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外国人労働者は日本に来なくなる! 歓迎外国人と要らない外国人
雑誌『選択』2023年3月号 巻頭インタビューを読む。
アンジェロ・イシ(武蔵大学教授)さんは、1967年生まれのブラジル人で、1990年に日本留学。名前から見て日系人なのだろうか。
非常に示唆に富む内容と思った。まず内容紹介。
-海外から見て日本は働きたい国か?-
イシ:円安など日本で稼ぎ魅力がなくなっている。さらにアパートを借りられないなど日本人の排他性がある。他の国に比べて日本での出稼ぎ労働の魅力ははっきり落ちている。
-日本人に人種差別の意識を感じるか?ー
イシ:日本人は外国人への関心が薄い。それが根本原因。日本人には差別意識はない。それが問題解決を難しくしている。
-外国人への理解が進まないのは、なぜだと思うか?ー
イシ:日本人は「賞味期限付き」外国人にはオモテナシ精神で対応する。しかし永住外国人には冷たい。コロナでの一時出国者が再入国しにくかったのもその一例。政府のそうした対応は、日本の国民性を反映している。国民性の変革が必要だ。
-技能実習生制度改正については?-
イシ:この制度は「日本人がやりたくない仕事をやらせ、いつでもクビを切れる労働力」。これがホンネである。日本の優れた技能を持ち帰らせて普及するというのは嘘っぱちのタテマエ。これを改めよとするのはいいことだが…。
-日本人の意識は変わるか?ー
難しい。しかし日本はGDPを本気で増やすには国内人口増が必要。そのためには外国人をどんどん受け入れることが必要。そいういうふうに国民が考えを変えればよいのだが。
ここからボクの感想。イシ教授は日本人の外国人に対する無関心を紹介している。ではこうした外国人への無関心はどこから生じているのか。
それは深い関心を持つ必要がなかったからだ。有史以来、日本人はこの島国内で暮らしてきて、他民族と混住した経験がない。隣人が別民族で、違う言葉を話し、宗教観や文化がまったく違う。そうした者とコミュニティを共同しなければならない体験がないのである。日本人にとって、外国人とは普段接することがない人のこと。よって関心を持たなくても暮らすのに困らない。
多様性を尊重せよ、外国人を無条件に受け入れよと説教されても、普段失することがないのだから、馬の耳に念仏のようなものである。しかるに単純労働者、出稼ぎ労働者として国内に受け入れよ、そしてそうした人の文化を尊重し、良き隣人として付き合えというのが、今の経済界、政界、マスコミの風潮。そして不法流入、不法滞在の外国人までも最高級の福祉措置をしなければ人権侵害であると上から目線で指示される。そして 日本人の意識改革が必要だと声高に要求されるのだ。
しかしなぜ国民性を変えなければならないのか。技能実習生のタテマエは既に見破られている。出稼ぎ労働者を受け入れることの方が問題なのであり、それをやめれば人権侵害問題は起きないではないか。
単純出稼ぎ労働者の受け入れをしなければならないという国際取り決めはないはずだ。にもかかわらず出稼ぎ導入を避けられないものとする。この政治前提が間違っている。技能実習生制度をやめても、国際批判を受けることはない。むしろ技能実習生=奴隷労働という拡散している悪評の元を断つことができる。
要は日本という国が、外国人出稼ぎ労働者なしでは成り立たないのかどうかである。
少し歴史を振り替えればよい。江戸の鎖国時代、あるいはそれ以前も、国内で必要な堂労力は日本人が担ってきた。職業に卑賤なし、嫌がられる仕事では処遇をよくする。日本では奴隷労働はもとも存在しなかったのだ。日本の風土になじまないのである。
これとは異なり、「賞味期限付き」外国人へのオモテナシ精神はこれとは別で、大事なことだ。優れたよいことを謙虚に学ぶのが日本の伝統的国民性。昔の帰化人、明治初期のお雇い外国人は、先端技術を持った指導者として受け入れられた。彼らの用が済んで母国にお帰りになる際にも、できれば日本にとどまり、日本人を配偶者として帰化し、日本人になってほしいと願った。日本はそういう国なのだ。
優れた外国人には来て指導してほしい。食い詰め者はお断り。陸伝いに歩いて来れない。それなのにわざわざ交通機関で向け入れる必要はない。四界を海で囲まれている長所を生かすことだ。
最後に人口問題。日本語をしゃべらず、文化が異なり、風習になじまない者を受け入れては、摩擦が生じる。それによる効率低下を差し引けば、出稼ぎ外国人を増やしてもGDO増には貢献しない。人口問題は日本民族の問題として考えるべきなのだ。