529官吏採用の公正確保 旧友の本を読む
クラス仲間の山口智君が本を出した。『よみがえれ、霞が関』(展望社、2022年)。
元キャリア官僚として、国の将来を憂いている気持ちが伝わってくる。
その一節で国の屋台骨を支えてきた国家公務員の質低下を体験とデータに基づき述べている。入職に際しての選抜試験についても指摘している。
キャリア試験は人事院が実施する。彼が受験したときでは「試験合格≒採用」だった。人事院試験合格者数と各省庁の採用予定数がほぼ同数だったから、入職希望者が殺到する大蔵省(現財務省)、通産省(現経産省)などは無理としても、すべり止めの位置づけの省庁にはもぐりこめた。
ところが今では合格者が水膨れしていて、法律職でも400から550人にもなるという。各省庁の採用数は、今も昔も150人くらいだから、「採用試験」に合格したのに公務員になれない者が400人もいることになる。
試験合格者が多い方が各省庁の採用選択の幅が広くなるが、それが実は大問題。国会議員等が「支援者の子息を採用せよ」などと圧力をかけやすくなるのだという。各省庁は人事院試験合格者の中から面接等で採用者を選抜する。それ以外からの採用は認められない。合格者名簿に載っていない者を情実で入省させることはできない。これで情実採用を防いでいるが、試験合格者を多くなれば仕組みが機能しなくなる。
ではどのように改めるか。かつてのように、各省庁の採用予定合計数と人事院試験合格者(採用候補者)の数をほぼ一致させればよい。しかし人事院はいったん増やした合格者数を減らすのには抵抗がありそうだ。ボクは違う案を考えたい。人事院試験合格者には順位がつけられている。それを公開してしまうのだ。1番だろうが、500番だろうが、合格は合格。「オレは5番だった」と威張りたい人には威張らせておけばよい。500番でも卑下することはない。合格したのだから。
試験の成績と実社会で必要とされる能力は必ずしも相関しない。キャリア官僚の昇進尺度は「長期的国益にどのように貢献しているか」であるはず。昇進が人事院試験合格順位とあまりにも符合している省庁では、かえって「人事がいい加減なのではないか」との疑惑を招くことになるだろう。70年前の戦争での失敗の一つに、陸海軍が士官学校や兵学校での学科試験順位(いわゆるハンモックナンバー)に拘泥した昇進人事に執着したことが指摘されている。
山口君の心配である採用時における議員等からの情実圧力にはどう対処するか。たしかに試験合格者が多いと「その方は候補者名簿にありません」というお断り方法が使えない。だがボクは制度的に対応する必要はなく、採用担当者の肝の問題だと考える。組織の将来を考えて必要な人材を採用する視点で行動すればよく、背後に採用圧力をかけてくる議員等がついている候補者については、「こいつは仕事においても汚い手法を使いそうだ」と、かえってマイナス心証を持つのが常識人の反応である。順位が公表されていれば「その方は成績がちょっと…」と拒否理由に使える。
問題は「合格順位の公表はプライバシー侵害だ」という声が出そうなこと。しかしそれは為にする議論であり、相手にするだけバカバカしい。合格、不合格の公表自体が個人情報開示なのであり、合格順位を知られたくないのであれば人事院試験を受けなければよいだけのことだ。