食べることは生きること
ひとり暮らし4年目。実家を出て自炊をするようになって、自分の食に対する価値観が分かってきた。私は自分のために自分でごはんをつくることが好きだ。コンビニ弁当やスーパーの惣菜はなるべく食べたくない。自分で何かしら手を加えてごはんをつくりたいのである。
手作りのごはんがいい、というのはたぶん実家がその考えだったからだ。母は料理が好きな人で忙しくて時間がないとき以外は基本的に手作りのごはんを出してくれていた。 母自身もスーパーの惣菜などの味付けが濃いものが好みじゃなかったらしい。私も子どものころから惣菜などはあまり食べなかった。母が作ってくれたごはんが1番おいしいと思っていた。
自分がつくったごはんが1番好きではあるけれど、外食が嫌いなわけではない。はっきり言語化するのが難しいが、ジャンキーでチープなものをできれば避けたいみたいなそんな気持ちがある(コンビニ弁当も惣菜もおいしいけど)。4年間のひとり暮らしで夕飯にカップラーメンを食べたことはほとんどない。何もないときに食べれるように、と母が持たせてくれたインスタントの塩ラーメンはまだ残っている。
自分がつくったごはんを食べてほっとする瞬間が私にとってはとても大切な時間なんだと思う。この4月に忙しすぎて平日にまったく自炊ができない期間があったが、そのときも自炊ができないストレスをすごく感じていた。休日になんとかごはんをつくり癒されていた。食べることと同じくらい、おいしいごはんをつくり出すことが私にとってのストレス解消なんだと思った。
ひとり暮らしをして自分で自分のごはんをつくり始めてから気づいたことがもうひとつ。私はその日の気分で食べたいと思ったものを食べたいという気持ちが強いらしい。週末に作り置きをして平日のごはんを楽にしようと思った時期があったけれど、作り置き以外のものを食べたくなることが多すぎてあまり向いていなかった。副菜のみであればいいけれど、主菜はその日食べたいものをつくったほうがいい。
平日に職場でお弁当を食べながら夕飯のことを毎日考える。今日は何を食べたい気分だろう。冷蔵庫は何が残っていただろう。つくれるものの中から食べたいものを決める。家に着いたらシャワーを浴びて夕飯の工程を頭の中で考える。
仕事終わりの自炊は遅くなってしまうと21時ごろにようやく食べ始めということもある。それでも平日に自分が食べたいと思ったごはんを自分でつくって食べることは幸せだ。
休日はYouTubeで見かけたレシピをつくることが多い。少し手間がかかるもの、初めて挑戦する料理は休日がいい。午前中に買い出しを終え、夕方くらいから作り始めてのんびり夜の時間を過ごせる休日なんて最高すぎる。
今日は初めてレシピ本を買って作ってみた。旬の野菜ごとにページが分かれているレシピ本で、まさにほしいと思っていたものだった。旬の野菜をたくさん食べるというのが最近の目標だったので、秋になってからはさつまいもやかぼちゃやきのこを毎週買っている。旬のものはやっぱりおいしいし食で季節を感じられるのもすごく幸せだ。
食べることは生きることで、それはもう愛である、と思っている。
少し前に実家に帰ってごはんを食べた。そのときは仕事が忙しくてあまりちゃんと食べていないこともあって食べても食べてもお腹が空いた。元々用意してもらっていたものを食べても足りなくて、母がなすを焼いてくれた。
なすとピーマンとミニトマトが皿に乗っていた。醤油と生姜が隣に置かれた。生姜はチューブのものではなくてすりたてのものだった。
ひとり暮らしをして3年経った私は、その全部に詰まった母の愛を感じとることができた。なすを焼くだけでも手間なのに、ピーマンも焼いてくれた。ピーマンは種を出すのが少し面倒くさい。そして、冷蔵庫からミニトマトを出してへたを取り洗い皿に乗せた。生姜なんて私はまずこの3年間で買ったことがない。使ったとしてもチューブのものだ。それを母はひとかけらの生姜の皮を剥きすりおろしたてのものを私に出してくれたのだ。すでに夕飯は作り終えた後の追加の料理として。
おいしかった、とても。
WEST.のあじわいを聞いてやっぱり食べることは愛なんだと思った。好きなアイドルがこの曲を歌っているのがうれしかった。同じものを食べることは、共に生活をすること。「おいしそうに食べているところを見ていたい」は愛してるの最上級なんだ。
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