「奇形の村」03

オオス=ナルガイの北側に村があることを、セレファイスの住人は認識しているらしい。しばらく町医者家業を休むことを家の外に掲示すると、常連がそのようなことを言っていた。時間が停止する特殊な環境はセレファイス内だけだが、外からの旅人というのは珍しいものではない。ただし外側には人間の姿をした生き物だけではなく、所謂「モンスター」と呼ばれる種族が住んでいて、彼らは人間を襲う。だからここの住人はセレファイスから外に出たがらない。ここには永遠があるのだ。永遠の時間、永遠の幸福。
北側にある奇形の村は、セレファイスから歩いて20日〜25日、距離にして1600万フィート、メートル換算だと約500km。もちろん、旅に時間をかける余裕も、旅をする体力もない。
「王様にお願いしてみますか?」
「クラネス王、やっけ? まあでも厳しいやろ」
「そう、ですよね」
クラネス王はセレファイスを作った人だ。夢見る力を手に入れ、その身一つで国を作り上げた。だからきっとそのほかに干渉すること自体、きっと難しいのだろうということは察しがつく。手助けは、してくれるかもしれないが。
「まあでも解決したら話でもしてやったらええやん。もしかしたら家賃半額とかになるかもしれへんし。チカちゃん、仲ええやろ」
「仲がいいわけでは……」
町医者を開業するとき、不変の街への変化や自分たちの行おうとすることについて、この世界を創造した人物に許可を取ろうと、何度かコーンウォールに足を運んだ事がある。そこで覚醒世界の話をして、大いに喜ばれたことを指しているのだろう。それを言ったらヒデタカの方が話上手で彼を退屈させていないように感じたので、お気に入りはどちらかというとヒデタカの方だと、チカゲは認識していた。 家賃が下がることはないだろうが、事後報告でも耳に入れておいたほうがいいだろう。
王の助力は期待できないが、幸いなことにチカゲの元には三枚の金貨があった。一枚はキノコの買い入れで使い果たした。もう一枚はこれから二人分の旅準備に使う。
残り一枚を握って、白い漆喰が塗られた家が立ち並ぶ彼らは縞瑪瑙が敷かれた道を進んだ。その通りを抜けると象牙のバラ通りの真ん中に大きな2階建ての建物がある。そこに見慣れた郵便のマークがあり、配達員であろう人物が出入りしている。彼らはふたりを見つけると挨拶をした。
チカゲとヒデタカは郵便局には入らず、裏手へと回った。そこでぴゅう、と口笛を吹いてやると首に籠を付けて大きな影がゆっくりと降下してくる。それは、見た目はタツノオトシゴのような、蝶に似た美しい羽を持つ生物だった。チョウドラゴンは二人の姿を認めると虹色に輝く羽を羽ばたかせ、歌うようなメロディを奏でたあと、穏やかな眼差しを向けたあと頭を垂れる。チカゲが少し湿った皮膚を傷つけないように、丁寧に頭を撫でているとクスクスと隣から笑い声が聞こえる。
「チカちゃんにだけは懐いとるよな」
「郵便局で働いていたときの相棒がこの子だったんですよ。長い付き合いだから、だと思いますよ」
いくつかの個体が郵便配達の仕事に一役買っているが、自分が呼ぶ時はなぜかこの個体が決まってやってくるのだ。チョウドラゴンというモンスターは比較的温厚で人懐っこく、従う意思を見せる生物だが、怒りを買ったり危険が迫るとバラ色の毒霧を出す。それは視覚や聴覚を奪う作用があるため、配達の時は十分に気をつけなければならない。
「勝手に持ち出してもらっちゃ困りますよ、チカゲ先生」
声の方に顔を向けると、そこには長い髭を蓄えた中年の白人男性が戸惑った様子で立っていた。チカゲは男性と目が合い、バツの悪そうな顔を見せた。
「ヒデタカさんも、この間はどうも。車の修理助かりましたよ」
「また壊れた時はすぐ飛んでいくんで、そん時はよろしゅう頼んますわ」
にこやかな表情を見せた後、髭の男性はチカゲに目を向ける。
「……それで? 今回はどのようなご用件で?」
「局長、しばらくこの子をお借りしたいんです」
西日が白い漆喰に照らされたオレンジ色の街並みの中、チョウドラゴンはまた歌うように羽ばたかせた。チカゲの言葉に局長は唸り声を上げる。
「一応こいつも働いてるわけだし、いくらお世話になってる先生の頼みでもねえ」
「そうですよね……」
長距離や大量のの配達物にチョウドラゴンは必須だ。一頭失った損害は図りしれないだろう。それはチカゲも承知しているところだったが、やはり快諾は難しいようだ。チカゲはぐっと手に力を入れて前に突き出す。
「これでもですか?」
チカゲは局長の手のひらを差し出すように促して、そこに一枚の金貨を落とした。局長は手のひらで光る輝きを見て動揺したが、それよりも動揺していたのは後ろでその様子を見ていたヒデタカだった。
「え、チカちゃん、これをおっさんに渡すんか!?」
「え? あ、はい」
「前金でもらったんやろ!? それ渡したらチカちゃんの取り分なくなるで!」
「そう、ですね。でもこれからチョウドラゴンは必要になるでしょうし、投資だと思えば……」
投資、と口元で復唱して、ヒデタカは金貨一枚分のチョウドラゴンを見上げた。今この国で金貨一枚といったら古い家なら一軒まるごと買えるくらいの価値がある。今借りている家を一括購入できたかもしれないのに。
「金貨……こんなものどこで?」
「患者さんから、セレファイス外の村調査を依頼されたんです。その人は金貨を3枚、おれに渡してきました」
「これだけ渡されたら、もうお譲りするくらいの額になりますよ」
「あいにくチョウドラゴンを飼うスペースはもう家にはないので『永久借用権』ということでここは一つ」
手を合わせて頭を下げると、局長は一息吐いたあと「きちんと返してくださいね」と言った。
「チョウドラゴンで行くのならオオス=ナルガイでしょう。どちらに行かれるんですか?」
「北側の、名もない村です。おれたちは『奇形の村』と呼んでいます。なんでもその村で産まれた子供は全員、身体のどこかしらが奇形してるようで……」
「……『奇形の村』ですか」
「聞き覚えがあるんですか?」
「いえ。でも北側といえば狩りが盛んな地域です。獲物と間違えられないように気をつけてくださいね」
金貨一枚との交渉とはいえ、無理なお願いをしたのにも関わらず局長は身の上まで心配してくれるらしい。裏口から再び建物に戻ろうとする局長に一言礼を言うと、右手をひらりと振って何も言わずに入ってしまった。
さて、物資も足も揃えた。あとは自分たちの身支度だけだ。最後にチョウドラゴンを人無でして空に還すと、ぼうっとその様子を見ていたヒデタカと目が合った。
「……勝手なこと、しました?」
「いや、そもそもこれはチカちゃんの依頼なわけやし、それもチカちゃんがもらったんやから、俺がどうこう言えることじゃないねん。俺は付いていくだけなんやし、俺は俺のために動いてる、から。でも〜〜〜」
これは、自分に何か非があるときの対応だ、とチカゲは悟った。長い間一緒に過ごして来たので情動が読めなくてもこれはわかる。こういう時は、ひとまず謝ることが大事だ。
「……きちんと相談するべきでしたね、すみません」
「チカちゃんが謝ることやないねん! でも、そうやね。こういうすれ違いは良くない、もらったらちゃんと何に使うか言うてくれへんと、てっきり俺は今の家を買うとばっかり」
「ヒデタカさんは、あの家気に入ってるんですね」
「そりゃあ、家兼職場ですから? ってちゃうねん! 今後は俺も聞くようにする!で、出発はいつにするん」
オレンジ色の空はいつのまにか群青が溶けて白み、点々に星が散らばっていた。昼と夜の境目を背中に、チカゲは「明朝です」と答えた。

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