【妊婦編②】救急車で運ばれて、天使ママになる(14~15週)
こんにちは、Hinacoです。タイトル通りの内容なので、今日の記事を書くのは当時の記憶を思い出して胸が張り裂けそうになるのですが、書くことで救われる部分も少なからず私にはあるため魂を込めて書きたいと思います。
2023年11月7日夜頃、腹痛とともに少量の出血を確認する。安定期になると血腫が消えて出血は落ち着くと通院している産婦人科で聞いていたので、「14週なのにこの調子で大丈夫か」と不安が募る。
翌朝、起きて実家のトイレに行くとレバー状の直径1cmあるかないかくらいの血の塊がゴロゴロっと4〜5個程度、ナプキンに転がっていた。前回の入院で出血にはどこか慣れていた部分もあり、案外冷静で「この量の出血だと病院に行かないとな」くらいのテンションだった。
母に事情を説明し、すぐに車で産婦人科医院に連れて行ってもらう。この産院には事前に里帰り出産する旨を伝えていたので、快く診察してもらえた。我が子はエコーで元気な心音を聞かせてくれた。医者からは、再度切迫流産の診断が下される。食事、トイレ、シャワー以外は家事も含めて動かずベッドの上で3日間は絶対安静するよう指示が出た。
どこか、この状況に慣れてしまった自分がいて「この子は強い子。夫も私もこんなに困難な状況で来てくれたんだし、前回の入院も乗り越えたんだし、絶対今回も大丈夫」と取り乱すことなく気を強く持っていた。
帰宅し布団の上で夜まで過ごす。19時前に夕飯を囲んだが、腹痛がひどくあまり食べることができなかった。妊婦になり、悪阻で気持ち悪くて食べられないことはあっても、腹痛が原因でご飯を食べられないことはなかったので気落ちした。シャワーを浴び、22時くらいには床に就いたと思う。腹痛は強弱の波はありながらも、続いていたと記憶している。
日付が変わり、11月9日の明け方お腹が痛くて目が覚める。鈍痛が続き、だんだんと耐えられないくらいの痛みになってくる。6時くらいに起きた母親が私の呻き声に気づいたと言っていた。この時点で病院に連絡すればよかったと今なら思うが、この時はこの痛みがだんだん強くなるとも、これが陣痛であることにも思いが至らなかった。
8時過ぎ、どうにもこうにも痛みが強くなっていく一方でこれ以上痛みに耐えられないなという限界を感じた。下腹部を確認すると、ボコっと盛り上がっていて、今思えば多分赤ちゃんが降りてきていた。両親に病院に連れて行ってと言ったが、もはや自力で歩ける状態ではない。痛みで思考も正常ではなくなってきたのが分かったので、「救急車、救急車を早く呼んで!」と叫ぶように両親にお願いする。
すぐに救急車が到着し、隊員に抱えられながら車に乗り込む。意識があることを確認され、「もう大丈夫やけんね」と隊員に言われる。救急車に乗っていて何が大丈夫なのかは正直わからなかった。昨日診てもらった産婦人科医院に着く間際、股から弾けたように水が溢れ出す。「破水した!」と隊員の声が聞こえる。
救急隊員と助産師さんに担ぎ込まれ、すぐに内診台で先生に診てもらう。「流産が進んどるね。心拍も止まっとる」と告げられる。この言葉を聞いた瞬間、私は獣のように狂ったように泣き叫んだ。「誰か嘘だと言って。こんなにも頑張って困難を乗り越えてきたんだからここで死んじゃうはずがない。9日間の入院時だって昨日だって元気な心音を聞かせてくれた。信じられるはずがない」というようなことを思いながら泣いていたと思う。小さい病院だったので、待合室中に泣き叫んだ声が響いたはずだ。
赤ちゃんはすぐには出てこず一旦ベッドの上に横になる。陣痛で痛すぎてうる覚えなのだが、点滴を付けられて「ラミナリア入れます」という助産師さんの声を聞いたと思う。ラミナリアを入れて割とすぐに「お母さん、力みましょう!」と言われ「うーん、うーん」と力んで経膣分娩で息子を出産した。
救急車で病院に運び込まれて1時間も経たないうちに、11月9日午前9時2分に15周0日で息子は生まれてきてくれた。
出産後、少し休んで胎盤を出すため、また力んだ。その後、医師に診察してもらい子宮が綺麗になっていることを確認される。
ここまでの処理が終わり、助産師さんたちが綺麗にしてくれた息子と対面した。息子が小さい"棺"に入っているのを見ると涙が止まらなかった。80g、18cmと世界一可愛いいとても小さな男の子だった。目も耳も鼻もあり、両手にそれぞれ5本の小さな指が確認できた。私は動けなかったので、救急車に乗って病院まで来てくれた母にお願いしてたくさん写真を撮ってもらった。
関東に残っている夫に電話で流産した旨を告げる。夫は急ぎ飛行機を取って、実家まで駆けつけると答えてくれる。なんて伝えたか、夫がなんて答えたか正直記憶は無いのだが、私は泣き疲れていたのもあって夫への電話では淡々と要件のみ伝えて、泣かなかったと思う。
病院で昼食にとカレーライスとサラダ、ラッシーが出た。悲しいかな、朝食を食べられずつわりもきれいさっぱりなくなった身体は、どん底の感情とは裏腹に栄養を欲していたようで、ペロリと全部食べてしまった。
昼食後、医師に「このまま帰ってもいいし、夕方までこのベッドにいてもいい。一泊入院してもいいけど、ウチは産院だから妊婦さんと同じ部屋にいるのはキツイと思う」と言われた。実家に滞在していたため、夕方の退院を決断した。
ここまでお読みいただきありがとうございました。次回は、死産届や火葬の手続き、火葬について、産後休暇取得について等、事務手続きをどのように行ったかを含めて記していきたいと思います。