794 海上護衛戦 日本の生命線はシーレーンの守備を説いて、受け入れられなかったエリート海軍士官の真摯な反省
大井篤元海軍大佐が昭和28年に著した。平成26年に角川文庫になっている。海軍兵学校卒業後アメリカのバージニア大学、ノースウェスタン大学に留学し、駐アメリカ大使館の駐在武官を勤めているエリート。太平洋戦争の後半、日本海軍に初めて創設された海上護衛総司令部参謀を勤める。かなりの直言居士で海軍省および軍令部で有名だったようだ。
なによりも文章が軽妙で読み飽きさせない。頭脳も明晰であることが伺われる。
本書が言いたいことは、資源の大部分を海外に依存している日本にとって海上交通戦(シーレーン)問題ほど重要なものはない。しかるに日本海軍は戦争の帰趨は艦隊同士の決戦によるとの考えに最後まで捉われていた。
日露戦争での日本海海戦の勝利の記憶から離れられなかったのだ。しかしそれは言い訳にもならない。
ドイツは第一次大戦でも第二次大戦でも潜水艦Uボートによる通商破壊によって島国イギリスを海上封鎖しようとした。それは日本海軍にも伝わっている。
アメリカはこれを体感している。そして自らの戦法に取り入れた。真珠湾攻撃の翌日、アメリカ海軍は「日本に対し無制限の潜水艦戦および航空戦を実施すべし」と命令を発している。その意味するところは「船客や乗員の生命や安全などには一切おかまいなく、商船を手当たり次第に撃沈するという戦法」である。
日本の貿易状況と、アメリカの石油禁輸でインドネシアの原油獲得などのために南進政策をとった事情を考えれば、海上通商路の確保が戦争遂行の必須手段であることは明白。にもかかわらず通商路護衛体制を講じようともしなかった軍令部に代表される海軍の硬直した思考法を批判する。
巨砲の戦艦、艦爆搭載の巨大空母は対米戦争向けではない。戦場は日本近くの西太平洋になる。はるばる遠征してくるアメリカ機動部隊には、要塞化した島嶼基地、資源がある南方、そして本拠である日本列島の間の通商路で結び、護衛艦、航空機、機雷等で敵の潜水艦、航空機の侵入を許さない。それによって初めて持久戦が可能になる。戦争経済的にも大艦1隻の燃料で護衛艦何十隻も動かせるのだ。
アメリカの著名な海軍戦略家マハンは「戦争は軍事作戦と遂行と並行的に通商を続け得る側が勝つ」と述べている。
日本の通商船舶護衛体制が貧弱なことから、日本は短期決戦しか考えていないとアメリカは判断したはずだ。そうすると「一撃することでアメリカの戦意を喪失させ講和に持ち込もう」との戦略はそもそも用をなさない。
しかし著者によればアメリカ軍内でも統一されていたわけではないようだ。アメリカ海軍作戦部長(日本の海軍軍令部長に相当)兼アメリカ艦隊総指揮官だったキング大将が著書『FLEET ADMIRAL KNNG』で「もしアメリカが(原子爆弾など使わずに)待っていたら、そのうちに(アメリカ)海軍による封鎖の効果によって、油、米、衣料品、その他の重要物資の欠乏により、日本を降伏のやむなきに至るまで、飢えに陥らしめたことであったろう。しかるに(アメリカ)陸軍は、海上兵力の威力を下算し、日本本土に直接侵入し、制圧すべきことを主張した」と述べている。
このキング大将と大井大佐は敵味方ながら同じ認識であった。「戦争における経済封鎖というものの効果がもっと認識されていたならば、ことに日本側軍部によってそれが認識されていたならば、太平洋戦争はもっと早く終止符がうたれ、少なくとも、昭和20年8月におけるこの二つの不幸な出来事(原爆投下とソ連参戦)はなしにすまされたのではないだろうか。いや、そもそも日本が太平洋戦争そのものへの途(みち)を歩むことになったのは、日本経済の海上依存の致命性に対する指導層の認識が、不徹底だったからではないのか」。
著者は1994(平成6)年に鬼籍に入っている。
彼の教訓は21世紀の日本に生きているのだろうか。