521技能実習生を確保できない産業分野 コロナで入国制限を改革のきっかけに
本日(2022年2月1日)の読売新聞記事。表題は「技能実習生 コロナの壁」というもの。内容をまとめると、外国人技能実習生が農業や水産業などで欠かせない労働力になっている。しかるにコロナで外国人の入国規制が続いていて、新規に確保できない。このため事業の継続を諦め、廃業に至る実態も生じている。
コロナを機に、根本的に考え直すべき問題の一つであると考えるべきだろう。
「技能実習生制度」とは何か。その名のとおり、日本のお家芸である技能を出身国に持ち帰ってもらい、母国の経済発展に役立ててもらおうという制度で、1993年にスタートした。ではその事態は? 記事が伝えるように実習は置き去りで、「人手不足を補う労働力となっている実態」があり、「厚労省の立ち入り調査では、受け入れている8124事業所の約7割にあたる5752事業所で、労働関係法令の違反が見つかった」。賃金不払いや労働時間制限違反などが常態化しているということだ。その結果、日本が好きでやってきたが、帰る頃には反日感で充満することになる。つまりわが国の国際イメージを悪化させる先兵をせっせと要請しているわけだ。
「技能実習生の扱いは奴隷労働と変わらない」。そういう批判をする内外の勢力もある。有効な反論ができる材料が外務省等にあるのだろうか。多分ないはずだ。理由は簡単で、実習生を受け入れている側の意識が、まさに批判のような実態であるからだ。記事ではそのことを「日本人は募集しても来ないので、実習性がいないと回っていかないのが現状だ」との農家の声として紹介する。労働基準を遵守したのでは労働力を確保できない。これが実態だと証言しているわけだ。ボクもそうした農家が地域経済を支えているN県のK村長などから実際に話を聞いている。
ではどうすればよいのか。対象農家に技能実習生への処遇を改善させ、それに必要な費用を農家に補助金として支給すればよい。バラマキ体質の政治家はそう言いそうだが、これは最悪。構造問題なのだから、構造を改めない限り、当座のはずの補助金支給は永続化し、金額は増大の一途になる。
カギは「日本人が労働者として来てくれない」というところにある。労働者でない形で来てもらう算段をすることがポイントなのだ。自然とのふれあいを求める人は多い。芋ほり大会などの企画に都会人が殺到する。農家が人手を必要とするのも、植え付けや収穫などの季節性があり、そもそも常用労働者の雇用には向いていない。
作業をお祭りに仕上げ、都会人を呼び寄せる。無償、手弁当が原則で、見返りには例えば形が不ぞろいで商品化できない農産物の持ち帰りなど。同時に農業体験などを社会制度に組みことで、これは福祉行政の役割になる。だれもが社会に役立っている実感を求めている。年金受給者を手始めに、社会活動への参加を義務づけ、その対象として、技能実習生が入り込んでいるような分野を指定するのだ。これまで技能実習生が3人でやっていたことを10人でやれば、体力面等のハンディは補えるだろう。受け入れ農家等は面倒だろうが、賃金等の経済負担が減ることでバランスをとってもらおう。
少し長いスパンで考えれば、こうしなければならないことはすぐに分かるはずだ。実習生送り出し国の経済発展につれて、今の処遇では来なくなる。そうなってから人手不足を嘆いても遅い。食料等の国内自給はますます厳しくなる。
近年、介護分野にも外国人実習生の就業分野が広げられ、その受け入れで中間マージンを得ようと有象無象が動き回っている。この動きに加担している人たちは、自分の老親を言葉が通じず、文化基盤が違う外国人に委ねて平気なのだろうか。「自分はカネを稼いで、日本人介護者を確保する」というのであれば、まさに国民分断発想だ。大手コンサル会社の役員であった10歳年上の知人は、特養の補助介護要員として週に数日、通っている。「同年代では要介護者が増えている。まだそうなっていない自分は年金で遊べて運がよい。その幸せの時間の幾割かをお互い様の気持ちで差し出すのだ」と言う。若い専任介護者の半分以下の能率だが、報酬不要とのバランスで施設の迷惑にはなっていないはずとのことだ。
岸田総理は「新しい資本主義」という。何でも「カネに換算」の仕組みではない方向をみんなで考えようということではないか。時間があり余っている者が社会参加できる仕組みを打ち立て、国民総活躍社会を目指す。その手始めに、技能実習生がいなくても成り立つ農業、介護などを考えることが必要だ。
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