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新しい世界へようこそ 〜カルロ・ロヴェッリ著「時間は存在しない」のこと

僕たちは誰もが知っています。かつて人間は大地が平らだと思っていたことを。そして、地球が太陽の周りを回っているのではなく、太陽が地球の周りを回っていると思っていたことを。

でも、それは事実ではなかったのでした。現実は、地球は丸く、太陽の周りを回っていたのです。

それはつまり、昔の人たちは愚かだったということでしょうか。

いいえ。そうではありません。なぜなら、この地球の上に立っている僕らの視点から見れば、大地は平坦であり、太陽は東から昇って西へと沈むと考えることの方が、ごくごく自然なことなのだから。

そして僕たちはごく自然に、時間についてもこう考えています。

時間というものは一定で、過去から未来へと流れるものだと。

しかし、本書の著者、イタリアの理論物理学者であるカルロ・ロヴェッリは言うのです。それは、物理学的には間違っている、と。

それは、どういうことなのでしょうか。

第一部 僕らは時間のことを何も知らない

本書は三部に分かれています。

第一部で書かれているのは、現代の物理学から見た時間の話。現代物理学の観点では、僕たちが当たり前だと思っている「時間」というものの定義がことごとく崩れてしまうのです。

たとえば、僕たちは皆こう思っています。僕にとっての一秒と、今この文章を読んでいるあなたにとっての一秒は同じだと。

それ、間違っています。

また、こうも思っています。僕とあなたは何らかの方法によって同じ「今」という時間を共有できる、と。

それも、間違っています。

著者は言います。時間は「一つでもなく、方向もなく、事物と切っても切り離せず、「今」もなく、連続でもない」と。

え、どういうこと? と思うかもしれません。その理由は、本書を読んでみてくださいね。本書にはこのことが、難しい数式を使うことなく書かれていますから。

でも、以前に少しだけ何がどうなってそうなのかを書いた記事があるので、よかったら読んでみてください。


第二部 時間は「もの」ではなく「こと」である

さて、この第一部を読むだけで目から鱗がポロポロ落ちるのでおすすめなんですが、実は本書が面白いのはここからです。

第一部で述べられたように「時間が一つではなく、方向もなく、連続しているわけでもない」としましょう。だとしたら、僕らは一体時間というものをどのように考えればよいのでしょうか。

このことは、実は最初に述べた地球が球体であることと似ています。

かつて昔の人も思ったはず。地球は丸いのが正しいとして、俺たちはそれをどう考えればいいんだ? って。

まあ、ぶっちゃけ、本書で説明されているように「時間が一つではなく、方向もなく、連続しているわけでもない」としても、それで何かが変わるわけではないのです。

その事実を知ったからといって、明日までにやらなきゃいけない宿題をやらなくていいことにはなりません。残念。過去に戻って犯した過ちを帳消しにすることも、未来へ行ってどの馬が一位になるのかを見て来れるわけでもありません。クソッ。

地球が丸いと知ったからといって、別にそれで空を飛べるようになるわけではないのと同じように。

でも、僕たちはもう、天動説の時代に戻ることはできません。やっぱり地球は丸くなかったです、なんてどこかで誰かが言ったとしても、もうそんなの信じることはできない。

つまり、僕たちはあの時代の人々とは別の世界を生きているのです。

きっと未来の人たちも同じでしょう。未来のいつか、彼らは僕らとは違った時間の考え方を持っている。そして言うのでしょう。「昔の人たちは、時間について素朴な考え方をしてたんだなあ」なんて。

本書の第二部は、第一部で否定された時間についての素朴な考えを取り除いたら、後には一体何が残るのかという話。それは、ある意味で時間というものの本質です。

一言で言うなら、本質は「もの」ではなく「こと」であるということ。この世界に「もの」は存在しないのです。僕らから見れば「もの」に見えるどのようなものも、ミクロの視点から見ると「こと」になる。

世界の本質は「こと」である、というのは、なんだかヴィトゲンシュタインみたいですね。

第三部 「もの」ではなく「こと」によってつくられた世界とは

さらに第三部は、その上で僕らは時間というものをどのように考えることができるのか、という話。

世界のすべてが「もの」ではなく「こと」であると考えたとき、この世界は一体どのようなものになるのでしょうか。

世界の本質が「もの」だと考える限り、この世のすべての「もの」は「過去」の世界に属することになる。

そりゃそうですよね。だって未だ存在し得ない「もの」というのはありえないわけですから。

一方、世界の本質が「こと」だと考えたとき、この世のすべての「こと」は「未来」の世界に属することになるわけです。

なぜなら、「こと」は「動き」だから。止まってしまった、確定したものではないから。

そう言うと、あなたはこう思うかもしれません。「そうかなあ? 世界の本質が「こと」だったとしても、やっぱり起きたことはもう確定した、止まったことなんじゃないかなあ。記憶は残るんだし」って。

本書の中で何度も登場するたとえがあります。それは、トランプのカードをシャッフルするたとえです。

この世界は、トランプのカードが常にシャッフルされている状態だといえます。

僕たちはその中で、最初に見たあるカードの並びだけを「特別」だと思っている。たとえば、赤のカードと黒のカードが交互に並んでいるとか。

そう考えている限り、この世界のほとんど全ては「もう取り戻せない過去」になります。だって、そんな並びがもう一度出来上がることなんて、滅多にあるわけじゃないですから。

ちなみに、52枚のトランプの場合、カードの並びの数はなんと「80658175170943878571660636856403766975289505440883277824000000000000」通りになるそうです。

たった一つの並びだけが特別だと思った場合、同じことが繰り返される確率は1/80658175170943878571660636856403766975289505440883277824000000000000でしかありません。

でも、80658175170943878571660636856403766975289505440883277824000000000000の並びすべてが特別なのだとしたら。

そうしたら、この世界から「過去」というものは消え去ってしまいます。残るのはカードがシャッフルされることで訪れる「未来」だけになる。

なぜなら、どれだけ記憶が蓄積されたとしても、その記憶に「過去」という解釈を与えることは意味のないことになるからです。地球人全員にとって「上」とはどの方向かを問うことが無意味であるのと同じように(日本人が上を指差したとき、その方向はブラジル人にとっては下になるのです)。

終わりに

本書は「過去−現在−未来」という構成になっています。まるでタイムマシンのように。そうして本書を読みながら僕たちは、過去から始まって最後には未来を垣間見ることになる。

といっても、ここまで述べてきた僕の説明では不十分でしょうし、そもそもどこかが間違ってるかもしれません。僕は物理学者じゃないので。

なので、気になる人は本書をご自身で読まれることをおすすめします。


未来を予言することなんて誰にもできないことだけれど、でも、僕には確信している未来があります。

それは、いつの日か、人類はまったく新しい考え方をするようになるだろうということ。

本書は、その可能性の一つだと思います。

つまり、この本は、未来への扉の一つです。

扉を開けると、まったく新しい世界が待っています。

さあ、あなたはどうしますか? タイムマシンに乗り、未来への扉を開けますか?

でも、開けたらもう、前のようには考えられなくなるかもしれません。

時間がどのようなものであったとしても、過去はもう、取り戻せないものなのですから。

そして、僕たちという存在をつくりあげているものは、時間なのだから。

時間は、この世界の束の間の構造、この世界の出来事のなかの短命な揺らぎでしかないからこそ、わたしたちをわたしたちとして生み出し得る。わたしたちは時でできている。時はわたしたちを存在させ、わたしたちに存在という貴い贈り物を与え、永遠というはかない幻想を作ることを許す。だからこそ、わたしたちのすべての苦悩が生まれる。
本書第三部第十二章より

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峰庭梟
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