絶望よりも他者の語る希望をより深く信じるべき時なのだろう。回復とは他者の力なしにはありえないのだろう。

この場でうつ病についてこうして書いてきたこともまた、ワンパターンのマンネリで、何も無い、と感じはじめている。自分にとって最後に残された「言葉」すらも、そろそろ、疲労と虚無の中に沈んで消えかけている。あまりにもすべては虚しい。疲れきっている。

少なくとも自分にとって、打ち克つにせよ克服するにせよ、うつ病はあまりにも強大で、容赦なく、冷酷無比なものだった。現時点まで手も足も出ない。何の抵抗もできない。ひたすら悪くなっていく。家族や周囲の人々をも巻き込んでいく。回復や寛解の気配すらない。虚無があるだけ。疲労があるだけ。

苦しすぎる。現状は絶望的に思える。死んだほうがマシだと感じてしまっている、それほどの疲労と苦痛と抑鬱と。でも、どうか良くなりますように。どうかどうか。自分の生のためにも。支えてくれた家族や友人のためにも。どん詰まりの中、今、人生ではじめて神様や仏様に自然に祈っているのを感じる

他者には語り得ない、理解もできない持続的な苦痛があって、そこにはじめて祈るという所作が宿るのであり、その逆ではないのだろう。苦痛の中ですぐ隣にいて、無力ではあるがともに苦しんで憐れんでくれるもの、慰めを与えてくれるもの、それが神や仏と呼ばれるのだろうか

鬱病は喜怒哀楽で言えば哀の感情に世界全体が染めあげられる。喪失感や「できなさ」の哀しみ。次に、理不尽な現状に対する怒。楽しいことはあまりないが、安楽としての楽はたまにやってくる。徹底的に剥奪されているのは、やはり喜びだろう。

5月18日

脳が壊れて、フリーの物書きの仕事はもうできないだろう。かと言って、かりに回復したとしても、何の経験も能力もなく、鬱病と腰痛があるので、他の仕事をアラフィフの自分が探すのも難しい。すでに詰んでいる。自分には何も無い。終わっている。仮に薬が多少よくなっても根本がどうにもならない

良くなろうがなるまいが、回復しようがしまいが、最初からすでに詰んでいた。終わっていた。苦痛の中でひきこもるだけの拷問的な人生が待っているだけ。手持ちの貯金が尽きれば、あらゆる意味で負担と迷惑をかけるだけの存在になる。障害年金のハードルは高すぎる。

心身がある程度回復するまで、と、それ以降の人生をどうするか、を、むりやりにでも切り離して考えねばならない。とにかく今は台風をやり過ごすように心身の回復だけを考えねばならない。今後の仕事や人生のことを考えると、デッドエンドという結論しか出てこない。けれども回復すれば違う道も見えるかもしれない。

消えたいとは、しにたいというよりも、生があまりに苦しいので苦痛を消したい、苦痛を消して安楽になりたい、そのためには存在丸ごと消さねばならないほどに全体的に苦しい。つまり安楽な生への祈りなのだとおもう。消えたいと感じるほどに安楽に生きたいのだ。

鬱病者は、強い快楽や激しい喜びよりも、平穏な気持ちや静謐な安楽を望むようになる。ニルヴァーナ。やはりそれは死の安息や安楽に近付いていくことなのだろう。それほどまでに生が不安や疲労に覆われてしまっている。

うつ病の薬の副作用もあるが本当に身体がぼろぼろすぎるのだけれど、これは何とかなるのだろうか(腰痛、五十肩、眼精疲労、アトピー悪化、便秘など)…うつ病の慢性疲労とも絡み合いながら身体的に疲れ果てている、生きる気力が削がれていく。

「もうだめだ」「最初から詰んでいる」という出口のない思考の悪循環から脱すること、その脱出の過程そのものが鬱病者にとっての回復を意味するのだろうか。球体の内部のぐるぐる思考から逃れて、生の疎外を克服するには、他者との再結合としてのリカバリーが必要なのかもしれない。その点、薬という物質もまた他者なのだろう。

うつ病になると、時間の流れが異常に早い。時間が積み重なることがないからだろう。日々の苦痛や疲労の中で、時間は消し飛ぶ。時間は虚無の彼方に消え去る。積み重なって経験や意味を構成しない。そこでは苦痛すらも積み重ならないのだ。

鬱病の急性期を、記憶にない、と証言する人たちがよくいる。激しい苦痛や希死念慮にもかかわらず。それは人間社会が形成する時間とは別の時間を生きているからではないか。言語化や記憶化の外部の、虚無の時間。消え去るだけの、抽象的でマンネリな疲労や苦痛。私の5ヶ月も無意味の虚空に消し飛んだ。

鬱病になると食事の味がしなくなると言われる。しないわけではない。しかし、栄養補給のための、食べ物モドキ(シミュラクル)を口にしているように感じられる。空腹なのに食欲がなかったりする。家族で食卓を囲んでいても孤食に感じられる。時々、ハッとするほど美味しいものもある。

今日の痛苦は今日一日に十分に与えられている。同じく、今日の安息も今日一日に十分に与えられている。どんなに前者が大勢を占め、後者がほんのわずかな恵みだとしても。そうやって一日ずつを繰り延べていくしかない。回復が来るか来ないか、それはいつか。それは誰にもわからない。

5月19日

鬱病は疲労の病と言われる。いわば老朽化して壊れかけのバッテリーしか内蔵されていない。どんなに休んでもエネルギーが十分にチャージされない。歩き出す前からすでにへとへとに疲労している。歩き出した瞬間から、布団に横たわることをイメージしている。疲労によって日常の生から延々と疎外される。

全身の慢性的な疲労がひどすぎて、ほとんど身動きできず、今日も寝たきり。疲れすぎている。いくら寝ても休んでも回復しない。起き上がれなくなるのではないか。不安だ。それにしてもひどい。今日も一日がこれで無意味に終わってしまうのか?残酷すぎないか?虚しい。やりきれない。無力で孤独だ。

これは生きていると言えるのか?何の意味があるのか?苦痛と疲労があるばかり。そしてこのように同じようなことを何回も何回も書くことにもうんざりしてきた。うつ病について書くことが遊びであり慰めでありえた時間も終わりつつある。じゃあ手許にあとは何があるんだ?ただただ虚しい。疲れ切った。

この五ヶ月間はひたすら虚無だった。虚無の苦痛にうめいているだけだった。何の意味が?何も無い。時間が消し飛んだだけだった。無意味な苦痛に無意味な苦痛を重ねただけだった。ほんとうに虚しい。疲れた。生きていたとは言えない。

ああ、何で鬱病なんかになってしまったんだ?ささやかな幸福も目指すべき目標も全てが消し飛んだ。あっという間に。悔しい。悔しい。本当に悔しい。悔しい。理不尽。耐えがたい。もうだめだ…ちくしょう!悔しい!あまりにも!悔しいよ…つらいよ…

今日はついに、夕食の時間に座っている体力すらなくなってしまった、もう完全にやばいと思う

もうだめだと思った。鬱病のせいであまりにも疲れすぎてしまっている。どんどん衰弱し、活動範囲が狭まっていく。布団から起き上がれない。歩けない。近隣のスーパーにすらたどり着けない。通院は自転車で何とか行くしかない。いくら寝ても休んでも回復しない。

ほぼ寝たきりであるとしても、本当にその一日を乗り切るのにへとへとで、呼吸を続けるだけで精一杯なのだった。想像がつかないかもしれないが。そして活動範囲が狭まり、何もできなくなっていく、という現実。その不安。もう終りだ、というぐるぐる思考。

一日の中にほんのわずかに訪れる、平穏で静謐な時間。安息と安楽の時間。それだけを慰めに、疲労地獄と言える一日をやり過ごす。しかしその安息の恩寵も、鬱病の虚無の前には無に等しい。無力である。生きている意味が感じられない。それでもかすかな恩寵の静謐を待ち望んでしまう。

ああ、今日は夜の静謐な恩寵の時間帯が来てくれないな…残念だ…

雨の静かな音がした。隣の布団の息子が、今年はアオバズクとフクロウの声がまだ聴こえないね、と言った。そうだね、としばらく喋った。ふと息子の手が見えた。僕はその手を握った。思ったより大きな手。◯◯君は優しいね、と伝えた。恩寵だった。今は寝息が聞こえる。

5月20日

うつ病をゆっくり休め。寝たきりでいい。何もしなくていい。やりたくないことはやらなくていい。休んでいい。ゆっくりゆっくり休んでいればきっとよくなっていく。呼吸をしているだけで立派だ。生きているだけでありがたい。深く深く疲れているのだから仕方ない。寝たきりでいい。

長い長い間、ずっと無理をしてきた。頑張りすぎてきた。自分の限界を超えてきた。倒れるのも当然だった。一度死んだ。鬱病で死んだ。回復に長い長い時間がかかるのも当然だ。休もう。長い長い時間を休もう。気が遠くなるほどの時間を。まだまだ休み足りていない。寝たきりでよい。死ぬほど休めばよい。

自転車でふらふら糖尿病内科へ。鬱病で食事ができずみるみる痩せたため(10kg減)、皮肉なことに血糖の値はどんどん良くなっている。薬も減薬になった。しかし今度はまた低血糖に注意しなければならない。とにかく食欲がずっとない。無理にでも飲食せねばならないのがきつい。

鬱病によって心身がじわじわと死んでいくのがわかる。しにたいのではなく、しにたいと思えと脳から命令されている。全ての思考回路が鬱病の絶望的なそれに染め上げられていく。鬱に殺されていく。たぶん、思考ではなく意志が必要なのだろう。生きようとする意志。回復するはずだという意志。無根拠だが楽観的な意志。

何でもいいから、せめて、回復の曙光が見えてくれたなら希望もあるのだけれど。それが全く見当たらない。全体的に心身がじわじわ悪くなっていく。だから暗黒としか言いようがない。希望がほしい。回復の小さな光がほしい。

きっとよくなる、きっとよくなる、きっとよくなる、みんなそう言ってくれている、きっとゆっくりとよくなっていく、きっと、きっと。今がいちばんつらい時期のはず。あのときはあんなに追い詰められていたんだな、と冷静に振り返れるときがきっとくる。きっと。きっとくる。

寝てる間に死ねること、眠りの安楽がそのまま死に移行していくことは、うつ病者が心底望む一つの理想的な未来であるように思える。それは回復よりもむしろ甘美に思える。生が疲労と苦痛の中にあることがそれほど常態であり、そこから逃れられるのが眠りと夢と死の中にしかないから……。

都合の良すぎる夢だが、眠っているうちにそのまま死ねたら、どんなに幸せだろう。鬱病によってずたずたのぼろぼろにされ、ほぼ寝たきりとなり、日常生活すらまともに送れない身にされたのに、なぜ、まだ生きてしまっているんだろう。本当に疲れきってしまった。あまりにも疲れた。

もうだめだ、疲れ切った、終わりにしてほしいという気持ちと。耐えよう、いつかよくなる、必ず回復するという気持ちと――どっちの思いもある。矛盾する思いがある。瞬間ごとにスイッチしたりする。それらの激しい揺れ動きを誤魔化しては、急性期の鬱病者のリアルに迫れないのだろう。

疲れすぎてしまったな……うつ病は元気の前借り、と書いている人がいて、僕の場合は実感的に近いと思った。ある段階で前借りが終わって、膨らんだ借金とともに、借りを返さねばならなくなる。前借り期間が長かったので返済のためには元気をかなり時間をかけて溜め込んで回復しなければならない。

5月21日

鬱病とひきこもりが渾然一体になっている。かりに鬱病がこれからよくなったとしても、ひきこもりで寝たきりのままになってしまうのではないか。どうすればいいんだろう。

うつ病によって本が読めず、何も書けないという絶望。友人知人たちが立派な仕事をし、着実に前進していることへの焦慮と羨望。世界から置き去りにされていく、という疎外。脳が壊れて二度と復活しない、という恐怖。もう自分の人生には何も無い、という虚無。全ては終わったんだ、という悔恨。

もう何の意味もない。動けず、寝て、疲れて、頭がオーバーヒートして、眠りにすら逃げ込めず、ただただ無意味な時間の苦痛にひたすら耐えるだけ。果てしない虚無に耐えるだけ。他の人々の行動や活躍を羨望しながら。出口はない。ただ安楽がほしい。安息がほしい。

余りにも惨めすぎる。これじゃ生きているとは言えない。「もうすでに終わってしまった」と「まだ生き存えている」の狭間に引っ掛かって、生きているとも死んでいるとも言えない曖昧で抽象的な生存になり果ててしまった。意味も理由もない苛烈な苦痛ばかり。ああ、安楽がほしい。

生き地獄とは、すでに終わっているのに生き延びてしまっているということなのだろう。虚無なのに、無には還れないということ。疲労と苦痛と虚無の中をずるずるだらだらと生かされてしまっている。時間は積み重ならないのに、苦痛の一時間、一分が残酷なまでに永い。だが過ぎれば虚無で、意味あるものは何も残らない。

今日も食事が「美味しい」と感じられない。空腹なのに食欲がない。体重減少が嫌なので、無理にでも食べようとする。便秘も解消されない。離人症の言葉で言えば、「食べるモノ」はあるのに「食べるというコト」の経験が疎隔されている。コトなきモノ。離人症的ゾンビになってしまったかのよう。生命活動の根幹の毀損。

うつ病者にとっては、お風呂だけではない。食事も疲れる。トイレも疲れる。歯磨きも疲れる。めんどくさいのではない。本当に疲れるのだ。人と話すのも疲れる。自分の声が自分の声に聞こえない。何をしても、疲労によって、自然な生の活動からの疎外を感じさせられる。

死なないで、息をしているだけの生。それでも……尊厳生を。安楽死ではなく安楽生を。

疲れたな。全然回復期に入らない。こんなにぐるぐる悩んでいたら、回復するわけないか。全然、脳が休めてない。休めるのが苦手なんだな。手も足も出ない。本当にもう、何の気力もないや。じわじわと弱っていくだけ。袋小路に追い込まれていく。もうどうにもならない。疲れたな。本当に。

5月22日

食事とトイレ(たまに買物や通院)以外は寝たきりで、過眠に次ぐ過眠を重ねても、一向にうつ病がよくなる気配はない。ひきこもりのメンタルに近いようにも思われる。じわじわとした希死念慮や虚無感に四六時中苛まれ、休息や安楽とは程遠い。余りにも無意味で苛烈な生の時間。ブラックホールのよう。

うつ病について記録する気力もなくなってきた。力尽きてきた。もうだめだという気持ちがひたすら、頭の中をぐるぐる回り続けている。あらゆる可能性が消尽している。早く苦痛から解放されたい。祈っている。それだけを。どうかどうか安楽を。生まれてくる前の無のような安息を。

考えるなと思いつつ考えてしまう。結局、うつ病の延長で、アラフィフにして引きこもってしまう。物書きの仕事に戻ることは(脳が壊れているので)不可能だろう。別の仕事が都合よく見つかるとも思えない。貯金もあっという間に尽きる。家族の負担と迷惑になる。それが今後の人生のシナリオだろう、と。

――うつ病の調子がよくないため、明日から、総合病院の精神科(開放病棟)に入院することになった。

主に薬の調整のため。正直にいえば、今は不安しかないーー高いお金を支払って入院したところで何も変わらないのではないか、退院したらまた元の寝たきりの日々が戻ってくるだけではないか、と。だとしても今はせめて可能なかぎり最善の道を探るしかない。

精神科入院によって奇跡よ起これ。わが心身よ奇跡的に回復してください。ジャストフィットする薬にめぐり合えますように。退院してまた寝たきりでもせめて回復の兆しが宿りますように。神様、どうか、どうか、お願いします。

窓からの夜風が涼しい。恩寵を感じる。ゴルフの打ちっぱなしの音が辺りに響いている。今日は嫌に眠気がする。うとうとしそうになる。神様どうか私に憐れみをください。私の家族を悲しませないで下さい。どうか。どうか。どうかお願いします。憐れんでください。

この世界が残酷であるのはわかっています。それでもどうか、私を回復させて下さい。この疲労と苦痛から救い出して下さい。私たちに憐れみを与えて下さい。ささやかな幸せを取り戻すことをお許し下さい。神様、どうかお願いいたします。どうか。

たとえ重い鬱で、引きこもりで、寝たきりで、一緒に旅行も外出もできず、何も稼げず、何もしてあげられず、負担ばかりかけてしまっても、それでも、この世界からいなくなるよりは、存在し続けていた方が、家族にとってもまだ幸福であると、そう信じられるように、そのために、日々の苦難に耐えていこう。

たとえどんなに惨めで、情けなく、恥ずかしくて、申し訳なくて、済まなくて、男らしくなくて、父親らしくなくて、親らしくなくて、弱くて、ちっぽけで、依存してしまう存在であっても……。

たとえ引きこもったまま、寝たきりのままであっても、少しずつ回復して、少しずつ本が読めるようになったなら、ゆっくりゆっくり時間をかけて、遣り残しているいくつかの本を形にしよう、友たちとの約束として、たとえそれが当初予定していた形とは別物になるとしても、虚無への供物として

5月23日

入院。どうも想像と違った。精神科の病棟が独立して在るのではなく、内科の入院患者さんの中に精神科の患者も混在している形。四人部屋で鬱病患者は自分一人。

ドクターから「まずはとにかく休む」と言われ、ひたすらベッドで横臥。正直これはつらい。自宅のひきこもりのつらさと変わらない。暇すぎて脳みそが蕩けそう。薬の調整をガンガン試す感じでもない。これは困った。鬱病者どうしのコミュニケーションなども全くなさそう。

夕方、低血糖のような、あるいは、パニック発作のような気配があった。なんだろう、怖い。とても怖い。

1800の夕食、気持ち悪くてなかなか食べられなかった。空腹を感じているのに。吐き気をこらえて頑張って、かなり時間をかけ、途中で休憩して横になったりして、何とか四分の三くらい。苦行だった。

病院のスケジュールに合わせるのが鬱病の身体的にかなりきつい。リラックスというよりもへとへとになる。しかしそれが大事で、生活リズムを整えることなのかもしれない。新しい環境に順応しようとしてバグっているのだろうか。

病院での明日の一日の長さを考えるだけで不安と恐怖をいだく。ほとんど拷問のよう。本当に怖くなってしまっている。不安障害なのだろうか。不安の塊。初の経験かも。不安が高まり、ナースコールを押して、頓服のクロチアゼパムを飲んでしまった(薬はナースさんを通さないと自分の物でも飲めない)

なんだこれ。不安が襲ってくるのが不安。なんだこれ。怖い。怖い。困ったな。頓服、効かないかな。

希死念慮の時のような、コントロールが利かない感じ。強制的な不安。困った。

2100が消灯で、夜の病棟には静謐な気配が早くも拡がりつつも、眠る前の準備の慌ただしさだろうか、ナースコールがずっと鳴り響いている。テレビの音がする。廊下を過ぎる足音。せり上がってくる不安から気を紛らわせるために、夜の気配に耳をすませてみる。

すると夕方のあれも、パニック発作の予兆だったのか。不安障害とパニック障害は同根だとも言うしな。

5月24日

二日目の朝。夜間、寝たり起きたりの繰り返し(四人部屋で排泄介助が頻繁に出入りする)。うーんやばいな。朝になってもずっと不安障害的な不安があり続けている。何だろう、閉所恐怖症のような息苦しさ。窓を開けて外の空気を吸いたいが窓がない。ちょっとこれはやばい。困ったなあ。どうしよう…。

弱めのパニック発作の予兆=不安がずっと続いている感じ。まいったなこれは。頭がへんになりそう。というかもうじぶんはきがくるってしまっているのか?この不安のまま、何もすることのない長い長い一日をどう耐えればいいのか。どうすればいいんだ?

朝食0800から。全く食欲がない。少しだけ食べてベッドに横になる。また起き上がって無理にでも食べる。30分近くかけて、半分ほどで限界。食事も一つの苦行のよう。

ひたすら何もすることのない時間が本当につらい。売店で週刊文春を初めて買った。こんな環境で30日〜40日なんてどうすればいいんだ?ドクターが回診にきて、まずは休養、と言われるが、これは休養になっているのだろうか。わからない。薬の調整はどうなるのだろう。

空腹になる間もなく1200の昼食。楽しみではなくやはり苦行。ねこまんま作戦で、ごはんにお汁とおかずをかけ、胃に流し込む。それでも少し美味しいと思えた。9割は食べられた。

鏡の自分の顔。ギョッとする。痩せこけ、アトピーで浅黒く、肌もガサガサ、白髪もめっきり増えて、半分死んだ人間の顔だった。生きることも死ぬこともできない人間の顔だった。

病院の敷地内を散歩。2400歩。夏の日差し。暇すぎるので、売店で週刊新潮を購入。これも人生初。

ああだめだ、不安と希死念慮が…。やばいやばい。どうしよう。怖い。日中の今からこれじゃ、夜にはどうなっちゃうんだろう。本当にやばい。どうしよう。どうしよう。怖い。怖い。怖い。ああやばい。

頓服のクロチアゼパム服用。気休めかもしれないが。

だんだん夜が近付いて来る。怖い。今夜もパニック発作、不安障害がやってくるのだろうか。怖い。怖い。怖い。ぼくの精神は完全に壊れてしまったんだろうか。気休めの頓服くらいしか逃げ道がない。神様お願いします。安息をお与え下さい。

そうは言っても定時の18時に夕食は来る。過眠で頭痛がひどいが起き上がる。お茶漬け作戦で、頑張ってほぼ完食した。鶏肉の胡麻和えは美味しかったです(魚はイマイチのことが多いです)。

明日の朝食はパンにしてくれるという。毎回ご飯だったから、楽しみだ…そういうささやかな楽しみや幸せを数え上げていくしかない…本当に本当にぎりぎりの場に追い込まれてしまっているから…

5月25日

入院三日目の朝。昨晩は不安やパニック発作はなかった。よかった。ひと安心。朝食の食パンは、思ったより美味しく感じられなかった。

過眠地獄。参っている。ふらふらで敷地内を散歩。しかしそれが終わればまたベッドに戻る。また過眠状態。つらい。きつい。頭がぼーっと、かつガンガンする。しかし昼食の時間がくる。1ミリも空腹を感じない。

四人部屋の同室の、人工透析の男性や100歳近い男性は、わりと入院生活をエンジョイしている様子。少なくとも僕より余程お元気に見える。声の張りもいい。100歳近い男性は、介護付きで食事も出てくるので、こんな贅沢でいいのかしら、と。地獄ではなく天国。こんなにも感じ方が違うのか、と驚嘆。

昼食は幸い食べやすいミートソーススパゲティだったので、完食できた(白ごはん+焼き魚だときつい)。とにかく家では体重がどんどん減っていたので、無理をしてでも病院食を食べようと思った。人工透析の70歳男性も100歳男性も健啖でいつもバクバク完食なんだよな、凄いパワー。

人工透析患者さんや100歳近い高齢の人が相部屋なのだが、ぼくなんかよりずっと元気でコミュニケーション能力も高い。圧倒されてしまう。リハビリや身体介助があるので、おのずとナースさんたちとのやり取りが増えるためもあるだろうが。僕の場合、最低限のやり取りで済んでしまうので。

昼食後、食欲が刺激されたのか、売店で買っておいたマカダミアナッツクッキーも食べてしまった。美味しさを感じない鬱病の味覚にしては、とても美味しく感じられた。嬉しかった。同部屋の人々の健啖な食欲に刺激されたのか。食べる、しかも美味しく、それは生命の基本だよなと今さら。

連れ合いが着替えなどを持って面会に来てくれた。深く感謝している、のに、鬱病の所為で、まともな会話、自然なやり取りすらできない。生命のないニセの自分の機械が喋ってるかのような疎隔の感覚。せっかく面会に来てくれたこと、その感謝を伝えたくて、手に手を重ねた。鬱病が悔しかった。

淋しいなあ。つらいなあ。苦しいなあ。どうしてよくならないのかなあ。焦るよなあ。家族に申し訳ないなあ。本当に申し訳ないなあ。泣きたいなあ。何度も泣いたなあ。どうしてこんな目に合うのかなあ。どうしてかなあ。本当に本当につらいなあ。悔しいなあ。悲しいなあ。心底悲しいなあ。淋しいなあ。

それにしてもまいったなあ。入院は暇と退屈と過眠の拷問で、全然リラックスなんかできないし、ストレスと苦痛が延々と続くだけなんだよな。いつまでこんな状態が続くんだろう。生活環境を変えてメンタルのバランスをとる、というのはわかるんだけど。正直キツすぎる。勘弁してほしい。わかるんだけど。

三日目の夕食。今回はごはん+魚+野菜+果物の「いつもの」パターン。食欲がない。苦戦する。ねこまんま作戦。それでも8割5分はお腹にいれる。苦しくなる。

連れ合いに家から旅行誌(るるぶ等)を持ってきてもらった。ぼんやり暇潰しと夢見にはこれがいいんじゃないかと思って。京都、奈良、関東近郊。もっといっぱい持ってきてもらえばよかったな。とにかく暇だから。暇すぎるから。

ああ、ベッド生活で腰痛(狭窄症)が危うくなってきた…。困ったな。次から次へと。邪悪な神が我を苦しめるために様々な病を押し付けている、というように大げさに考えるくらいで丁度いいのかもしれない、じゃないとやりきれない。

ようやく三日目が終わるのか…30日〜40日の入院というのはちょっと信じがたく果てしなくすさまじくどうしようもなく超絶的に長過ぎて地獄としか思えない…ああ帰りたい…まじにほんとにこれは地獄も地獄…やばいなあ…ちょっとこれはやばい…帰りたい…おかしくなりそう。

いや、きっと、この時間がやっぱり重要であるに違いない…そう信じるんだ…医療を信用するんだ…耐えるんだ…たぶん、家にいると何らかの「意味」に囚われてしまうんだろう…入院はそこから自分を切断し隔離することであり、だから鬱病の自分は今、苦しんでいるのではないか…

相部屋の他の患者さんたちはふつうにリラックスして入院生活を楽しんでるみたいなんだよな、何が違うんだろうな。なぜ自分は地獄のような苦痛を感じてしまうのか。自分の鬱病がちっともよくならないのもその辺と関係しているのか。やっぱり家にいて引きこもりで寝たきりでも「休めて」いないのかなあ。

入院生活を「無意味」と考えてそれに苦しんでいるのか、そこにも何らかの「意味」を見出そうとして脳を疲弊させてしまっているのか。ただたんに「生きていること」(食べる、寝る、排泄する)に充足することが心身を「休める」ことではないのか。他の患者さんはそれができている、僕にはできていない。

まあ、身体系の患者さんたちは次々と身体介護やらリハビリやら検査やら回診やら入浴介助やらがあって、それで退屈しない、ということもあるかな…

「何もしない」を「する」という矛盾的行為が心身を「休める」ことであり、受動と能動が絡み合う「休める」に自分は困難を感じているんだな。予感はしているけど、実践的にそれができていない。入院の時間はその問題に強制的に直面させる。

5月26日

四日目。相変わらず暇と退屈と過眠の地獄(と、感じられている)。朝食後、人気のない日曜の病院の敷地をぐるぐる歩く。3000歩。もうこのまま鬱病から回復せず、引きこもりと寝たきりのまま廃人化する、という予感が強くなる。売店で缶のタリーズコーヒーを買う。一口飲む。またベッドに戻る。

敷地内散歩から戻ったら、相部屋の隣の人工透析の人が、退院していなくなっていた。怪我をして2ヶ月ほど入院していたらしい。

今の正直な気持ち。入院に何かの変化を期待したけれど、何も変わりやしない。全く回復せずに帰宅することになるだろう。そして自宅での日常生活もまた地獄であることに変わりはない。結局引きこもりの寝たきりなのだから。あとは暇と退屈と過眠地獄の中でより悪くなって一層追い込まれていくだけ…。

そうやって早くも絶望してしまっている自分の想定を、医療の力が超えていってほしい。そうしないと、入院前よりもさらにもっと絶望して日常生活に戻ることになる。入院して薬の調整がうまくいった、という当事者の話も結構聞いたんだけどなあ。レスパイトではなくそれを期待して入院を選んだのに。

身体的に変わった点と言えば、便秘ではなくなった。半ば強制的に一日三食の食事を食べているので、お通じがよくなったものと思われる。それは肉体的に健康になったと言えるような。しかし間もなく1200でまた昼食の時間か。例によってまだ全然空腹を感じない。

お昼は案の定8割ほど。その後小まめに散歩。夏の日差し。本日合計6800歩。病院敷地を小回りだと800〜900歩。大回りだと1500歩。多少とはいえ時間潰しと気分転換にはなる。しかし暑い。

看護士さんの話。高齢者は自宅の家族よりも病院の看護師やスタッフのほうが楽しく会話をしてくれるので、病院の方が生き生きしていたりする。やることのない時間にも普段から慣れているので、暇と退屈にも強い。経験値が違う。

看護師さん「何かお困りのことは?」自分「とにかく退屈で暇で…皆さんどうしてるんでしょう」看護師さん「どうにもなりませんね」。貸し出しの図書スペースがある、と教えてくれた。行くと、誰も借りないだろう文学全集など。漫画は『バガボンド』と『ナルト』だけあった。寄付品らしい。

今日は鬱が重いな。食欲もないな。自分の人生の今後を、つらつらとぐるぐると考えてしまう。暗い未来ばかり考えてしまう。

ああ、これはダメだ…もうダメだという気持ちが湧き上がるのをどうにもできない…食事の時間なのにベッドから起き上がれない…鬱が重い…同室の100歳近い高齢者はいつもモリモリ食べて完食してるのにな…元気だよな…もうちょっと横にさせてほしい…ダメだ…。

四日目の夕食、エビピラフとおひたしを何とか9割食べた。サラダは残した。勢いで、売店で買ってあったフィナンシェも食べた。

相部屋の四人部屋、どんどん人が入れ替わる。退院だったり、部屋が移動になったり。隣、人工透析で半ば寝たきりの人が退院し、部屋で倒れて救急車で運ばれてきた寝たきり点滴の人が来たけど別の部屋に行き、今は90歳近いちょっと認知症気味の男性。痰がずっと絡んでいる。時々奇声。

心身ぼろぼろで死にたいのに死ねない。絶望しつつも回復の奇跡を手放せない。その最終的な根拠は自分にとって家族のため、家族に恩を返すため、のようだ。自分は思った以上に保守的な人間だった。と気付いた。しかし家族のために生きる、は、家族の迷惑が嫌で死ぬ、とも表裏一体だから要注意だろう。

この入院の果てしない暇と退屈を経て、鬱病が少しでも回復するなら報われるのだけれど。今は正直、何も変わらずに徒労と絶望を深めるだけ、と予感してしまっている。レスパイトではなく、薬の調整のための入院だったはずなのに。迷いがある。不信がある。それとも両者は連続しているのだろうか。

こうなればいいな、という可能性がどんどん消えて、手も足も出ないところへと追い詰められていく。諦念と無力感がさらに募る。すっかり、すっかり疲れきっている。はてしなく、もう、くたびれてしまった。どうすればいいのかな。もうどうにもならないのかな。早く帰りたい。無の場所へと。

5月27日

入院5日目。この4日間は暇と退屈が苦痛で、薬の調整の話も全く出ないので、巡回に来たドクターに思いきって「薬の調整のために入院したはずなんですけど」と尋ねてみる。ドクターによればむしろ、なぜ鬱病になったのかの「状況整理」を行うことが優先だと言う。その方が本人に合う薬も見付かりやすい。

薬ではなく生活習慣の改善や認知行動療法の方がよいかもしれない…と。ショックを受けた。というか混乱している。薬の調整のために入院したはずなのに。入院による薬の調整に最後の希望をかけていたのに。薬を絶対視しない医療方針なのかもしれない。逆に言えば自分が薬を絶対視してしまっているのか。

その後、近くにいたナースさんが助言してくれた。慌てないこと。鬱病の薬は時間もかかる。ドクターたちは杉田さんのことをまだよく知らない。知らなければ治療もできない。暇で退屈な時間によってどう意識が変化するのか、それも含めて治療の過程。こんな時だからこそ、大きく悠然と構えた方がよい。

入院期間リミットは40日なので、先生たちもなるべく早く対応法が決まるように努力している。それを忘れないでと。ナースさんの助言で冷静な視点を少し取り戻せたが、混乱とショックはなかなか消えず。どうしたものか。どう考えればいいのか。追い詰められ、薬調整に希望を託しすぎたのか。わからない。

病院内敷地をぐるぐるウォーキング。3300歩。昨日から図書スペースで借りてきた『バガボンド』を暇潰しに読んでいる。

物書き(フリーライター)の仕事をしていた時もまた、仕事で読んだり書いたりする時間を除けば、ほぼ引きこもり生活だった。鬱病で読み書き仕事ができなくなり、それはそのまま引きこもり生活になり、そして寝たきりになった。ある意味でそれは必然と言える。薬の調整がどうあれ、生活習慣をどうするか。

鬱病という病からの回復と、これまでの生活習慣(そして認知の癖)の改善とは、ワンセットなのだろうーーとはいえ正直、具体的に何をどうしたらよいのか、今はまるでわからないのだけれど。必然としての引きこもりの寝たきりからどうやって抜け出るのか、という(自分にとっては)難題。

ああ、五日目の今日は心がアンバランスだな。不安。家に帰りたいという思いが強いな。明日はせめてドクターとの面談があってほしいなあ。何も無い、暇と退屈だけの、軟禁状態のような日々にうんざりしてしまった。何の進展もなく、希望も光明も見えない日々に疲れてしまったな。ほんとに疲れたな…。

ああ、ちょっと今夜はメンタルが良くないな…。頓服のクロチアゼパムを飲んだ。気休めでもいいや。

今のところ、担当ドクターとは入院初日の面談と、二日目と五日目の朝の巡回でほんの二〜三分、会話しただけなんだよな…。明日も巡回だけなのかなあ…。せめて面談の時間がほしいなあ…。何らかの手応えがほしいんだよな…。安心させてほしい…。

5月28日

暗黒路線で考えると、自分の人生は詰んでいる。鬱病の引きこもりの寝たきりでどんどん衰弱していくだけ。もう本も書けない。虚無の人生。死ねないが生きてもいない余生。貯金がみるみる減って追い込まれ、家族の負担と重荷になる。しかし自死はできない。家族に暗黒を残すから。ではどうするか。

入院から退院して帰宅しても、今の感じだと、自宅での日常生活が地獄であることにも変わりない。結局引きこもりの寝たきりなのだから。あとは過眠地獄が続くだけ。完全に終わってしまった人生。

鬱病から回復せず、貯金が尽きたとしても、生き恥をさらして、他の家族親戚に土下座してお金を無心する、という手も残っているのかもしれない。それくらいはやるべきなのかもしれない。

ぎりぎりまで、家族や親戚にパラサイトしてでも、命だけは永らえていくしかない。どんどん悪くなっていく心身の苦痛に耐え続けるしかない。耐える。耐え続ける。苦しみに耐え続けるだけの、残りの人生。余生。どんなに死にたくても死にたくても耐えること。安楽生は無理でもせめて尊厳生を。

鬱病からの回復/寛解というものを全くイメージできない。どうしてだろう?これだけずっと寝て、休んで、耐えて、入院までして、どうしてちっともよくならないのだろう?イメージさえできないのだろう?自分を回復させてくれる薬に期待するのは間違っているのだろうか?つらい入院生活になってしまった

うつ病の場合、万事が「苦痛」というよりも「苦行」になる。「苦行=疲労」になる。着替えや歯磨きも、トイレも、食事も、お風呂も、日常生活の万事が「苦行=疲労」になる。だから何よりも平穏な安息を望む。鬱病者のこの感じをわかってもらえるだろうか。

うつ病から性急に回復したいという焦りは、手っ取り早い安楽(死)への憧れになり、また医療不信や懐疑的な諦念にもつながる。焦らないとはおそらく、回復への焦りを何とか手放すことで回復に近づく、という逆説的行為なのだろう。うつ病者は焦ってはいけない、という教訓は重層的な意味を含んでいる。

とはいえ、日常生活の万事が「苦行=疲労」になってしまっている中で、安楽や安息への憧れは、ぎりぎり、その人の命を生の側に繋ぎ止めるフックにもなっているので、用量用法に注意とは言え、大事にしなければならないようにも思われる

前にも何度か書いたけど、しにたい、消えたい、安楽になりたい、と言葉で口にし続けることで、何とか生の側に踏み留まる、という日常の技法はとても大切だと思うし、生と死の矛盾を孕んだ「命」の本質に根ざしたものだとも思う。

5月28日

入院六日目。昨晩は蚊に悩まされ、あまり眠れなかった。朝からメンタルの調子が悪い。抑鬱的な気分。うっすらと希死念慮。食欲なし。ベッドに横たわって動けない。体が動かない。天候と気圧のせいもあるのだろうか。

1100から一時間の面談=精神療法。今までの人生を事細かに聞かれ、話す。自分の虚無感の根にあるものをめぐって。情報収集でありそれ自体が治療の過程だと。今日を含め火水木の三日間行うという。しかし正直、鬱病治療になっているのか、まだよくわからず。

その後の金土日月は、4日連続で面談などの予定は何も無い日になるという!また放置時間!考えただけでもぞっとする。地獄の予告のように。しかし逆に、なぜ、無意味な時間をそんなに自分は怖れるのか。何もしないことに耐える練習、意味の無い時間を生きる練習が大切なのだろうか。しかしやはり厳しい。

ああやっぱりつらいな。つらすぎるな。考えただけでも鬱が悪化する。「何も無い」(虚無)に耐えるという入院の時間は、たとえそれも含めて治療の一環であるにせよ、自分にとっては過酷で残酷すぎるよ。面談=精神療法がどんな風に薬調整や治療に繋がるかもまだ何も見えない。

ベッドの上で無限に永い時間に押し潰され、暇で暇で暇で暇で死にそうである。しかしその暇の中にも、自分は何らかの「意味」を求めてしまっている。だから余計に苦しいのだろう。だから心身を休められないのだろう。

鬱病からの回復/寛解というものを全くイメージできない。どうしてだろう?これだけずっと寝て、休んで、耐えて、入院までして、どうしてちっともよくならないのだろう?イメージさえできないのだろう?自分を回復させてくれる薬に期待するのは間違っているのだろうか?つらい入院生活になってしまった

あーあ、スイッチを切り替えるように早く安楽になりたいなあ!これ以上もう苦しみたくないなあ。でも耐えるしかないなあ。鬱病は苦しいなあ。つらいなあ。もう嫌だなあ。ああ、苦しいなあ!!早く安楽になりたいなあ!!

隣の部屋では毎晩、おばあさんたちが集まって、消灯の時間まで楽しそうに井戸端会議をしている。病人同士の共感もあるのか、本当に楽しそう。男性たちは看護士さんと仲良くしているが、男性同士の繋がりはほとんどなさそう。

5月29日

入院七日目。今日は午前中、ひどく調子が悪い。抑鬱的な気持ちが強い。周りの気配や物音一つに不安を感じる。ベッドを倒して横になったままずっと動けなかった。朝食、昼食も半分ほど残す。相部屋の人々はどんどん入れ替わっていく。無理せずもう少し休もうと思う。

1400〜1515、主治医との面談=精神療法。1545〜1645、連れ合いが諸々を持って面会に来てくれた。たくさんのことをしゃべった。そして色々と考えた。これから考えなくちゃいけない。

あらためて、僕の鬱病の根幹には、自分の書いた本や仕事の全てが無意味だった、という虚無感があるようだ。問題はなぜそう考えてしまうか、ということである。生育や家族関係にも由来するのだろう。自分のささやかな仕事や行動は決して無意味でも虚無でもない、ということを心底から感じられるのでなければならない。

たとえば入院中のベッド上でも、そこには小さな活動や行動が様々にあり、それらは決して無意味ではないはずだ(が、そう感じられない、故に過剰に暇である)。特権的な文化社会的な活動のみに意味があり、それ以外は無意味と感じてしまっていること、そうした歪んだ認知と行動規範があるように思う。

やはり、全人格的な、一度死ぬような(思考や認知の奥底の)価値観の転換が必要なんだろう。それを言葉にするのは簡単だけど、実行するのはきっとたいへんに難しい。ある意味では人格そのものを変えないといけないのだから。

じつは、薬が全てを救う世界とそうではない世界、薬がすごくよく効く世界と薬が合わない世界、それらは真っ二つに分かれてはいないのではないか。薬にそうした魔法のような力があるだろうか。僕は追い詰められて薬に極端な期待をかけたのではないか、薬が全てを解決してくれると。

それだけではない。僕の症状の中には、鬱病のせいだけとも言えない部分があるように思う。鬱病が改善しても消えない部分。たとえば社会的経済的要因が大きい部分がある(鬱病の引きこもり化)。これからの家族の労働や経済をどうしていくべきか、というような側面と切り離しがたいところがある。

これは薬の意味を否定することではない。しかし追い詰められた人間にはたいへん絶望的にも思える。残酷でもある。人格や生活や習慣そのものの結果としてこうなっているのだとすれば。薬が劇的に鬱病から回復させ全てがうまくいく、というイメージは夢に過ぎないとすれば。どうなのだろう。

入院前は引きこもりの寝たきり生活だった。入院中も似たようなものである。退院後には、また、引きこもりの寝たきり生活に舞い戻るだけなのだろうか。薬の調整はもちろん、認知行動療法や行動活性化療法のような何かが必要なのだろうか。

5月30日

入院8日目。昨晩からヒルナミンという薬を新しく処方された。気分をおちつかせる薬らしい。しかし副作用で今日は朝からひどく眠い。ラジオ体操に参加した。心理検査というのがあった。紙を渡され、木を一本書いて下さいと。色々とそれについて質問された。とにかく眠たい。

眠くてベッドから動けずにいるうちに、段々と不安や抑鬱が強くなってしまった。将来に対する否定的な考えが頭の中をぐるぐるし続ける。起き上がれない。動けない。連日の面談=精神療法で、きれいに片付かない現実の厳しさと難しさを突き付けられたからかもしれない。

1500〜1615面談=精神療法。さらに重たい課題を突き付けられた。受け止めきれない。どう考えればいいのだろうか。ある意味で回復の方法を示された、しかし、今の自分には、その道を行くのは不可能に近いように感じられてしまう。うまく飲み込めない。本当にわからない。

うつ病の長期の苦痛ゆえに、薬が合うことによる一発逆転を僕は望んでしまった、ということなのだろうか。しかし薬物療法はやはり重要だと思われるが、どうなのだろうか。薬がピタッと合って回復した人の話はたくさん聞くけれども。わからない。

どうしても、どうしても不可能な道にしか今は思えない。わからない。わからないな…。明日からは暇で退屈の何も無い4日間に入るが、その間、ゆっくり考えることにしよう…。

想像や予想とは全く別の方向へ来てしまっている。自分は「真実」の重さに耐えきれず、それを否認し、動揺し、慌てふためいているだけなのかもしれない。

5月31日

入院9日目。薬の眠気強く、また鬱が重く、午前中ベッドから動けず。今後の自分の人生は無意味ではないかという想念に相変らず苦しむ。11時に漸く着替えて敷地内ウォーキング3000歩。売店で買物。

精神療法の場で示されたのは、認知行動療法や行動活性化療法の方法だった。僕は、鬱病の疲労ゆえに動けない、まずはそこを薬で治療してほしい、さもなければ動けない、という二段階方式で考えていた。しかし、ドクターによれば、杉田の身体はひたすら休むべき段階ではなく、「動き出す」段階だという。

病気が十分に治ったら動き出そう、というのではなく。スローステップでも動き出すべき。どこへ向かっていくか、目標をどこに置くか、それらを具体的に想定しながら。認知行動療法や行動活性化療法を用いて。薬の力はそのサポートであり、魔法の解決策ではない。

3000歩なら3000歩を毎日歩く、それを徐々に拡大していく。3000歩から4000歩へ、5000歩へ。図書館へ行ったり電車に乗ったり。朝ちゃんと起きる、着替える、昼間はベッドから離れる、そういう訓練をする。頭で考えるより体で行動する。行動活性化し、範囲を徐々に拡大していく。その好循環を生み出す…

しかし今の自分には、それは信じがたいほど困難で不可能な道のりに感じられる。行動に行動、生活訓練に生活訓練を重ねていく形。努力と根性で自己訓練的に鍛えていくハードモード。しかしそもそも、鬱病の疲労で動けない、脳機能的に行動できないからこそ苦しんでいるのに。そこを否定されるとつらい。

3000歩歩くだけでへろへろになってしまうのに、それらの行動を自主トレ的に毎日やり続けて鍛えていく、というイメージが湧かない。行動活性化療法や認知行動療法は、ある意味では、鬱病主体の(非)主体性を否認するものに思えた。もちろん方法的に。

そうなると、日々の負荷をかけた行動の訓練が必要になり、回復しなければそれは自己責任で努力不足、ということになる。寝転がって休んでいれば時間が薬になっていつか回復する、という回復物語の真逆。苛酷な自己訓練と自助努力の日々を送らねばならない。それが不可能に思えて、受け止めきれなかった

素人なのでよくわからないが、薬物療法と認知行動療法・行動活性化療法(的なもの)とは矛盾対立するものではないだろうし、補完的な部分があるとは思うのだけれど。

午後、鬱が非常に重くてベッドから動けず。焦ってはいけない、とは思うものの。罪悪感。活性化療法的に言えば、動けないのは自分が怠け者だからでは。怠け者、怠け者。頭が混沌としている。どんどん鬱が重苦しくなっていく。動けない。苦しい。

無理矢理にベッドから起きて敷地内ウォーキング、2500歩(累計5500歩)。やはりかなり気合いを入れないと歩きはじめられない。これを毎日のように当たり前に繰り返して、行動を拡張していくことが本当にできるのだろうか。これもまた焦ってはいけない。

きみはうつ病だから疲労して起き上がれず寝たきりになっているのではないよ、うつ病のせいではなくたんにきみは怠け者だから、努力が足りないからそのような状態で苦しんでいるんだよ、と非難され叱責されているような気持ちになってきて、それで今日はずっと鬱が重くなってしまっている

うつ病発症からもうすぐ半年になるが、出発点に戻ったとは言わないが、五里霧中で何をどうしたらよいかまるでわからない状態であり、回復期などどこへ行ってしまったやら、これからどうなるのだろう、どうすればいいのだろう、何時になったら人間的生活が帰ってくるのだろう、呆然自失とするばかり。

世界から疎外され、社会から疎外され、医療からも疎外されているような気持ちに正直陥ってしまっている。薬の調整で自分にピタッと合った薬が見つかって、脳の病気としての鬱がグッと楽になる、ということはもうありそうにない。無理なく実現可能な希望を今はどこにも見出せない。前途に光が見えない。

薬による劇的回復に期待せず、ひたすら休んで眠ることによる奇跡的回復を夢見るのでもなく、実践的にコツコツ「できること」を増やしていく、ということ…夢も希望もない現実的な過酷さ。そのような長い長い時間に自分が耐えられるとは思えない。金銭的基盤もない。絶望しかない。

自分のうつ病をめぐる現実に直面すれば直面するほど、夢や希望なんてものはないんだ、と思い知らされていく。今は混乱し悲観的になっているだけなのだろうか。しかしもうさすがに疲れ果てている。何かをまともに考える気力がない。進むべき方向を選ぶ意志の力も残っていない。

よくなりますように。回復しますように。寛解を迎えますように。うつヌケしますように。もう一度、生きることの楽しさと喜びを心から感じられますように。どうかどうか神様お願いいたします。

昼食のあと、こっそりトッポを食べた。売店でお菓子を買って、食後に時々食べている。娯楽のためでもある。拷問のような入院生活の中、かすかな生きがいのためでもある。糖尿病食ですら完食できないので、ますます痩せてしまうので、カロリーを摂ってそれを防止するためでもある。

ほんのささいな、ささやかな、小さな小さな喜びを積み重ねていくことも、行動の活性化につながるのだろうか。そうであると思いたい。その先に回復もあると信じたい。

6月1日

入院生活の中で少しづつ自分のうつ病の実態(?)が見えてきた気がするが、それは、入院前に想像していたよりも、さらに悪いものだった。救いがない。回復のイメージもない。受け入れがたくてそれを否認しようとしているが、ベッドの上で考え続けているうちに、だんだん逃げ場がなくなってくる。

しかしいまもまだそれを否認しようとする自分がいる。薬物療法による回復は、そこまで「限定的」「補助的」なものなのだろうか?きちんと自分に合った薬を調整することに期待してはいけないのだろうか?薬の内容をいちから見直すことはできないのだろうか?だめなのだろうか?

6月1日

入院10日目。午前中、希死念慮強め、鬱重し、二度と物書きの仕事ができず、周りから置き去りにされていく、という焦燥と虚無感。それらで消耗し、ベッドから動けず。回復のために休んでいるという言い訳もできず、時間をただ虚しく浪費している、という自己嫌悪。

鬱が重い時は鬱が重いまま、動けない時は動けないまま、こればっかりは仕方ない。言い訳も理屈も罪悪感もいらない、身を横たえて休むしかない。ただ休もう。

ベッドで体を動かし、ふと安楽な体位に落ち着く瞬間にだけ、ほんのわずかに慰めがある。

昨日に引き続き、心理検査というのを受けた。

敷地内散歩3200歩。連れ合いが面会に来てくれた。着替えなどの交換。その後、昨日までの3回の面会=精神療法の内容を伝え、少し話し合う。

行動活性化療法/認知行動療法的な考えによれば(?)、薬の調整で一気に良くなることはない。ずっと寝ていれば脳が休まって回復するわけでもない。タイミング的に、目標を見据えて行動を活性化していくべきと。それは不可能なハードルの高さに思えて、戸惑ってしまった。この間鬱々としていた。

しかし、ハードルを必ずしもそこまで高くする必要もないのかもしれない。例えば1000歩ではなく百歩単位でもっと細かく刻めばよいのではないか。あるいは、できた/できない(百か零か)でジャッジするのでもなく。目標に向かっていく意志が大事なのではないか。時間をかけて焦らずに。等々と話す。

夕方3100歩歩く(合計6300歩)。暑い。こうした蟻のような歩みが未来の回復に通じていてほしい、という祈るような思いと、全ては無駄で無意味であり、さっさと諦めるに如くはない、という残酷な諦念と。それらが絶え間なくせめぎ合う。医療に対する基礎的な信念が必要なのだが、糖尿病の時とは異なる

最後の頼みの綱のように、入院と薬の調整によって一気に回復へ近付けると期待していた人間にとって、日々の苛酷な訓練=活性化によってコツコツ努力し続けるしかない、しかもそれがいつどこまで回復に繋がるかわからない、という現実を突き付けられることは、いったん心を折られるには十分であるだろう。

焦らずに耐えれば時間によって自ずと回復します、誰もが必ずある程度の寛解に至ります、どうかそう言ってほしい……。

回復や寛解までに今から10年、20年(70歳!)かかるのだとしたら、それはもう、なんというか、なるべく速やかに安息の地へ向う決断をするよりほかに無さそうにおもえる。

回復も寛解もなく、社会からも生命からも根源的に疎外された今のゾンビのような苦痛と疲労ばかりの苦行的状態が延々とどこまでも続くのだとしたら、さすがにそれは安楽と安息の世界に逃げ去ることも(申し訳ないが)許されるようにおもわれる。

やっぱりもうダメなんじゃないかな。救いがない。回復や寛解のイメージをどこにも見いだせない。退院しても、引きこもりの寝たきりの生活から抜け出せないんだろうな。疲労と苦痛に負けてじわじわと廃人化していくんだろうな。死ねないことがかえって地獄なんだろうな。ご免なさい。申し訳ないよ。

いや…それでも、小さな日々の行動(活性化)を反復して繰り返すうちに、ちょこっとずつちょこっとずつ変化はあって、大文字の回復や寛解はなくとも、部分的なささやかな回復はあったり、ちっぽけな寛解が訪れたりはするのかな…わかんないけど…どうなんだろうな(でも)(やっぱり)(しかし)

そもそも「完治はなくとも寛解はある」「回復とは回復し続けること」なのだから、純粋で完璧な「回復」「寛解」を夢見るのはそれ自体が自己矛盾である、とはわかっているけど、悪くなっていく一方の今の生の中にももしかしてその断片的で破片的な可能性を見出すことがじつは可能なのだろうか。

6月2日

入院11日目。午前中、鬱極めて重し。身動きできず。突然、高齢の母親に対する罪悪感で押し潰されそうになる。この年で鬱病になって。心配かけて。入院までして。お母さん御免なさい、ゆるして下さい。そう心の中で謝罪し続ける。期待にそえなかった。だめな息子だった。本当に御免なさい。

午後も鬱々の調子が良くない。天候のせいもあるのかな。なるべく何も考えないように、なるべくぼーっとする。『バガボンド』を読み終えてしまったので、図書コーナーから今度は『ナルト』を借りて読んでいる。なるべく何も考えずに。先日持ってきてもらったラジオ&CDプレイヤーは壊れていた。

足掻いて藻掻きながら、鬱病治療をはじめて間もなく半年になり、ひたすら虚無の時間だったが、焦らずに、これからの半年も似たような虚無だと受け入れて、それでも何かがゆっくりと変わっていく、その時々が自分の人生の現在地=到達点と信じるしかないのだな、新しい世界観を手にするしかないのだな

治らないなら、元通りになれないのなら(そして死ぬのではなく生き延びていくのなら)、新しい生き方や世界観を発見し創造していくしかないんだろうな、命と見立てた物書きの仕事を奪われても、それが死ぬよりも苦しく侘しいとしてもーーこの世の沢山の人たちがそうしてきたように

鬱病になると社会から置き去りにされ、世界から疎外され、生命そのものから切り離されたように感じられるのだが、それでも、天に根ざし、土に根ざし、自然に根ざすような感覚の中で生きられるのだろうかーー無限に不幸でありながら、無限に今ここで自由であれたりするのだろうか。

今日も虚無な一日が終わっていく。明日も明後日も、一ヶ月後も半年後も、虚無の日々が過ぎていく。しかし虚無とは、意味/無意味の価値を超えた何かなのか、とふと思う。幸いなことに、眠りだけは安息として訪れる。悪夢も見ない。夢もない睡眠中のような虚無。それは無意味とイコールだろうか。


6月3日


入院12日目。午前中、鬱極めて重し。ベッドから動けず。未来の可能性が全て閉ざされ、暗黒に感じられる。もう二度と何も無い、と。同時に、過去の人生の選択肢を悉く誤ってきたような悔恨。もう決して未来は来ない。何かに対しずっと謝罪している。ごめんなさい。申し訳ありません。許して下さい。

午後の散歩。3600歩。中学校の喧騒や鉄道の音から切り離された孤独な虚無の徒歩。疲労の中を同じ場所をぐるぐる歩く、その一歩一歩の虚無の中に、意味と無意味の違いを超えて、神的なものの永遠性が宿るのではないか、という直観がふと降りてくる。ほんの一瞬だけ。

自分は鬱病である面で死んだ。壊れた。不可逆的に。二度と元の自分には戻れない。通院から半年経つが、まだその事実をうまく腑に落とせないでいる。元に戻りたい、戻れる、と夢見てしまう。そんなはずないのに。そのギャップによって鬱を悪化させているように思われる。

面談など何も無い日。今日は午後以降も鬱が重い。油断すると、もうだめだという希死念慮の暗黒に全身を呑まれそうになる。また少し敷地内を歩く。2300歩(合計5900歩)。ぽつぽつと雨。図書コーナーで借りた『ナルト』をずっと読む。

他の患者さんの関係で別の四人部屋へ引っ越しになった。ベッドや台をまとめて移動。左右が反対になって何だか落ち着かない。

今日からレクサプロ(SSRI)という抗うつ剤を夕飯後に飲むことになった。どうなるかな。

薬に対して自分の中に矛盾した感覚がある。薬に期待したい、薬が心身にピタッと合えば楽になるはず。他方では、薬恐怖症があり、様々な副作用を恐れており、薬を使わずに済むなら一切の薬から解放されたい。どっちの思いもある。

たった半年前までは家族で頻繁にドライブしたり旅行したりしていたんだ、ということを思い出すたびに、たった半年!と信じられない思いがして、それができなくなった今の自分を思って、ものすごく、ものすごく悲しくなって、アラフィフだけどひとりしくしく泣いてしまう。孤独で、淋しくて、侘しい。

悲しい。淋しい。慰めがほしい。

何もせず、体を横たえ、ひたすら眠って、無為を過ごしても、それが緩やかな心身の回復につながるはずだと信じられていたなら、まだ救いがあったのだけれど、それが信じられなくなってしまったので(活動化させた方が良いのであれば)、自分が何もできないことがますます罪深く感じられるのだった。

6月4日

入院13日目。連日の重い抑鬱や希死念慮を今日は感じず。今日もまた、面談などの用件の何も無い日。これでいいのか。入院の意味に依然として懐疑が残る。暇と退屈がキツく過眠気味。同部屋には明日から人工透析を始める人、脂肪肝で入院した人など。ラジオのようにそれらのやり取りを聞くともなく聞く。

うつ病は身体からの「生き方を変えろ」「価値観を変えろ」という最後のメッセージだと言われる。脳が誤作動を起こすほど無理を重ね、自分で自分を追い込んできた。しかし、うつ病と共にあるような価値観、完治し得ないうつ病者であることが新たに開く価値観とは、どんなものだろうか。うつ病文化とは。

ある当事者の人が、鬱病になる前の自分には戻れない、のみならず、戻ってはいけない、と書いていて、ハッとさせられた。鬱病者の壊れかけた脳だからこそ創造できる表現、新たな価値観があるんだろうか。華々しいものやパッと明るいものではなく。

6月5日

入院14日目。午前、心理検査の結果が出る。現状に対する規範(目標)が高すぎて葛藤するタイプ。自分の思考回路にがちっと閉じ込められ動けなくなっている。その外側に触れ(ラジオ体操やレクリエーションでも)、動きを作ること。達成目標を簡単なものにすること。みたいなことを心理士さんに言われた。

散歩合計4800歩。1400〜1500ドクターの面談=精神療法。1600連れ合いの面会。入院中にしては珍しく人と話す時間が多く(と言っても合計2時間足らずだけど)、何だか疲れてしまった。疲れて眠くてうまく話せず、連れ合いには悪いことをしてしまった。

自分は本当に「意味」に取り憑かれているんだな、と入院中にあらためて思い知る。全ての物事を意味があるか無意味かで判断してしまう。その結果、大事なものを沢山削ぎ落としている。その反動として、自分の人生が無意味に感じられ、虚無の奈落に落ちている。

疲れた。入院の時間が耐えがたい。何もすることがなく、何も出来ることのないこの圧倒的に無意味な時間が耐えがたい。しかし考えてみれば、家に戻っても、鬱病で寝たきりの時間が続くだけであり、圧倒的に無意味であることにかわりはない。でもなぜ無意味は耐えがたいのだろう。

6月6日

入院15日目。昨日辺りから腰痛の調子が不穏。朝から何もかも不安に感じる。今の我々家族の暮らしは複雑なバランスの上に成り立っている。何かあればすぐに崩れてしまう。高齢の両親がいま病気で倒れて介護や通院が必要になったらどうしよう、という不安に苛まれる。午前中は動けずベッドで過ごす。

午後、精神科のグループワークに参加。一時間ほど。園芸。病院の一角に植えられたキュウリ、ミニトマトなどの手入れ。と言っても僕は未経験でほとんどできることはなし。他の患者さん二人が園芸に詳しい人たちだった。そこに劣等感を覚えてしまう、という典型的な鬱思考。でも息抜きにはなったのかな。

入院の日々によって基本的に私の心身は「ただ生きているだけの生」に還元されている。寝て、食べて、排泄して、医療によって管理され、暇潰しするだけの生。ほんのたまに、ラジオ体操やグループワークや精神療法や心理検査の時間が入る。自分の中で何かが着実に死滅していく。

入院生活は、日常の虚無を生きる訓練なのかもしれない。意味でも無意味でもない非意味=虚無。ある種の鬱病者は、虚無との折り合いを付けて生き延びる技法を必要とするのかもしれない。花鳥風月の気配をかすかに感じられるだけで、生きるに値する生。無意味がつらい、というのは何かが間違っている。

無意味がつらい、という感覚からいかに解放されるか。いかにそれを解脱するか。無意味がつらいのは意味に過度に囚われているからだろう。病院であれ自宅であれ、終わりなき虚無を活性的に生きよう、という反復的な意志がどこかで必要なのではないか。

6月7日

入院16日目。何も無い一日。全くの「無」の一日。生存することの虚無に慣れるための訓練。腰痛引き続き不穏。院内敷地の散歩7200歩。暇潰しに『ナルト』やネットで無料の『グラップラー刃牙』を読んでいた。

地球から見棄てられたように淋しい。今夜はひどく侘しい。シャワーを浴びられた。

6月8日

入院17日目。早朝から強めの抑鬱と希死念慮が襲ってくる。自分の人生は何もできなかった、これからも何もできない、無に等しかった…。心の中で死にたい死にたい死にたいとオマジナイのように繰り返すと不思議なことに逆に少し楽になってくる。なぜだろう。やり過ごすしかない。

今日は本当に鬱的な虚無感が強い。人は小さな美しい思い出を宝物のように取り集めて(家族や友人や恋人との何気ない思い出など)、それを胸に死に臨んでいくものだと考えているが、今日は、それらの思い出すらもが虚しく、無意味なものに感じられてしまう。

本当は半年後、一年後、二年後の具体的な将来のことを考えないといけないのだけれど、将来のことを考えると暗鬱で悲観的なイメージに強くとらわれてしまう。正直今はまだ何も考えたくない。でも考えないわけにもいかない。

今日は終日とにかく鬱が重くてどうにもならない。体が動かない。散歩すらできなかった。家族たちの将来への不安。何もできず動けない自分への罪責感。油断すると暗黒に飲み込まれそうになる。

6月9日

入院18日目。日曜日で院内に人気も少なく、静かで、平日以上に何も無い一日。暇と退屈と無為にどう抗うか。将来の不安はなるべく考えないことにする。引き続き『ナルト』を読む。終盤のつまらなさは異様だが苦行のように読む。昼食前の時間に散歩、4400歩。曇天。やや蒸し暑し。

昼食後、気分が重苦しくなってきたので、再び散歩。4200歩(合計8600歩)。多少蒸し暑いが曇り空で助かる。

合間にコーヒーとちょっとしたオヤツを売店で買って食べるのがすっかり息抜きになった。ビスケット、どら焼き、煎餅、ミニドーナツなど。鬱々とした気分抜けず。17時過ぎにまた散歩。軽めの1600歩(合計10200歩)。入院中に一日の合計10000歩をはじめて超えた。

自分には何も無い。本当に何も無い。無能すぎる。何もできない。なんの能力もない。労働能力も家事能力もない。自分の存在はあまりにも虚無すぎる。もう取り返しもつかない。恥ずかしい。生きて存在してしまっていることそのものが申し訳ない。ずっと何かに恥じ入り、ずっと何物かに謝っている。

労働能力も家事能力もない、何も無いアラフィフの人間が、それでも内なる優生思想(自分には生きる価値がない)に呑み込まれず、己の無能さを否定せず、何とか生き延びていくことができるとしたら。生きることそのものは恥じ入るべきものでも罪悪感を抱くものでもない、と信じられるとしたら。

6月10日

入院19日目。早朝から鬱が重い。退院後の生活に対する不安。結局何も改善されずの帰宅になりそう。引き続き腰痛あり。鬱が重く体も重いが、何とか気力で午前の散歩3200歩。曇天。ドクターから薬の調整。朝のスルピリドをやめ、夕飯後のレクサプロを半錠から一錠に。

ドクターからは、ベッドに寝たきりにならず、行動の活性化をと言われている。入院中では行動範囲も限られるが何とか工夫する。退院後にも同様の工夫が必要なはずだ。午後の散歩4000歩(合計7200歩)。疲労と無力感の中でも、小さな一歩の積み重ねがいつか鬱病の回復に通ずる、と信じるしかない。

鬱病に対する行動活性化はへたをすると自助努力や能力主義の論理の罠に絡め取られてしまう危うさを感じていたけれど、そんな単純な話ではもちろんなく、伊藤絵美さんも休養と行動活性化は二者択一ではなく試行錯誤の過程でバランスを見出すしかない、と言っているんだな。それはそうだよな。

6月11日

入院20日目。今日も早朝から午前中にかけて、鬱重し。何とかやり過ごす。屋外でのラジオ体操に参加。多少の気晴らし。その後一時間ほどベッドで動けず。散歩3400歩。強い陽射しと炎天のためウォーキングにとって厳しい週になりそうだ。

午後になっても鬱の重さが抜けず、なかなか身動きできず。15時過ぎに何とか起き上がって二度目の散歩。暑さのためあまり歩数が伸びず。2800歩(合計6200歩)。売店でタリーズのキリマンジャロと抹茶オールドファッションを購入。

結局夕方になっても抑鬱が緩まらない。今までの人生の仕事(物書き)の虚無。鬱病後の、退院後の生活の虚無。今はそれら両者の虚無感に苦しめられる。やはり生の価値観の根本的変化が必要。わかってはいるのだが。気分より先に行動を、と3度目の散歩2800歩(合計9000歩)。無駄だとしても足掻いて歩け。

自動思考(認知の癖)としての自己否定や虚無感は、自分を騙す他人の声のようなものであり、それに耳を傾けず、過去でも未来でもない「今」そのものに集中する、今踏みしめている生活上のこの一歩を丁寧に大事にする、ということ。それは虚無ではない。無意味ではない。むしろ「今」に「全て」がある。

たとえば自分が家事労働が苦手でそれを軽視しているのは、日々の生活(ただの生)の営みを無意味なものと感じてしまっているからであり、「今」を蔑ろにしているからではないか。仕事は有意味だが生活は無意味だと。虚無感とは、そうした生活の「今」を無意味と感じてしまう認知の歪みではないか。

その人にとっての「今」に、その人にとっての「全て」があり、その人にとっての「永遠」がある。何気ない生活や暮らしの「今」に。それは「その人にとって」のものであり、他者と比較すべきものではない。「今」は虚無の中にあって虚無を超えていく。「今」を生きねばならない。

6月13日

入院22日目。朝、ドクターから退院の日程の話が出る。最速で来週の水曜日になりそう。結局、入院しても何かが大きく改善されたわけではなかった。薬の調整で劇的に良くなりもしなかった。しかし、そもそも今後の生活をどうするか、という根本的な課題に直面し、考える機会にはなったと思う。

今日も午前中、鬱がずーんと重苦しく、なかなか起き上がれず。散歩できず。歩けず。希死念慮がないだけマシなのか。ラジオ体操には参加した。

退院後の暮らしを考えると不安で鬱が重くなる。昼食後、歩く。4800歩。1400グループワーク参加。折り紙で七夕飾りを作る。することのハードルをぐっと下げる感じで、色々と自分の中で葛藤が生じる。ソーシャルワーカーさんからデイケアの説明を受ける。やはり葛藤が生じる。まだピンと来ていない。

夕方から、退院後の生活についてずっと思いをめぐらせていた。どう考えても、引きこもりで寝たきりの生活に舞い戻る、という消極的なイメージしか浮かんでこない。家事を増やしながら行動を活性化していくことが本当にできるのだろうか。自信がない。でもやらなきゃならない。今は他に道もない。

自分の鬱病メモを読み返したら、5月から入院数日後までは、しにたいしにたいと、嵐のように渦のように自滅的な言葉を繰り返していたけど、今も希死念慮が消えたわけではないが、それほど激しくはなく、また微かにポジティブな事柄も書き記せているので、それは入院の効果なのかもしれない、とは思った。

6月14日

入院23日目。早朝から鬱がとても重たい。もうだめだ、早く終わりにしたい、という気持ちをどうにもできない。退院してこのあと生き長らえても苦しいだけだろう、安楽になりたい、そうした気持ちがなかなかおさまってくれない。今朝は特にきつい。苦しい。

今日は本当に鬱がひどく重い。退院後の暮らしを考えると絶望的になる。無理に決まっている。どうせ引きこもりの寝たきりになってしまうだけ。もうだめだろう。生きていても仕方ない。でも人生をおしまいにもできない。自分にはもう何も無い。虚無の抜け殻になってしまった。

「入院」や「薬の調整」が一つの希望のように思えていたが、それらがそうではなかった、という現実に直面して、絶望的な気持ちになってしまっているのだろう。抑鬱が強いが少し歩く。2400歩。暑さであまり歩けず。ライチサイダーを飲む。

まいった、鬱の重さが抜けない。ベッドから動けない。ウトウトすると鬱がガっと重くなる。なぜだろう。

とにもかくにも少しでも歩く。真夏日できついけれど2800歩(合計5200歩)。経口補水液を摂取。抑鬱的な気分が少しは解消される気がする。

ここ数日ネットで無料の『ワンパンマン』を読む。夕方になっても鬱の重さが解消されず。今日はずっと重苦しいままなのか。つらい。3度目の散歩。夕刻でも西陽厳しく暑さ苛烈。3000歩(合計8200歩)。気力を振り絞っても全て無駄に思えて足が萎えそうになるがとにかく一歩ずつをひたすら刻むしかない。

17時過ぎに四度目の小分けの散歩、2000歩。合計10200歩。一万歩を超えたのは入院中ようやく二度目。早朝から鬱々の重たい一日ではあるが少しずつ歩けるようになってきたのか。こうした行動活性化を積み上げていく先にほんの少しずつの回復があると信じたいけれどどうか。

夕食後に売店で買ったバウムクーヘンを食べた。一切れ300円くらいの。アイスコーヒーとともに。与えられた環境の中で、今はそれが精一杯の贅沢な時間。ああ美味しい、と感じられた。味覚が少しでも回復しているのなら嬉しい。

病院の地下でホタルの鑑賞会があった。儚く幽かな光。

6月15日

入院24日目。連日、朝の鬱がとても重たい。結局、入院しても薬の調整がうまくいかなかった、ということか。もうこの先に何の希望もない。退院して帰宅しても、引きこもりの寝たきりに決まっている。ああもうだめだ、終わりにしてほしい。自分には何も無い。本当に何も無い。虚無だ。どうすればいいんだ。

少しでも気分を快活にしようと、炎天下をせっせと歩く。熱中症や脱水に注意しながら。4200歩。土曜午前で院内も閑散としている。抑鬱的な気分が少し穏やかになった気がする。

昼食後、鬱重し。ベッドから動けず。鬱の波が繰り返しずーんとやってくる。苦しい。息をひそめてこらえる。こうして苦しみの中でまた一日が虚しく過ぎ去っていくのか。そのような無念さもある。

散歩3600歩(合計7800歩)。蒸し暑し。鬱の重い波を少しでも和らげるには、現状ではウォーキングくらいしかない。縋るように歩く。

鬱の重さの中で、今日も虚しく日が暮れていく。もう何のために生きているのかさえわからない。そして退院して「入院患者」という枠組みさえ取り払われたとき、あらためて自分の存在の虚無に丸ごと直面しなければならなくなる。今はそれを不安に感じている。

三度目の散歩、3400歩(合計11200歩)。今日という一日に刻めた痕跡はこのちっぽけな、誰も知らない足跡だけなのかもしれない。日々の無意味さを生きるための訓練。いや、意味でも無意味でもなく、虚無を虚無として活性的に生き延びるための練習。

ただ一生懸命に生きているだけ。与えられた病気と環境の中で、この地球の片隅で、何もできず手も足も出なくても、必死に生きているだけ。そこには意味も無意味もない。生存そのものの輝きがあるだけ。

6月16日

入院25日目。今朝も鬱がとても重たい。どーんと胸に突き上げるような鬱の波が来る。起き上がれず、ベッドの中で悶え苦しんでいる。苦しい。きつい。

重苦しい鬱を緩和するために、無理にでも外を歩く。3800歩。蒸し暑し。しかし部屋に戻ってしばらく経つと、ずーんと重たい鬱の波がまたやって来てしまう。まいった。今日は本当に厳しい。

昼食後の散歩、4200歩(合計8000歩)。全てを無意味な徒労に感じて足が止まりそうになるが、できるだけ一歩一歩の「今」に注意を集中しようとする。過去を悔やまず、未来にとらわれず。しかし部屋に戻るとまた鬱がずんと重くなる。今日はどうしてしまったのか。

夕方三度目の散歩、4300歩(合計12300歩)。暑さで熱中症になりかけた。気を付けないと。

6月17日

入院26日目。今日も朝から鬱が重い。連日でさすがにうんざりする。こんな調子では、入院は一体何だったのか、という気もしてくる。失敗に終わったのだろう。残念だ。薬が効いているとも思えない。この鬱の重さから解放される日のイメージが湧かない。この先、どうなってしまうんだろう。

午前中、ベッドから中々動けず。気力を振り絞って歩くも、2600歩ほどしか歩けず。部屋に戻るとしかし、また鬱の重みがのしかかってきた。

先日、ラジオ体操やグループワークで一緒になった男性は、発達障害で入院中で、普段は睡眠や食事がめちゃくちゃで、服薬もできなかったりするので、強制的に規則正しい生活になる入院はありがたい、と言っていた。何度か入退院を繰り返しているらしい。金銭面はどうしているんだろう?

鬱の波が繰り返し来るので、ベッドで横になっていても、いわゆる「寝逃げ」(睡眠の中に逃げること)もできず、落ち着かずにソワソワし続けてしまう。せめてお昼寝ができれば楽なのかもしれないのに。

お昼ごはんが入院中はじめてのカレーライスで、同室の入院患者さんたちがちょっとザワついた。スマホで写真を撮っている人もいた(僕も撮った)。ビーフもちゃんとビーフだった。一番美味しい病院食だったかも。

また少し歩く。3100歩(合計5700歩)。曇天だが蒸し暑い。今日は歩く気力もあまり湧かず。足取りも重め。その後、ソーシャルワーカーさんが来る。自立支援医療の書類を作ってくれたという。ありがたい。しかし1600を過ぎても鬱がじんわりと重いまま。帰宅後は本当にどうなることか。

何度も繰り返すが(何度もそこに戻って来るが)、退院して帰宅すれば、引きこもりの寝たきりの生活に戻ってしまうだけだろう。その点を自分はまだ甘く見ている。何とかなるはずもないのに。入院の経験を経たからこそ、その事実に対する絶望は大きくなるだろう。入院生活がマシだったと思えるほどに。

しかしここでも一気に何かが改善するという焦り(幻想)は禁物で、もとの通りの引きこもりの寝たきりになるのはひとまずデフォルトであり(と諦め)、そこから少しずつ少しずつ行動を活性化して活動範囲を拡げられるか、回復していけるのか、というふうに考える必要があるのだろう。

いや、引きこもりの寝たきりのこともあるけれど、やはり恐れるべきはコントロール不能な希死念慮に憑依され襲われることだろう。2月と4月に経験して本当に怖かった。そもそも入院を考えるきっかけもそれだった。入院中は控えめだったのでこのまま落ち着いてくれればよいのだけれど。

そう考えてみると、毎朝〜午前の鬱の重さはあれど、希死念慮が穏やかになり、また認知行動療法/行動活性化療法的な努力目標の方向性を示してもらえただけでも、今回の入院には(自分で実感できている以上に)意義があったのかもしれない。退院後にガタッとメンタルが落ちないことを祈る。

自分の過去のツイート/ポストを読み返してみて、はじめてそのような緩やかな変化に気付けたので、その時々の思考の記録を残しておくことはやはり大事なんだなと思った。

6月18日

入院27日目。退院前日。雨天。今朝も鬱重し。退院の不安と、天候や気圧の為もあるか。退院後の外来の予約など。ラジオ体操に参加。心理士さんたちに挨拶。ベッドに横臥するとやはり抑鬱的な気分が強まる。雨のため病院の建物の内部を徘徊するように散歩。3700歩。

午後、夕方になっても抑鬱的な重さが晴れない。頭痛もする。天気のせいもあるかもしれない。気を紛らわすため、小まめに病院の中を歩き回る。4800歩(8500歩)。退院後の生活を思うとやはり不安ばかりがつのる。鬱々が続いて安息が訪れない。今日は一日こうなのか。

だめだ、鬱が重たい…苦しい…ベッドに横たわって目を閉じてリラックスしようとすると、鬱の波が胸の辺りにずんと押し寄せてくる…リラックスできない…きつい…30分でいいから安息と安楽の穏やかな時間を与えてほしい…。

入院以降の記録を読み直して課題をまとめてみたーー自発的に行動を活性化し(適度に休息しながら)、引きこもりや寝たきりにならないようにする。そのためには、意味/無意味にとらわれないようにする。無意味さにとらわれると動けなくなってしまう。意味/無意味ではなく活性化/非活性化で判断する。

自分の鬱病の根幹には、自分の人生、自分の仕事はすべて無意味で無価値だった、という虚無感がある。そして(仕事以外の)家事や日常行動のことをも無意味なものと捉えてしまっている。意味/無意味、能力/無能という価値観の呪縛(自動思考)から解放されねば。

能力主義的な意味という呪縛は、結局、自分の人生そのものを無意味で無価値であると全否定することに繋がる。他者との比較によって自己否定してしまう。意味のあることをしなければこの自分の生は無意味で無価値である、と。

自分の仕事も人生もべつに無意味ではなかった、と心底から感じうるのでなければ。たとえそれらが虚無に思えたとしても。そもそも意味/無意味(人生には能力主義的な意味がなければならない)という考え方のスキーマ自体が間違いであり、認知的に歪んでいるのではないか。

目標(規範)が高すぎて自縄自縛になっている。自分の思考回路に閉じ込められて、動けなくなっている。その外側に触れ(ラジオ体操やレクリエーションでも)、具体的な動きを作ること。達成目標を簡単なものに小分けにすること。小さな一歩の積み重ねがいつか回復に通ずる、と信じること。

日常の活性化された行動の「今」に「すべて」があり、「永遠」がある。そう捉え直すこと。人格レベルでの(思考や認知の奥底の)価値観の転換=更新がやはり必要なのだろう。しかしそれは頭で考えてもダメで、日常の行動を積み重ねて、少しずつ身につけていくべきものだろう。

自動思考(認知の癖)としての自己否定や虚無感は、自分を騙す他人の声のようなものであり、それに耳を傾けず、過去でも未来でもない「今」そのものに集中すること。生活上のこの一歩を丁寧に大事にすること。それは虚無ではない。無意味ではない。むしろ「今」に「全て」がある。

鬱病治療をはじめてすでに半年が過ぎたが、焦らずに、これからの半年以降も似たような虚無だと受け入れて、それでも何かがゆっくりと変わっていく、その時々の行動が自らの人生の最善=到達点である、と信じること。新しい世界観を受肉していくこと。

無意味がつらい、という強迫観念からいかに解放されるか。終わりなき虚無を活性的に生きよう、という反復的な意志がどこかで必要なのではないか。意味でも無意味でもなく、虚無を虚無として活性的に生き延びるための練習。

行動の活性化(散歩や買物、外食など)を続けながら、家庭内の家事という役割を徐々に増やし(生活の基盤を再構築し)、長期的には物書きの仕事に復帰する、というイメージ。焦らずに。スモールステップで。デイケアやグループワークへの参加も考慮すること。

6月19日

午前、約一ヶ月(28日間)の入院からの退院になった。もちろん本番はむしろここからで、在宅でうつ病の回復を目指しつつ、引きこもりの寝たきりから抜け出すための試行錯誤が必要になる。正直、不安や諦念の方が強いのだが、焦らずに日々を生きようと思う。

6月20日

だめだ!退院後1日目から、早くも寝たきりに近い生活になってしまった。ウォーキングは(暑さが厳しく小分けにして)しているものの、部屋に戻ると布団にぐったり横たわって、スマホのネットサーフィンでぼんやりしてしまう。仕事のことを考えると強い鬱が襲ってくる。読書もできない。これはだめだ!

とはいえ歩く→休む→歩く→休むの繰り返しは入院時と同じ生活パターンと言える。まずは軟着陸でヨシとするしかない。合計12500歩。しかし今日はまだ曇空で助かったが、梅雨や暑さで今後の歩数は減るだろう。自分には脱水恐怖症がある。何度もひどく苦しみ、救急車で運ばれたこともあるので。

6月21日

物書きとして、書けるテーマがなくなってしまった。何も思いつかない。自分の中は空っぽだ。鬱が回復しないのも、寝たきりになってしまうのも、この「やるべきことがない」「具体的な目標が何も無い」という事態に関わっているように思われる。どうすればいいのやら。何も書けない。もうおしまいなのか。

6月22日

朝の5時頃に目が覚めて、それ以降ずっと鬱がとても重たい。正午を過ぎてもまだ布団から起き上がれない。しんどい。今日はどうしてしまったのか。

……その後、夕方まで鬱が抜けず、結局、ほぼ寝たきりの一日となってしまった。何とか7000歩散歩し、トイレとお風呂を掃除した。連日、スマホでは病みアカの投稿ばかりずっと読んでいる。金太郎飴的な反復の虚無そのものだが、不思議と慰撫される。同胞意識かもしれない。

6月24日

昨日も今日も、全く何も動く気力が起こらず、布団に寝たきりになってしまっている。何もできない。うつ病に逆らうことができない。手も足も出ない。どうにもならない。

横たわっていると、鬱の波が定期的に胸に突き上げてくる。苦しい。つらい。動けない。

やっぱりもうだめなのかもしれないな…何が行動の活性化だよ…ひたすら布団から起き上がれないだけの日々じゃんか…あまりにもひどすぎる…どうにもならない…

夕方、少し気温が下がってから、夕ご飯の買物と散歩。休憩を挟みながら、合計6200歩。夕方からとはいえ、ほんの少しは動けてよかった。休んでから、Cook Doの簡単な夕食を作ろう。ひどい虚無の日々の中でも、できたことを少しでも数えあげよう

ゆっくりと改善されていく側面もあるはずだ。ちゃんとそれらも数えないと。変わらない引きこもりと寝たきりの日々の中でも、良くなった(ように思える)こと。顔と両腕のアトピーが良くなってきたこと。服薬による便秘が解消されつつあること。食欲が少し出てきている気がすること。後は何だろう?

6月25日

今日も寝起きから鬱が重い。布団から一向に起き上がれない。朝6時からすでに5時間半、横たわってうつの重さにひたすら耐えるだけの時間。この苦痛と虚しさを何に例えればいいものか。

結局、朝6時から16時過ぎまで何もせず、何もできず、寝たきりだった。ひどいものだ。自分の人生はもはや虚無だ。そのあと近隣のスーパーまで夕食の買物、プラス少し散歩、5100歩。洗濯物をたたみ、簡単な家族の夕食を作る。やはり多少食欲は回復傾向にある気がする。入院前よりは。

6月26日

9時過ぎに自転車をこいで駅前の銀行へ。国民健康保険料と住民税をまとめて支払う。鬱の身で経済不安に陥る。それにしてもひどく蒸し暑い。帰宅後にダウン。鬱がとても重くなってしまった。また布団に戻る。じっと耐える。今日も寝たきりなのか。暗澹たる思いに押し潰される。

惨めで、無力で、虚しくて、情けなくて、恥ずかしくて、申し訳ない……。

希死念慮は治まっているが、抑鬱的気分と無気力がひどく、朝起きた段階からそれは始まり、午前中から夕方にかけて続く。夕方から夜にかけて少しましになる。夜には時々穏やかな安息も感じる。

本を読めるようになりたい。それでずいぶん違うと思うのだけれど。脳機能よ何とかなれ。

夕方涼しくなったので散歩。合計6100歩。ふと思いつき、コンビニで赤ワインのミニボトルを購入する。鬱病の薬にアルコールはアウトだけど、少しくらい逸脱しても構わないのでは?という気持ちが突然湧いてきたのだった。そういう気持ちがどこかにないとやっていけないのではないか、と。

明日になればその気持ちは消えているかもしれないが、ふと、鬱病から治ろうとしなくていい、なるがままでいい、治そうとあがいてもどうせ治らないのだから、どこまでも付き合っていけばいい、という穏やかな気持ちがやってきた。何かが少し雪解けしたように感じた。気のせいかもしれないけど。

6月27日

午後から通院。今日から、今までの駅前の心療内科から、総合病院の精神科(入院したところ)に変わった。大混雑の院内だが予約時間をそれ程過ぎずに呼ばれた。あっさりした診察で、拍子抜け、というか不安。大丈夫だろうかこれで。しかも次は3週間後とのこと。今後が不安だ。

最近は夕方から調子が上がってくることが多いのに、今日は通院の疲れか、帰宅後に寝込んでしまった。体が熱っぽく少し頭痛もする。午前中も、トイレ掃除と風呂掃除はしたものの、やはり基本的に寝たきりになってしまった。連日の厳しい暑さに体が弱っている感じがする。今日は2200歩しか歩けていない。

お布団がブラックホールのようになってしまったこの寝たきり生活から、二度と抜け出せないような気がしている。

うつ病に理解を持ち、寝たきりで引きこもりの今の自分を許してくれる家族には感謝しかない。なんとか行動活性化と休養のバランスを取りながら、回復の道に向かっていきたい。

同じく一日中寝たきりなのに、何もせず何もできず、暇で暇で、過眠で過眠で、頭がぐるぐるして生き地獄のよう、という一時期のつらさは緩和されたように思われる。何かが自分の中で変化したのだろうか。つらくないというわけではないのだけど。

6月28日

今日も今日とて鬱が重く、布団から起き上がれない。雨の音を聞いているだけ。これでは生きている甲斐がない。消え入りたい。

寝たきりの抑鬱と無気力がひどすぎて、ああもうしにたいな恥ずかしいなというきもちをさすがにどうにもできないままでいて、じわじわとしみいるそのきもちを布団のなかでじいっと虫のようにやりすごしている。部屋の外の豪雨の音だけが慰みのように感じる。

ああ、鬱がきつい、苦しい…せめて何とか睡眠の中に逃げ込みたい…寝逃げしたい…

食事とトイレ以外ずっと布団でぐったり横たわってしまう。無気力と倦怠感。起き上がって活動する気力がわいてこない。そして罪悪感や鬱々とした気分、無力感にずっと苛まれ続けている。そのことにエネルギーを消費してますます動けなくなる。

ああ、だめだ、鬱が今日はほんとにきついな…雨天や気温の変化、低気圧のせいもあるんだろうな…苦しい…

布団の中で寝たきりのまま鬱に耐えているうちに一日が暮れ、終わっていく。何もせず、何もできないままに。悲しい。虚しい。

6月29日

今日も鬱が朝からとてもとても重たくて身動きできない。ずっと布団の上。気付いたら正午を過ぎている。このあとも動けそうにない。あまりにも終わっている。虚無すぎる。これ以上生きていることに意味があるのだろうか(と、考えてしまう)。

あまりにも、あまりにもひどすぎる日々。無力感の中でひたすら横たわっているだけ。手も足も出ない。過眠で頭がガンガンする。もう何のために生きているのか、これでは全くわからない。たんに死んでいないから生きているというだけ。いくらなんでも虚無すぎる。空虚すぎる。

何の情報も頭に入ってこないけど、メンタルを病んでいる方々の病み垢だけは読めるので、ずっと読んでいる。

6月30日

午前中、家の周りを少し散歩した。午後、駅前まで歩いた。モスでポテトを食べた。ドトールでソフトクリームを食べた。本屋で久々に本を買った。コンビニでブラックの缶コーヒーを買った。帰宅、合計8500歩。今できる精一杯の贅沢と行動の活性化。しかし帰宅後はまた布団へ。

昨日はスーパーで買ったカツ丼一人前を完食できたので、やはり食欲は少しづつ復活しつつあるようにおもわれる。

先日購入した赤ワインを軽く二口ほど飲んだら、すぐに良い感じで酔いが回ってきた。半年以上アルコールを口にしていなかったので弱くなっているのだろう。大丈夫そうなら、そのうち135mlの缶ビールを飲んでみたい(まだ怖い)。

帰宅したら久々に読書に挑戦してみようかなと思っていたが、布団から起き上がれず2時間が過ぎてしまった。いつものこと。仕方ない。雨の音の向こう、貨物列車の音がする。

よい点をこつこつ数えること。たとえばスーパーやコンビニに入った時や、テレビを観る時などの、全てが靄がかって疎隔されるような感覚は、若干穏やかになってきたように思われる。テレビで笑ったりもできるようになった。この二ヶ月以上は不眠や中途覚醒などもなく睡眠をちゃんととれている。

7月1日

朝から鬱がめちゃくちゃ重くて今日もまたずっと起き上がれない。天気や気圧のせいもあるだろう。気づけばもうお昼過ぎだ。うう、つらい。ああ、苦しい。いったい何のために生きているんだろう。何のために苦しまねばならないのだろう。

夕方、久々に読書。新書を読んだ。脳機能的に読めるか心配したが、読めた。ほっとした。その後、ぽつぽつ雨の中、夕飯の食材の買物。いつものライフへ。往復3000歩。このあと簡単な夕食を作ろう。でもその前にまた布団に戻って、ちょっと休んでいる。

7月2日

今日も朝から鬱が重くて布団から動けない。しかも今日は格別に鬱が重い。苦しい。もうすぐ正午。だめだ!また夕方まで寝たきりなのか。

鬱は重いままだが、1400頃から読書ができて、昨日に引き続き、新書を一冊読めた。次は単行本に挑戦してみようかな。読めるかな、文字が頭に入るかな。

その後また布団でぐったりしていたが、なんとか起きて夕飯の食材の買い物に行かなければ…

朝・午前中〜お昼すぎ(下手すると夕方)まで、鬱が重くて寝たきりになる、というパターンをなんとかしたい。薬の調整が必要なのか、生活習慣の改善で少しは何とかなるものなのか…

7月3日

今日も午前中動けず。その後、掃除機をかけ、トイレ掃除。高齢の母親と雑談。新書ではなく単行本を読んでみた。読めた。集中力が途切れ200ページほど。今日もライフへ買物。3000歩。簡単な夕食の準備(サクの刺身を切ってモヤシのみそ汁を作っただけ)。連れ合いは職場の食事会で、息子と二人の食事。

今日こそは午前中に動こう、と思っていたのに動けず、自責の念に苛まれた。しかし、焦らないように。一進一退、三寒四温を忘れずに。

7月4日

今日もやはり午前中動けず。暑さでぐったりしている。今日は漫画を読んでぼんやり過ごすだけだった。読書も少しだけ。うっすらとした鬱々にずっと付きまとわれ、何だか嫌な一日だった。何をして時間がすぎたのか、ほとんど思い出せないような一日だった。

7月5日

今日は鬱が朝から重く、また眠く、夕方の今(1530)までずっと寝たきりだった。動けなかった。さすがに罪悪感と羞恥心がひどく、しにたいという気持ちが湧き上がってしまった。なんとか耐えてやり過ごすしかなさそう。

今日はずっと鬱の調子が悪いがルーティンとしてライフまで夕飯の買い出し。往復3000歩。17時を過ぎてもまだまだ外は日差しが強く、暑い。頭痛が少しするが鬱の関係かあるいは脱水気味なのか。念のためポカリを摂取した。鬱々はなかなか晴れず。今日はそんな日なのだろう。

昨日今日などは、一日中ほぼ布団で横になって、ずーっとぼんやりぼーっとしているだけで日が暮れて、鬱々とした気分の重さはあれど、急性期のような頭がオーバーフローしてしまう過酷さはないので、やっぱり多少は回復が進んでいるのかなあ、と自己慰撫することにしてみよう

7月6日

朝から鬱がとてもとても重い。キツい。全く動けない。布団から起き上がれない。連日のこのザマで絶望に落ち込んでいる。いくらなんでもひどすぎる。もうだめだ。これはもう本当にもうだめだ。どうすることもできない。どうすればいいんだろう。

今日は結局、夕方どころか夜まで布団で寝たきりだった。生きているのが嫌になる。

しかし、自己嫌悪はあれど希死念慮もなく生存できているだけで、ひとまず良しとしよう。現状の良い部分を見よう。そのうえで、全く動けない午前中に少しでも動けるように、なんとか創意工夫しよう。焦らずに行こう。

7月7日

今日も寝たきりで何もできないまま一日が終わっていく。もうだめだ、しにたくなる。しかし耐えるしかない。

7月10日

この三日間、基本的に寝たきりだった(うち二日は夕飯の買物と準備をし、また通院が一度あったが、それ以外は何も動けず)。本当に全く何もできていない。とにかく罪悪感や無力感に押し潰されないよう、休養とリラックスを心がけてみる。むずかしいけれど。長い長い長い休暇と思おう……。

7月11日

今日も午前中はダメだった、動けなかったけど、午後は読書ができた。プレシアドの『テスト・ジャンキー』を読んだ。鬱で文字が頭に入らないということもなく。しばらくはリハビリだと思って、無理のない範囲で、色々と読んでみたい。

7月12日

天気や低気圧のためか、1330まで全く起き上がれなかった。鬱が重くて身動きさえできない、という感じ。重力に抵抗できないような。体中が痺れて動けないような。午前中全く動けないというパターンをなかなか改善できない。困った。

その後、雑用を済ませ、三時間ほど読書した。『宇宙開発の思想史』(作品社)という本を読んだ。焦らずに読書=リハビリを続けたい。

7月13日

今日も午前中動けず。全然だめ。1300〜1700オンラインの研究会に参加。楽しかった。しかしその後、鬱がぐっと重くなり、夕食前に一時間ほどダウン。その後も微妙に不穏な感じが続いている。午前中から動けるようになるには、本当にどうしたらいいんだろう。

夜も少し読書したかったのだけどダメだった。焦らず、焦らずと己に言い聞かせる。

7月14日

本日は鬱の調子悪し。1500まで動けず。あまりの動けなさに自己嫌悪が加わる。その後何とか読書。マルクス・ガブリエル『倫理資本主義の時代』を読む。夕食後、また調子悪し。今後の人生への不安。寝てばかりで毎日があっという間に終わっていく。うなだれる。

この先の人生どうなってしまうんだろうか。今はまだ、一日一日を何とか生き抜いて繰り延べることしか考えられない。しばらくは読書のリハビリを習慣づけて…余裕が出てきたら、書くことのリハビリもしていきたい。

7月15日

1400まで何もできず。動けず。その後読書。ピーター・フレイズ『四つの未来』。その後買い出し、夕飯にCook Doの青椒肉絲を作る。サツマイモのみそ汁。夕食後また少し休んだ。

7月16日

連日の雨天と低気圧のためか、鬱が重い。きつい。布団の中。全然動けない。つらい。苦しい。

なんでこんなに動けないんだろう…苦しい…今日はほんとうにだめだ…

16時近くまで動けず、その後、なんとか1時間半ほどの読書。夕飯にシャウエッセン入りの野菜スープを作る。しかし今日はメンタル不調のみならず、何だか体調も不調だった。不穏な一日だった。いつになったら午前中に動けるのだろう。焦らず耐える時期なのだろうと思う。

7月17日

今日は午前中、少し動けた。トイレ掃除、お風呂掃除など。少し前からなぜかカップ焼きそばがすごく食べたくて、コンビニで日清UFOを買って昼食に食べたけど、これじゃない。自分の食欲が望むものはペヤングか、一平ちゃんか。よくわからない。

午後以降は、結局大して活動的には動けなかった。残念。昨日と今日で『宇宙・動物・資本主義ーー稲葉振一郎対話集』を読んだ。どこまで読めているかわからないけど面白かった。自分の勉強不足に落ち込む。今さら遅いけれども。とにかくそれでもリハビリ読書を続けねば…

7月18日

精神科の通院日。睡眠はとれており、希死念慮も今はない。ただ午前中〜夕方動けない、と伝える。主治医からは、このままゆっくり回復を目指すようにと。焦る時期なので焦らないようにと。薬は変わらず。次回は四週間後。帰りにデニーズでパンケーキを食べた。

帰宅後はメンタルの調子いまいち。疲れてしまったか。休み休みの読書。佐々木敦『成熟の喪失 庵野秀明と"父"の崩壊』を読了。

7月19日

今日は(も)調子が悪かった。1500まで動けず。お昼は超久々にペヤングを食べた。おいしかった。読書はチャクラバルティ『一つの惑星、多数の世界』(人文書院)。読み終わらず。夕食に豚肉ともやしとにらの炒め物、キャベツのみそ汁を作った。この何日かお腹が痛い。体調もいまいち。早くも夏バテかも。

7月20日

今日は読書も家事もせず一日ぼんやりしていた。実家で母親と3時間くらい雑談したりテレビで女子ゴルフを観たりして過ごした。暑さのためかやっぱり心身の具合がちょっと微妙な日が続く。人生上の夏休みだと思ってとうめんぼんやりと心身を休められたらいいなと思った。

7月21日

今日も午前中から1500まで動けず、何もできず。過酷な暑さもあるし、ゆっくりのんびり、焦らず焦らずとは思えど、さすがに自分の生活のあまりの怠惰、あまりの懶惰にうんざり辟易してきたのも正直なところ。どうにかならないものか…弱ったな。

7月22日

今日も体が動かず、ひどい一日だった。しかし焦らないように。何も考えないように。

希死念慮は今はなく、抑鬱的な気分も軽くなってはいるけれど、一日の半分(12時間)は寝ているし、家事や読書などの何らかの活動時間も合計してせいぜい二〜四時間程度しかないので、気ばかり焦ってしまうし、日々が過ぎ去っていくのがとてつもなく早い。

7月26日

この四日間、自分でも笑ってしまうほど何もできず(ちょっと読書はしたし、夕飯を作ったりはしたけど)。ずっと寝ている。本当に鬱病のせいなのか、たんに怠け者なだけなのか、もう自分でもよくわからない。

7月27日

なんでこんなに眠たいんだろう。とにかく眠い。異様に眠たい。ずっと眠い。12時間眠ってもまだ眠い。

7月28日

うつ病になってから七ヶ月半、映画をほぼ観ていないので、そろそろAmazon Primeでいくつか観てみようかな…という気持ちになってきたなど(Netflixもディズニープラスも解約してしまった)

7月29日

今日はなんだか体調がいまいちだった。ジジェク『戦時から目覚めよ』(NHK出版新書)を読んだ。揚げナスを作ってソーメンを食べた。映画は結局今日は観なかった。

8月1日

ちょっとずつ、一日の読書できる時間が増えてきた…気がする

8月7日

八月いっぱいはリハビリ的にとにかく読書を続けよう。まあまあの日もあれば、一日中動けない日もあって、調子はモザイク状。

8月14日

鬱病治療をはじめてから八ヶ月が過ぎた。一日3〜5時間ほどは読書できるようになってきた。しかし相変わらず午前中は全く動けない。少しずつ、少しずつ…。

8月17日

一昨日、通院日だった。前回から今回までの四週間、調子がまあまあだったので、減薬になった。が、昨日今日と、調子があまりよくない。減薬のせいか、酷暑のせいか、昨日の台風の低気圧のせいか、よくわからないけれども。三寒四温、焦るまいとは思う。

8月21日

その後の数日、減薬による離脱症状(?)は弱まってきたものの、心身の調子が微妙に落ち着かない。得体の知れない不安があったり、パニック発作的な息苦しさがあったり、頭痛とめまいがあったり。今日は夜になって胃痛と吐き気があった。

8月22日

引き続き鬱のリハビリ的に読書を続けながら、年内には何かしらの原稿を書ければいいなあ、と思いはじめた。心身の調子が今後どうなるかわからないけど、そういう意志が少し戻ってきただけでも前進なのかもしれない。

8月26日

一日一冊くらいのペースで読書できるようにはなってきた。焦らず慌てず。最近読んだ中でいちばんすごいと衝撃を受けたのは石川義正氏の『存在論的中絶』(月曜社)だった。

9月8日

9月〜10月も引き続き読書をリハビリ的にコツコツ続けていこう。あんまりな勉強不足を痛感していることもありつつ…焦らずに…。

9月18日
ここしばらく調子は落ち着いていたのだけれど、この数日時々ちょっとメンタル的に不穏な気配があり、今日の夕方、久々に「あっ、やばい」という鬱の波が襲って来た。ちょっと怖かった。ついでに腰痛(脊椎管狭窄症)の不穏な疼きも来ている。やっぱり油断はせずにゆっくり進んでいかなきゃと思った。

9月24日

病で倒れたおかげで、というか、かつて購入したけど読めていなかった本たちを、色々と読めている。それはありがたいことなのだろう。このまま、焦らずに、地道に読書を続けて、時間をかけて、念願だった大きな思想書の準備をしよう、と思いはじめている。生活費の問題もあるけれど、まあ、なんとかなるだろうと思おう…一年か二年、ひたすら勉強しようかなという気持ちになってきた…。

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