495 アベノマスクのその後
アベノマスクが散々に批判されている。600億円の国費を投じて在庫の山ではないか。その保管料にまたまた費用が必要。サイズが小さくて使い物にならない。「責任者はだれだ、出てこい」と一部野党は意気盛んだが、ポイントを外していませんかね。
マスク配布を言い出したのは昨年初めだったか。健忘症だから、明確な記憶がない。あるのは届いたときにはマスクは出回っていたということ。
思い出してみよう。マスクはどこにも売っていず、1枚バラ売りで300円とか、とんでもない状況になってパニック寸前だった。どこかの国が買い占めた、業者が売り惜しんでいる…。マスク争奪で大騒ぎだった。原因は国産できていなかったことに尽きるのだが、それは反省事項。当時は国民のパニックを押さえることが優先された。「マスクはあるよ」と示すことが重要であり、総理がマスク供給に言及したのは良かったとボクは思う。
ではなぜ今になって叩かれるのか。
一つ、配布時期が遅すぎた。虫が入っていたりして回収や再注文を繰り返したことも大きい。
二つ、ちんけなデザインで日本人の顔の大きさにも合わず、実用性がなかった。わが家でもそのままどこかに行ってしまった。
三つ、発注し過ぎで在庫が、配布後にもかかわらず8千万枚も残っている。
四つ、国費を使いすぎた。これが最大理由。
ではどうすべきだったか。よく考えてみよう。国民はマスクを求めたが、買うカネがなかったのではない。商店に売っていなかったのだ。ボクだったら(基本がケチな性格なので)、こうしたと思う。注文を細切れにして、百万枚ずつ世界中のマスク業者に発注し、早く届いたところ順に契約料金に割増をつけて支払うとして、優先確保のインセンティブをつける。到着したマスクを国内大手ドラッグストアチェーンに、割高になった購入価格で買い取らせる。その際に利益度外視の本来の価格で消費者に売るように条件を付ける。場合によっては損を出すかもしれないが、消費者が喜んでくれるから満足できるはずだと説得する。だって日本の企業なのだもの。国民が困っているときにあくどく儲けようとするのは、日本人の商道徳(三方よしの精神)に反する。国民連帯心が泣く。消費者がついでに他の購入をしてくれれば、損は帳消しになるかもしれないではないか。「お互い様」が日本人の長所なのだよと。
重要なのは、政府が最終的な費用負担を負わないこと。タダで配るなど邪道である。店の陳列棚にマスクが並ぶことが目的なのだ。政府からのメーカーへの発注は細切れの百万枚単位にする。国産マスクが出回り始めれば、新規注文を止めることで在庫は残らない。また、寸法の問題などで、「発注との齟齬」があれば、売れ残り品の買取を海外メーカーに事後に求めることが可能なはず。
一にも二にも、いけないのは見境のないバラマキである。その教訓としてのアベノマスク。攻撃している野党議員はそのことが分かっていない。とても政権をかませられないと有権者は考える。