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広島で祖母と平和を祈った

じいちゃんが尾道の人だから尾道にはよく行っていたけど、広島市は去年の10/8に初めて行った。

門司港の実家に帰り、広島市の感想をばあちゃんに伝えたら、「今まで原爆ドームにも行ったことがない、いつか行きたい」とぼやいてた。

ばあちゃんとの「いつか」って今しかない。
直ぐに3日後の10/11一緒に新幹線に乗り込んだ。

小学生の時の平和学習は長崎で、私も原爆ドームは初めてだった。

10月でも暑いくらいで蚊にも刺された。
想像する広島はいつも夏で(尾道もお盆に行っていた。車で坂を登り、親戚の家についてじいちゃんの兄弟達に挨拶をして、はとこ達と一緒に徒歩で長い坂を登りお墓参りした後、縁側でバーベキューをした思い出がある)冬の広島の想像ができない。

その日の原爆ドーム周辺は修学旅行生と訪日客でいっぱいで、原爆資料館の中は1cmずつしか進めないくらいだった。

シルバーカーを押す肩を背後から支えながらゆっくりと展示を見て回り、途中休憩しながら1時間以上は見ていたと思う。

残された文字を一つ一つ追って行った。
ばあちゃんはハンカチで顔全体を抑えながら展示を見ていた。本当に苦しかった。

当時、尾道にいた祖父は疎開先の門司港で祖母と出会い、2人とも広島から離れていたため被爆は免れたが、原体験として在る人と語り継がれた自分とでは重さの違いは計り知れない。

こんなこと、どこでだって起きて欲しくない。祈った。一緒に行ってよかった。

巡り終わって渡り廊下にある腰掛けに一緒に座ってた。目の前には修学旅行の巡り合わせで出会った他校の女子生徒と男子生徒が連絡先を交換していた。私はそれを視界の端で見つつ、ばあちゃんと目の前にある木々を眺めていた。10月だけど暑く、木々は青々と力強く茂っていた。


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