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死産届と赤ちゃんの火葬

バタバタしていて、更新が空いてしまいました…。今日は、息子が生まれて火葬までの2日間を中心に書いていきたいと思います。



退院前に死産届をもらい、右側に医師が記入してくれた死産証書欄を見て泣き疲れていたのに、またさらに泣きそうになった。ああ、本当に息子は死んでしまったんだとこの書類を見て現実を突きつけられたんだと思う。

参考:SORATOMO

夕方、父の車に、棺に入った息子と母と乗って病院から実家に帰った。悪露はひどいし泣き疲れていたので、自室のベッドで横になっていた。

12週以降の流産は火葬が必要になるため、仕事を休んでくれていた父が私たちを実家に送り届けてくれた後、市役所まで火葬許可証をもらいに行ってくれた。ただ、死産届が無いと火葬の許可が出せないとのことで、死産届が必要だと知らなかった父はとんぼ帰りして、死産届を書くよう申し訳なさそうに催促する。

後陣痛と悪露が辛くボロボロの中、息子を火葬するために書類を書くなんて拷問を生涯2度としたくないと思った。泣きながら書類を書いて父に渡す。

再度市役所を往復した父は、火葬場の関係で明日か明後日かしか火葬できないから、関東にいる夫と相談して火葬する日を決めるよう伝えてくれた。夫に電話で事情を説明すると、九州にいる夫の両親も行くと言っているから11月11日の土曜日にしようということになった。今となっては、義両親の気持ちが伝わってきて嬉しいが、当時の私は嬉しいなどのプラスの感情が欠落していたので、義両親が来ることについて特に何も感じなかったと思う。

午前中に赤ちゃんを分娩し、疲れ切っていた私は、その日早めに床に着いた。だけど全然眠れない。ぺったんこのお腹を見ると悲しくなるし、つわりがないため、モリモリ夕食を食べれたこともシャワーを気持ちよく浴びれたことも、全部全部悲しくてどうしようもなかった。


少しまどろんだだけで11月10日の朝を迎えることになってしまった。母は一目見ただけで一睡もしていないことが分かったようだが、そっとしておいてくれた。

胡蝶蘭

夕方、花屋で働いている叔母が息子にと胡蝶蘭を持ってきてくれた。私には会わず、母に手渡してくれたようだ。叔母の気遣いは嬉しかったと記憶している。ただ、息子を火葬しないといけない現実が迫っている気がして辛かった。明日土曜日は火葬。息子と一緒の空間で過ごせる時間も後少しだ。

ベッドの上で、息子にできることは何だろうと思い、調べてみるとどうやら後期流産だと骨が残る可能性があるらしい。なので、赤ちゃんの骨壷を『いのりのオーケストラ』で購入した。ちなみに、私が購入したのはこちらです。

ついに、11月11日(土)の朝を迎えた。よく晴れた日だった。父が喪服で出発の準備をしていると、いよいよ息子を火葬しなくてはいけないと思い涙が込み上げてくる。
何度も何度も息子に別れの挨拶をし、最後に手紙を棺に入れる。

夫と夫の両親は、火葬場で父と合流することになっている。私は、産後3日目で悪露もひどく、起き上がるのもきつかったので、母と自宅待機になった。そこで、夫に骨壷を買ったので息子の骨を拾ってくるよう、念を押して伝えた。


火葬を終えた夫と父、義両親は、お昼過ぎに実家に到着した。夫はすぐに私の部屋まで来てくれ「よく頑張ったね。辛かったね」と言って抱きしめてくれた。悪露がひどく髪を丸3日洗えてなかったので、「臭いからやめて」と言っても抱きしめるのを辞めなかった。夫の顔を見たらさらに号泣するんじゃ無いかと思っていたけど、私も息子を産んで全く寝れておらず、夫も憔悴しきっていたので、二人とも泣く元気すらなかった。

夫が「葬儀場の人が温度調整を頑張ってくれて、こんなに息子の骨を残せたよ」と骨を見せてくれた。小さじ1杯くらいはあった。

後から母が父から聞いた話を話してくれたが、夫があまりに泣くので、火葬場の人がかなり頑張ってくれて火の温度を調整してくれたそうだ。また、夫が泣いてしまい中々火葬のスタートボタンを押せず、ボタンを押してから泣き崩れてしまったらしい。
夫にも本当に辛い思いをさせてしまったなと、私が悪いわけではもちろん無いけど、そう思ってしまった。


火葬が終わった日、夫が隣で寝てくれて、ようやくぐっすり眠ることができた。なんだかんだ夫は偉大だなと思った。




お読みいただき、ありがとうございました。次回は、赤ちゃんのいない産後休暇、これからの仕事のことを書こうかなと思っています。



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