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779同性婚と同性愛は違うよ

岸田総理が秘書官を更迭したとの新聞記事。「なんで?」が実感。
記事見出しには「同性婚に差別発言」したからとある。
ちょっと待ってよ。同性婚は法律上認められていない。そもそも憲法上の疑義がある。憲法24条には「婚姻は"両性"の合意による」となっている。
ヒトの場合、性は二つ。男性と女性。だから憲法では"両性"と書いた。単性でもいいなら、“二人”の合意と書くはずだ。生物的なオスとメスではなく、高等動物である人間では心の自認による性の分類があるのだという説があるようだ。
人間がサルその他とは根本的に違うのだとする優越的主張であり、傲慢で鼻持ちならないが、そういう考えがあることは認めよう。
だけど違う考えは当然あるわけで、人間はサルより毛は三本多いが、これだけのこと。DNAだってチンパンジーとは3%も違わない。人間という種は特別なのだと思い上がるはほどほどにした方がいい。
とはいうものの民主主義、思想自由の社会では、いろいろな考えがあってよい。ただし社会を運営する以上レールが必要だ。そしてルールは言葉で表される。その大本が憲法。そこに“両性”とある。これはどういう意味か、その解釈が問われているとまでは言えるが、今はそれ以上のものではない。
「“両性”には“同性”も含む」なんて解釈論は成り立たない。
「同性婚」とは、同性である者、すなわち男性同士、あるいは女性同士が婚姻するということだ。婚姻とはその二人を社会の基礎構成として法律で特別に保護するということだ。しかし憲法は「婚姻は両性間で」と明確に規定している。当然それには意味がある。個体には寿命があるから、社会を維持するには子孫を作ることが最優先事項。婚姻はそのための制度保障なのである。
「今だけ、自分だけ」で日本社会の先行きを考えない者がいるのは事実だが、日本国憲法でも前文の冒頭にも「われらとわれらの子孫のために」とあるし、個別条文でも「現在及び将来の国民のために」などの文言がある(例えば97条)。
以上が「同性婚」について。
言葉は一字違いだが「同性愛」がある。言葉は似ているが、実質は全く違う。こちらは法律用語ではなく、事実の問題。恋愛に規制をしないのが大方の民主主義国。日本人の多くが信仰する神道や仏教では、他宗教に比べて同性愛への禁忌度はきわめて低い。
そのせいで20歳の男が80歳の女と同棲しても非難することではない。それと同じで男同士、女同士のカップルも村八分にするほど弾劾されることではなかった。
僧院や尼僧院で何が行われていたか。口にしないけれど皆知っていた。大問題にならないのは子どもができるという明確な証拠を掴まれることがないから。
日本など昔から同性愛への容認度が高い「先進地帯」である。地域内でも「そういう人もいる」で済まされてきた。
これを今になって「隣人にいたら気持ち悪い」と公言するのは、発言者の社会認識のなさを告白しているようなもの。岸田総理は更迭理由として「言語道断」といったとか。何を言語道断とするのか、それが問題。
 
同性婚を否定する発言を許さないというのであれば法治国のトップとしての岸田総理の資質が疑われる。補佐官を更迭するのではなく、自身の法知識を点検しなければならない。
同性愛を気持ち悪いと公言したことを咎めるのであれば、そうした偏狭な人物を秘書に選んだ自身にも日本国民の一般意識との乖離がないか見直さなければならない。

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