510投票は褒美で釣るべきか、棄権者にペナルティを課すべきか
若者の投票率を上げるにはどうすればいいか。あるNPO法人「キッズドア」の理事長が「投票した人に飲食店の割引券を配布したり、大学の試験で点数を加点したりする」ことを提案していた。票をカネに換えられることを教えようとしている。ほんとうにそう言ったのだろうか。インタビューした記者の誤記ではないのか。
投票は自身の政治意見を反映させるためのもの。目先の利益誘導に釣られて投じるものではない。選挙での買収がなぜいけないのか。そんなことは民主主義体制下での義務教育で、教師が口を酸っぱくして教え諭しているはずではないのか。と思ったところで気がついた。この国では肝心の教師たちが、民主主義とは何たるかをどの程度覚知しているのだろうか。
民主主義は人類普遍の政治理念であると教えられるけれど、体を張って守らなければ即座にも壊されてしまう。王制、貴族寡頭制、国家社会主義制、共産独裁制…。人類はいろいろ試したけれどどれも個々の国民の幸福にはつながらない。消去法で民主制しかないと言ったのがイギリスのチャーチル元首相。
専制や隷従、圧迫と偏狭によって支配されるのではない社会。恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利が認められる社会。日本国憲法上の言葉を借りれば、民主主義とはそういうもの。抽象的でグラグラ。これをどうやって守るのか。
そのために必要なのが民主主義とは何かを考える教育である。題材はそこら中に転がっている。隣国中国での人権問題は、共産党独裁政治が人権侵害と不可分であることを教えてくれる。国内でも日本大学での騒動は、理事長選任に民主主義的手続きを欠くと何が起きるかを教えてくれる。ロシアが近隣国に軍事的恫喝を繰り返すのも、プーチンの強権恐怖政治体制と切り離しては考えられない。温暖化ガス排出で中国が突出し、しかも抑制にもっとも後ろ向きなのも、人間の命への鈍感さと裏表である。
専制国家指導者の民主主義攻撃の論法は一貫している。百家争鳴で国家は分断、統一行動をとれないから経済競争で専制国家に勝てないというものだ。それが事実に反することは歴史が示している。専制者は方法を学んだから、これからは民主主義国を圧倒できると考えているのだろうか。
百歩譲ってそうかもしれない。それでも先制や隷従を受け入れるべきではない。太ったブタよりも痩せたソクラテスでいいではないか。そう考える者が民主主者。そして日本国民の圧倒的多数は同調するはず。であれば、民主主義を守るのに必要なのは、民主主義を否定する者には国民としての政治権利を認めないことに尽きる。
買収選挙などはもってのほか。これが民主主義教育の一歩であるはず。さらに言えば、民主主義を守るには代償が必要なことを教えること。投票の費用を負担することでそれを会得できる。投票すれば試験に加算ではなく、逆に投票しない者に減点するほうが、はるかに有効な教育法である。
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