「奇形の村」02

「チカちゃん。これ」
ヒデタカが取り出したのは一抱えする程大きな本で、表紙にはオオス=ナルガイ周辺地域の生態系が書かれている、という旨の文字が載っていた。ぱらりと開いてみると古びた紙とインクの匂いが鼻についた。随分古い本なのだろう、のどの部分から今にも取れてしまいそうなほどなのに、しかし見えない糸でくっついているようで壊れはしない。この状態のまま時間が止まっているようだったが、セレファイスではもはや見慣れた光景だった。
顔を突き合わせ、いくつかのページを開いた頃にヒデタカはその動きを止めてある部分に指をさした。
「あ、ほらここ。『奇形な足を持った子どもにあるキノコを食べさせたら、みるみる治った』」
「良く見つけましたね、こんな小さい記事」
「ちょっと前に見たような気がしててん」
自慢げにヒデタカが笑うと、チカゲもそれにつられて笑った。
そうして今度はチカゲが思い至ったように机の上にある山のような書物の中をいくつかあさり、そこから抜粋して何かを書く。メモに記された言葉を見つめ、しばらく経ってからぽつり、と呟く。
「やっぱり奇形の原因は、呪いではなく、病気じゃないかな……」
「そうなん?」
「『くる病』でしょうね」
「は? なに、くる病って……」
パタン、と開きっぱなしの本を閉じて元あった場所にしまいながらチカゲは周囲に誰も居ないことを確認して、それから口を開く。
「覚醒の世界でも少なくない症例ですよ。ビタミンDやカルシウムの欠如による骨格異常。偏った食事をしている妊婦から生まれてくる乳児に多く見られる症状ですね。それが大人になると『骨軟化症』や『骨粗鬆症』と呼ばれるようになります」
「……『こつそしょうしょう』は聞いたことある」
「骨が弱くなり、骨折しやすくなる病気です。高齢者に多いですね」
「んで、えーと……ビタミンDって、食材なんやったっけ」
「キノコ類や貝類、だったと記憶してます」
ああ、だからキノコを食べて治った、と。ヒデタカは納得したようにうなずく。
「それに加えて奇形の村は北にあるといいますし、ただでさえ雲が多い上に霧深いのだったら日照時間が明らかに少ない。日照時間が少ないということは、カルシウムやリンを吸収しづらい環境なんじゃないかと思います」
「外との交流も少ない、海も遠い、村人の足腰は悪い。ずっと村の外に助けを求められへんかったわけやな」
「おれが医者として出せる答えとしては、そうですね。もちろん、それだけではないとは思いますが……」
チカゲが窓の外を見ると、すでに日は落ちかけていた。不死の街はオレンジ色に染まり、子どもの無邪気に笑う声がこだまする。どちらからともなく帰ろうと言い合って図書館を後にした。
帰り道でヒデタカが食材が家にないことを訴えたので市場に寄ることになった。図書館は街の中心地にあり、さほど遠くはないのでチカゲはそれを快諾した。
外に出れば行き交う人々の活気ある声や市場から発せられている様々な食材の匂い、酒場からの笑い声が漂う。交易が盛んな海沿いには様々な品物が並んでいて、こと食材に至っては不足することはあまりない。そもそも何をするでも不足したり咎があったり、そういうネガティブなことは起こらないようにこの街はできているのだ。数年、いや数十年ここで過ごして気づいたことだ。
ふと、野菜を売る店に並ぶキノコに目が止まる。様々な食材が並ぶということは、キノコのひとつやふたつがここに並ぶのは当然だ。
「おっちゃん、このキノコどこで採ってるん?」
チカゲが目を離した隙にキノコを指しながら話かけていたのはヒデタカだった。気づいたチカゲが慌てて駆け寄り、聞けばどうやらオオス=ナルガイの北西の森に群生しているとのことだった。キノコの話をしていたらキノコが食べたくなったと言って、ヒデタカがひと株買っていく。それから店を転々としていき、人に紛れて見えなくなったと思ったら大量の買い物をしたヒデタカは今日はキノコシチューだと意気揚々に語った。
彼らが帰るのは、セレファイスの住宅区域にある、ガレージというには簡素な屋根付きの広場の横に3つ部屋が備え付けられているだけの小さな一軒家だ。ガレージの中にはたくさんの道具が自転車屋さんの看板が建てられていて、その入り口には急いで書かれたいたのか粗雑に「休業中」という紙が貼られている。
すっかり暗くなった家に戻り、ヒデタカは晩ごはんの準備を、チカゲはごはんができるまで自室で読書をするのがこの家に住み始めてから何年も同じルーティーンだ。手元の怪我をよそにヒデタカは食材を切ったりちぎったりした後ひょいひょい、と鍋に放り込み、味付けをしてしばらくすると部屋の中は美味しい香りに包まれる。匂いにつられてチカゲがやってきたところで、ふにゃふにゃになったガーゼの貼り直しをお願いした。
見ると手の甲の腫れは引いておらず、チカゲは慣れた様子で手当をした。ガーゼを剥がし、自分で詰め替えた瓶から塗り薬を取り出して塗る。ハッカに似た植物の冷却作用で患部の炎症を抑えているのだが、療養の一番の薬は「休息」なのはどこの世界も変わらない。しばらく休めと言ったのは悪化させない為だったが、家事や自分の手伝いをしていれば治りも遅くなるかもしれないな、とまで思い至って、チカゲは持ち歩いている皮の鞄から白い布を取り出してヒデタカの手をぐるぐる巻きにした。
「えっ、えっ。そんな、包帯するくらいひどかったん?」
「包帯していないとすぐ怪我してること忘れそうなので」
「……怒ってる?」
「なぜ?」
「だって、怪我したから……」
「まあ、注意してほしいとは思いますけど……」
そんなに怒ってないと思います、とチカゲが一言付け加えるとヒデタカが困ったように笑う。無理してほしくないのは本当のことだけど怒るほどではない。情動が薄いことを自覚しているチカゲは、改めて「怒ってませんよ」と言った。
煮立ったシチューは美味しく平らげた。ヒデタカはもともと料理が上手い方だったが、セレファイスの市場で手に入る食材が美味しいということを除いても、最近はそれに磨きがかかって美味しいような気がする。
セレファイスは満たされた都市だとつくづくそう思う。時の止まった幸福の、不変の都市。交易のために仕入れを外でする業者やチカゲのように外へ薬草を自分で採りに行く事情でも無い限り、ここから外に出ることを考える人は少ない。そう考えると交易の街だとはいえ、いかに閉鎖的かを思い知ることになる。
奇形の村も、ある意味では閉鎖的なのだろう。セレファイスのように本当に時間が止まるというわけではないだろうが、慢性的な骨格異常を改善しないままだと、いずれ村は全滅してしまう。それ以外の要素は、現状を見なければなんとも言えない。自分ができる限りのことをしなければ。
「ビタミンDやカルシウムを手っ取り早く摂取させられればいいんですが、あいにくこの世界にはビタミン剤はないので、日頃の食事に取り入れてもらうしかなさそうですね」
食事を終え、今日得た情報をまとめながらチカゲはヒデタカに同意を求める。ヒデタカはそうやな、と肯定し、「あ」と何かを思い出したように顔を上げた。
「そういやキノコって、乾燥させるとめちゃくちゃ栄養価高くなるとちゃうかったっけ。干ししいたけとか、旨味成分増える言うし」
「そうなんですね。じゃあ乾燥させて持っていってもいいかもしれません」
市場に並んでいたものを購入しておいて、日干ししたものを持っていけばいいだろう。幸いあの老人が置いていった金貨1枚で市場に並んでいたキノコを買い占められることは容易い。残りは遠征費に使えばいい。
「ただ、一回持っていくくらいで治るもんなん? ずっと食べへんと意味ないやろ?」
「そこなんですよ。おれたちが定期的に通うには少し距離がありすぎる」
金貨一枚あれば、自分たちの旅に必要な物も揃うし、キノコだって運べる。けれど、それを定期的に続けるには、金貨一枚という単位はこの世界では高すぎる。あの老人がなぜ金貨を持っていたのか不思議な程、この世界で金は貴重だし、早々手に入るものではない。
「誰か協力してくれへんかな」
「郵便局へは手紙を出す協力をするなら”鳥”くらい貸してくれると思います」
「うーん、じゃあキノコの方はどうするん」
覚醒世界のようにお届け定期サービスがあるわけでもない。チカゲはしばらく口を噤んでから「セレファイスの住人に協力を仰ぐのは、難しいでしょうね」と、おもむろに答えた。
「不変の街です。外部の人間の変化に興味を示すとは思えません」
「……セレファイスが、時間の流れない土地だから?」
「そうだと、おれは思ってます。街全体が変化を許容しないようになっているんでしょう。だからいつまでも文明は新しくならない」
「もしかしたらそういう意思をここに来るときに削がれているのかもしれへんな」
そうですね、あるいは。そう言いかけてチカゲは次の言葉を紡がなかった。今はそれよりも大事なことがある。
「チカちゃんは、どうしたい?」
頭を抱えたチカゲに、ヒデタカが明るい口調で声をかける。
「奇形の村を、ですか」
「そう」
「……力になってあげたいです。おれは」
「じゃあ決まりやな」
ヒデタカは「俺も行くよ」と、歯を見せて笑った。
「一緒に来てくれますか」
「今更何言うてんの、当たり前やんか」
「いつも、ありがとうございます」
「ええよ、セレファイスの外に出るの、楽しいし。それに俺も気になることがあるし」
「気になること?」
「探偵の勘やけどね。でも違ってたら恥ずかしいから合ってたら言うわ」
新しいおもちゃで遊んでいるみたいに、帽子を脱いだ外ハネの髪がぴょこぴょこと揺らしながら、ヒデタカはコップにミルクを注いでチカゲに渡す。今日はミルク尽くしだなと思いながら、チカゲはそれを一口煽った。
「もう探偵さんじゃないでしょう」
「せやったわ」

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