835 LGBT法修正 当事者は置き去りなのか西日本新聞社説 2023年6月16日
社説は「原点に戻って検討し直すべきだ」という。そのとおりだ。そもそもこの種の法律を制定する意味があるのか。
「性自認は多様なのだから、それを受け入れるべきだ」と国民に問題提起してみればよい。日本人のほとんどは「そのとおり」だと答える。つまり人権問題として大騒ぎしなければならない事態ではない。
同性愛などを禁じる教義の宗教者が大半の国々とは違うのだ。
特定者への差別禁止を謳う法律が必要になるのは、現にその分野での差別が存在するからだ。かつていわゆる部落問題解消のための同和対策法があった。そうした政府の努力により同和問題はほぼ解消になっているはずだ。
日本でのLGBT迫害はあるのか。運動者が主張するようなG7諸国よりも格段に不当な差別があるのか。この出発点があいまいなままになっている。
トイレや浴場など男女別になっている施設管理者は対応に悲鳴を上げている。現に女性の性自認を自己主張する男性による性犯罪が多発している。社説は「公衆浴場法や混浴可能年齢を制限する条例は既にある」と解説している。そうしたところに新たに無用な法律を加えることで、犯罪を生み出すことになる。犯罪を抑制するのではなく犯罪の源を法律が促す。笑えない状況だ。
社説が「性被害の不安を覚える人への配慮が必要とはいえ、いたずらに不安をあおり、性的少数者への偏見を助長する言動は厳に慎むべきだ。」とするのも当然だ。
社説は「定義が曖昧で、国民に分かりにくい」と指摘する。これもそのとおり。当事者やその支援者と主張する人たちの話は抽象的で要領を得ない。自分たちの運動への資金を寄こせという部分だけが耳に残る。
性自認は他人と違うのはどういうことなのか。それを体験するには一般人はどうすればいいのか。
社説も言うように、そもそも定義はどうなっているのか。そしてそれを日本国民は心底納得できているのか。
身体障害や高齢による運動機能障害について、装具をつけて模擬体験する試みが広がり、障害への理解が進んでいる。性自認についてそうした試みがされているのか、寡聞にして知らない。分からないのに理解せよというのが無理なのではないか。
法律を作れば便乗する者がいて、利権構造が生まれる。これはすべての分野で見られる一般現象である。善し悪しにかかわらず、それが現実。そうしたことも踏まえておく必要がある。
社説本分
性的少数者への差別、偏見をなくすための法整備ではなかったのか。原点に戻って検討し直すべきだ。
議員立法によるLGBT理解増進法案は、参院での審議が大詰めを迎えている。
衆院と参院の委員会審議はともに数時間だけだった。参院が当事者を参考人として招いたものの、問題点は多く残っている。あまりに拙速だ。
法案は衆院で審議を始める直前に、与党が日本維新の会と国民民主党の案をほぼ丸のみして修正した。
超党派の議員連盟が一昨年にまとめた法案は「差別は許されない」と明記したが、与党案は「不当な差別はあってはならない」に弱めていた。
修正によって改まるどころか、さらに後退したと言っていい。特に問題なのは、関連施策を実施する場合に「全ての国民が安心して生活できるよう留意する」との条項が加わったことだ。
かえって多様性への理解を阻害し、少数者を排除することにつながらないか。当の性的少数者は落胆している。
追加された条項は、法整備に疑念を抱く人への「配慮」と捉えられる。自民党の保守派などは「法が成立すれば、女性と自称する男性が女湯や女性トイレに入れるようになる」と主張していた。
そもそも理解増進法は理念法で、新たな権利を認めるものではない。
公衆浴場法や混浴可能年齢を制限する条例は既にある。与党案を提出した自民党議員もこうした点に触れ、保守派が言うような行為は認められないと法案審議で明言した。
性被害の不安を覚える人への配慮が必要とはいえ、いたずらに不安をあおり、性的少数者への偏見を助長する言動は厳に慎むべきだ。
修正案は自分の性認識を指す言葉を「ジェンダーアイデンティティ」と表記した。超党派案の性自認、与党案の性同一性の英訳である。
定義が曖昧で、国民に分かりにくい。法の目的である理解増進にマイナスだ。
学校で教育や啓発を行う際に、家庭や地域住民、関係者の協力を得ることも追加された。LGBT教育に慎重論もある現状に照らせば、自治体や教育委員会が反対運動を恐れて萎縮しかねない。
法案の修正は岸田文雄首相の指示で加速した。先月の先進7カ国首脳会議(G7サミット)の首脳声明は性的少数者の権利保護を盛り込んだ。議長国として他国より遅れている法整備を急ぐのは当然としても、当事者を置き去りにするのは本末転倒である。
同性婚が認められない現状に対し、違憲、違憲状態と断じる司法判断が続く。性的少数者の権利保護、暮らしやすい社会づくりへ政治がやるべきことは山積している。
理解増進法はゴールではなく、始まりに過ぎない。まずは、法案審議の過程であらわになった政界と社会の意識差を早急に埋めるべきだ。