痛みのかたち
自分は、どうやら、男性不信のきらいがある。
自覚的になったのはつい最近の話。
ふと、あ、そうなんだ、そうかも。みたいに、答え合わせみたいな感じで、フッと気が付いた。
考えてみれば、それもそうという人生を送ってきたので、書き出しておく。
過去の自分を供養するために。
男性不信。書き出すとやたらに強烈な字面だなあと思う。
元々警戒心が強い方だと思う。ピリピリした視線で見てしまうのが、どうしても異性に偏る……そんな気付きを一言にすると「男性不信」これがピタリときたのね。
とはいえ、私の言い方もあんまりよくない。
ひとえに「男性」と言っても、明確に苦手なのはなんというか、自分という存在がやたらにデカくて、当たり判定がバグっているような人のこと。
極端な話、私がいま「男性不信」と言ったら、自分が男というだけで「存在を否定された」と感じるような人を指している。
それで、なんだ、「存在を否定された⇒攻撃された」になるので、傷付いたこと表明してきたり、反撃(?)してきたり、してくる人たち。
一般論がどうとかはわからないけど、少なくとも私の周りにいる人たちで、同性にはいない。
あるいは、いたのかもしれないんだけど、私が距離を取ったら向こうも距離を取る、ないしは向こうから距離を取る、そうやってドカンとぶつかる前に離れてきたから、いやな記憶として残っていないんだと思う。
異性は怖い。
何気なく言った一言を「攻撃」と捉えて、あとはもうこちらが負けを認めるまで、あるいは向こうが満足するまで、ずっと執着してくる。
「気に食わないことを言われた」ことよりも「この俺/僕に楯突いた」ことに怒っているというか、しかもそこに対して無自覚で、自分の怒りの出処も分かっていないような印象を受ける。
ああ、そっか。なんで怖いと思ってるのか分かってきた。
言葉が通じないんだ。少なくとも、自分視点ではそう感じてしまうから、怖い。
同じ理由で苦手な同性もいる。
もしかしたら、自分は、本質的には話の通じないことを恐れているのかもしれないな。