愛と食の話。
愛といっても恋愛に限った話じゃなく、家族間とか友人間、動物との間…そういうもの全部ひっくるめた愛。私は愛の話が好きだ。物語で描かれる愛を感じると泣いてしまうときがあるし、実際に誰かからの愛を受け取ったときも温かくてやさしくて幸せな気持ちになる。
愛は目に見えない。色も形もない。でも、それは食を通して強く感じることができるんじゃないかと思う。(大好きで何度も読ませてもらっている同人誌にだいぶ感化されている)
愛されてるなあと感じるときってどんなときだろう。私は母親が私の好きそうなお菓子だとかパンだとかを当たり前のように買ってきてくれたとき愛されていると感じる。20年以上一緒に暮らしているのもあるけれど、ここまで私の好みを知り、好きそうだなと思って買ってきてくれるのは愛以外の何者でもない。
おばあちゃんは私が一度おいしいと言ったものを何度も何度も作ってくれる。これあんた好きでしょ、と言ってニコニコしながら渡してくれる。もう私の記憶がないくらい幼いときにぽろっと零した「おいしい」だったはずなのに何年経ってもそれを忘れずにいてくれる。
すごくすごくおいしいものを食べたとき、すごくすごく好きな人たちに食べてほしいと思う。おいしそうに食べてる顔を見ていたい。そう思うから旅先で食べたおいしいものはお土産で買っていきたいし、誰か他の人と食べたおいしいものは今度連れていきたくなる。一緒にいるときでさえ、自分が食べたものがあんまりおいしかったら一口あげたりしたくなる。
綺麗に焼けたハンバーグは自分の好きな人に分けてあげたい。ハンバーグに限らずなんでも自分の分はよそに、上手くできたほうを好きな人たちに食べてほしい。
隣で食べている大切な人があんまりおいしそうに食べていたら、自分の分まであげたくなる。私がおいしいものを食べたいと思う以上に今隣にいる自分の大切な人たちに幸せになってほしいと思う。
少し考えただけで食に関する愛はどんどん浮かんでくる。夜中にこっそりふたりで食べるカップラーメンだとか、喧嘩した次の日にも作られている色とりどりのお弁当だとか、半分こずつ食べる肉まんとあんまんだとかそういうのも私は大好き。
好きだとか愛してるだとかの薄っぺらい言葉を飛び越えて私の心をじんわりと温めてくれる。同時に、食と愛が繋がったとき、自分がどれほど相手のことを大切に思っているのか実感できる。それくらい私にとって食べることと愛することは密接なものなのだと思う。
食は生きていくうえで欠かせないもので毎日考える事柄のひとつだから、その一部に組み込まれているような人はまぎれもなく大切な人だ。愛を感じる大切な人だ。
食べることは幸せなことのひとつで、それを大切な人と一緒に味わえたらもっともっと嬉しい。愛に溢れた食をずっと感じていきたい。