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581どこで眠るのか あの世の住まい

アメリカのテレビドラマで次のシーン。大きな功績を果たした女性に対して、国がどう報いるか。わが国では天皇陛下からの叙勲が知られている。高位の受勲者は招かれて、陛下から親しくお言葉をかけられ、子々孫々の名誉になる。
ドラマの主人公ではどうだったか。首都ワシントンにあるアーリントン国立墓地。国家防衛のために命を捧げた兵士が埋葬される。政府の賞勲責任者からの彼女への提案は、「あなたには死後にアーリントン墓地に葬られる権利を与える」ことだった。文民の自分でもよいのかとの彼女の質問への回答は、「あなたの貢献に照らせば問題なし。またあなたの夫君の働きも大統領は高く評価しているので、二人並んで場所を確保しておこう」というものだった。
これはアーリントンが土葬墓地であるから。火葬のわが国では、墓所を一つ用意してもらえば、墓石の下に夫婦の骨つぼを並んで納めるのは雑作もない。夫の名前も刻んでよいとの許可を得ればよいだけだ。
ともあれ主人公にとっては降ってわいたようなありがたい申し出だ。夫婦はまだ初老期で墓所など用意していない。常々、「あの世でも二人はいっしょにいようね」と話し合っている。そのため並んで埋葬、墓石を並立できる墓所を探してはいた。それが実現する。しかも最高の場所で。
 
そこで夫婦はどうしたか。成人に達している子どもたちを集めて家族会議を開く。「お父さんとお母さんがアーリントンに埋葬されるとしたら、どう思う?」
「すごいねえ。家族にとっての名誉だ」とか「命日には欠かさず墓参するよ」との声を、夫婦は期待したであろう。
ところが3人の子から返ってきたのは、
「大学の勉強で忙しいのに、そんなことで呼び出したのか」と末っ子。
「ママは重大な病気なの? 冗談だと言ってよ」と中の子。
 主人公にも夫にも健康問題はない。「なんだ」と子どもたちは呆れた表情になる。
「お墓参りなんて、私たちが遠方に住むようになったら無理よ。写真を見て、毎日、話しかけるわ。そうしてママたちのことを忘れないようにする」は上の子。
 それを機に、久しぶりに家に戻ってきた子どもたちは、自分たちの近況話に入り込み、夫婦が提供した話題はそれきりになる。


 
 主人公は自分の親の墓を思い出す。彼女の両親はまだ子どもだった彼女を残して、交通事故で死んでいる。当時の住まいの近くの墓地に、同型の墓石を並べて埋葬されている。彼女は夫に言う。
「そう言えば、お墓は作ったけれど、一度も墓参には行っていない」
 夫が驚いて問い返す。「そうなのかい?」。夫との結婚は両親の事故の何年も後だから、彼が会ったことはない。「両親に会って来ると、キミは一人でときどき出かけているじゃないか」
「事故を思い出してつらいから、あの場所には行けないの。幼い頃に母から二人の馴れ初めを聞いており、それが耳に残っている。二人が初デートした街の公園に行き、ベンチに座って、両親はあの世でも仲良くしているのだろうな。長生きしていたら今はどんなになっているかなどと想像するの。そうしていると心が落ち着く」
 夫は深く頷く。ボクたちは死ぬ時期が違うだろうが、ボクが先だったら後から来るキミを即座に見つける。これは約束だ」
「私もそうだわ。あなたがどこにいようが、探し出すわ。そして二人で後からやってくる子どもたちやその家族を待っていましょうよ」
「そうだな。その前にボクはまだお会いしたことがないキミの両親を探し出して、キミとの結婚を報告しておかなければならないな」
 
 数日後、夫婦は子どもたちを再び招集して、主人公の両親(子どもたちには祖父母)の墓参に行く。
「こんな墓石だったんだ」。その前で家族写真を撮り、近くのレストランに行く。祖父母のことで盛り上がった。
 
子どもたちと別れた後、彼女は夫に言う。
「アーリントン墓地のことは断ろうと思うの。晴れがましい場所に墓碑があると、子どもたちにはかえって重荷になるかもしれない」
「そうだな。お墓のことはまだ早い。その時期が近付いたら、子どもたちにも考えが出てくるだろう」
  
 わが国の場合、お骨が納まる墓所のほか、家にも仏壇があったりする。さらに靖国神社のような集合的鎮魂の場もある。いずれも亡くなった親族と向き合う場所である。それぞれ大切な文化だと思う。


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