483病床確保経費を出さないのでは健康保険制度が泣く
保険料を納付し、税金から多額の補助金が繰り入れられているのに、コロナにかかったら役に立たない健康保険。どうして文句を言わないのだろう。純朴な問いに答えてくれる者はいないのか。
コロナ感染者が入院できなくて死亡した。とんでもないことだ。その解消のために関係者が奔走している。政府が12月9日にまとめた対応策を新聞報道で知る。病床確保に病院との協定を結ぶとある。これまでもコロナ対応病床整備費と称して、政府は借金をしてまで巨額補助金を出してきた。
コロナの病床を確保するのに、なぜ補助金を出し、協定を結ばなければならないのか。この国には国民皆保険があり、病気の治療は健康保険制度が責任を負うことになっている。健康保険から病院に支払われる診療報酬は、医師・看護師等の人権費にとどまらず、病院の施設建設、設備購入などの必要経費を一切合切賄えるように設定されている。健康保険の保険医療機関指定を受けながら、保険加入者の治療をないがしろにすることは重大な契約違反。
百数十万の病床数、四十兆円の国民医療費。それを動かしている健康保険が、新たな感染症一つに対応できないとは、だれが考えても異常。報道によれば、コロナ患者では受診時の一部負担を公費で肩代わりするという。健康保険法(75条の2)では特別な事情による一部負担の免除が規定されているくらいだから、緊急事態に一部負担を免除するのはありだ。問題はその費用負担。巨大な保険財政なのだから、やりくり算段するのが筋だろう。政府に補助金をねだるとはなさけない。そうは考えないのだろうか。
国家的緊急時には、政府や自治体だってやることは山のように出てくる。カネも無限に必要だ。その際に「傷病の治療については費用面も含めてまかせておけ」と健康保険が言うようでなくてどうする。国民全員を加入させ、保険料を強制徴収する。日頃健康な者には迷惑千万なこの制度が許されているのは、いざという国家緊急時に政府の肩を軽くするためではないのか。
異常事態を理由に健康保険に補助金を繰り入れるのは、政府の財政余力を失わせる。実務的にも支給の手続きなど余計な事務作業を増やし、混乱を倍加させる。政府を助けるべきなのに、足を引っ張ってどうする。健康保険組合連合会のある理事が「病床確保などは補助金、交付金でやってもらいたい」と述べたとされるが、心得違いもはなはだしい。パンデミックはコロナで終わりではない。テロや生物兵器による傷病だったあるだろう。そうした備えをしておくのは、健康保険制度の運営者としてのイロハのはずである。
健康保険は単にゼニカネを扱っているのではない。医療サービスの提供そのものが健康保険の責務なのだ。医療費の給付といわず「療養の給付」という法律用語になっているのはそのためだ。傷病に対応する病院がないなら、自ら整備して医療供給することになっている。(63条3項3号)。イギリスでは政府が医療を供給するが、日本では健康保険が医療供給に責任を負う仕組みになっている。
病気には、はやりすたりがある。想定外のパンデミックでも対処できる準備を健康保険は整えていなければならない。そのために常に経費節減、合理化を欠かさず、余剰積み立てに励み、医療に関しては政府の手を煩わせない。その矜持と覚悟が健康保険の運営者の責務である。
いざというときに役立たないのでは保険ではない。自覚がない役職者は有害である。またその甘えを許す政府や政党、議員も国家、国民のためにならない。