509 『決戦は日曜日』を見て 民主主義国社会での政治家の世襲度合いは
封切の映画鑑賞。『決戦は日曜日』。題名から選挙のことだと察知できれば、日本の選挙制度通。日本では、投票は日曜日と相場が決まっている。
衆議院選挙が近い時期に現職議員が脳梗塞だったかで倒れる。急遽、長女(演じるのは宮沢りえさん)が代役で立候補する。本人は父親から後継指名を受けたものと信じているが、実は県議などで後継を狙うものは数多(あまた)いて、調整がつかないので、とりあえず子女を立てておき、後でじっくり利権調整やらを取り決めようという妥協の産物だったのだ。
江戸時代の藩主の跡継ぎを決めるいきさつに近い。実権は留守居の家老などが握っており、殿様(代議士)はおかざりかお神輿。これを当人がわきまえていなかった。
自分が主役なのだと長女は反乱を試みるが、老練の秘書や後援会の面々、利権で結びつく地方議員には相手にされない。人形らしく筋書き通りに演じるよう、あの手この手で調教を施される。それなら辞めると言ってもあざ笑われるだけ。憤った彼女が最終的にとった行動は、自身の問題言動を世間にさらすことで評判を落とし、落選してしまおうというもの。その過程で生じるドタバタがおもしろい。
父親の過去の収賄録画をマスコミに流し騒ぎになりかけるが、北朝鮮の新型巨大ミサイル発射と時機がぶつかり、ニュースの関心はそちらに向いてしまう。陣営内は不謹慎にも「ミサイルでスキャンダルが消えた」と手を取り合い、抱き合ってお祭り騒ぎ。長女はそれを隠し撮りして「国防危機に無関心な立候補者」映像としてSNSに流す。今度こそとなるはずが、北朝鮮がミサイル発射取りやめを発表。どういうわけか、先ほどの陣営の歓喜映像が、ミサイルが飛んで来なくなったことを国民のために喜ぶ愛国候補者として受け取られて人気が上昇する。
ほかにも不法外国人取締り強化や出生は夫婦の義務など、政治的に両論がある事項について持論を述べ、予想どおりポリティカルコレクトネスを掲げるデモに押し寄せられる。陣営は焦りまくるが、有権者の反応はといえば、それまで政治に無関心であった主婦層などから「よく言った」と声援が集まり、演説会場が超満員になるなど盛り上がる。
選挙戦が有利になるが、陣営幹部は当惑する。というのは、先代(父親)が利権配分で当選を重ねており、一般の浮動票などハナから集票の対象ではないのだから。むしろ有象無象の市民の熱気は迷惑以外の何物でもないのだから。
政治とは複数の人間集団のあいだで権力の分け前をめぐる争いで、その武器は言論による集票というのが民主主義のルール。ただし映画が描く選挙区では、利権構造に連なる者によるカネと票の交換で当選者が決まる。「今だけ、カネだけ、自分だけ」が価値基準のすべて。理念や倫理は存在しない。
かくして長女の落選の試みは失敗し、当選してしまい、新たに世襲議員が誕生する。めでたく代議士になった彼女の今後はどうか。自分は親とは違うとそれまでのカネにまみれたしがらみを排するか。それとも御神輿という安楽な地位を選ぶか。映画は視聴者の想像に任せて終わる。
映画が提供した素材は世襲政治家のあり方である。国のリーダーでの世襲状況はどうなっているか。かつて国王に実権が備わっていた頃は世襲が当然だったが、21世紀のトップ政治家で、親もそうだったという者は少数だ。アメリカのブッシュ大統領のほかでは、カナダのジャスティン・トルドー首相、フィリピンのベニグノ・アキノ三世大統領、シンガポールのリー・シェンロン首相くらいだろう。
対して専制国家では北朝鮮の金正恩、シリアのバッシャール・アル・アサド大統領のほかアフリカの腐敗・経済破綻国家で珍しくない。
わが日本ではどうか。国のリーダーである内閣総理大臣は、21世紀以降11人。小渕恵三、森喜朗、小泉純一郎、安倍晋三、福田康夫、麻生太郎、鳩山由紀夫、菅直人、野田佳彦、菅義偉、岸田文雄(敬称略)。このうち父親若しくは祖父も総理だった者が4人と4割弱。
世襲がいいのか、よくないのか。選挙制度は法律事項。有権者がどう考えるかと映画は問いかけているわけだ。なお、明治維新で身分制社会がひっくり返されて以降の100年間、世襲の政治指導者は当然のことながら存在しなかった。
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