466勤労感謝の日
今日は勤労感謝の日。祝祭日なので国旗を立てた。
ところでだれの勤労に対して感謝するのだろう。小学校では「両親が育ててくれていることに対して感謝しなさい」と教えられたが、この歳ではあてはまらない。過去の恩に感謝しようにも、とっくにあの世に逝ってしまっている。
年金をもらっている身としては、その財源たる保険料を払ってくれている現役世代に感謝すべきだろうか。そう気づいて考えてみると、はなはだ疑問が多い施策が行われようとしている。
例えば18歳未満の子どもへの10万円の特別給付金の支給。衆院選での公約だから実行するのだと、各政党や各議院は自信ありげのようだが、国民の投票動向を左右したのが、ほんとうにこうしたばらまき給付金だったのだろうか。すべての政党、候補者がばらまき給付金を叫んでおり、反対する政党、候補者はいなかった。ばらまき反対の有権者には選択肢がなかったのだ。無茶なこじつけとの批判を覚悟で言わしてもらえば、投票を棄権した半数近い有権者のうちの何割かは、ばらまき反対の投票先がないことへの反発だったのではないか。
なぜ今回のばらまきに反対するのか。理由は簡単。その財源が将来世代への負担押しつけであるからだ。若い世代が年金保険料を負担してくれていることに感謝するのであれば、若い世代の経済状況改善にも心を配りたい。そうすると若い世代の子育て負担軽減に協力したいということになる。ここまではよい。
そこで18歳未満の子育て世帯に給付金が浮かび上がるのだろうが、ここでしっかり考えなければならない。給付金10万円の財源を赤字国債でまかなうのが政府案。その場合、ツケを払うのは、給付金の対象である子どもたちではないか。これでは社会全体として子育てを支援していることにはならない。支援してもらう子どもたちが、結局は将来の借金返済増税を負担するのだから。
給付金を支給するなら、今の世代が負担すべきだ。そのための方法を考え、国民を説得するのが政治家の役割のはずだ。投票権がない子どもや、まだ生まれてもいない胎児以下の世代の負担を、今の政治家が勝手に決めていいものかどうか。このことも民主主義の基本事項のはず。「納得ないところに税負担なし」のはずではないか。
ばらまき給付金の財源は、ばらまく時点での国民が負担しなければならない。
子育て支援財源をどこから捻出するか。
案を二つほど考えてみた。1回限りではなく、恒久的措置としてである。
一つは、高齢世代が負担する。年金額を3%ほど一律カットし、これを児童手当の財源に回す。細かく計算していないが、月額1万円ほどの児童手当増額になるはずだ。その変法として支給開始年齢を遅らせる案が考えられる。また年金ではなく、高齢者医療や介護保険給付での自己負担率を引き上げるなどでも、効果は同じである。
二つはもっと現実的なアイデアとしての新税創設だ。子どもを産み育てたいが、その経済負担に躊躇し、代替策としてペットを可愛がるカップルがけっこう多い。犬、猫のペット数は15歳未満の子ども数より多いという。そこでペット1匹に月1万円の税を創設し、その全額を児童手当への目的税とする。これにより児童手当の月額1万円増が可能になる。児童手当をもっと引き上げたければ、ウサギやカメなど他のペット種にも課税すればよい。国際的に見本はないかもしれないが、世界最悪の少子化で苦しむ日本が新例を作るのに、何の躊躇もいらないだろう。
ところで勤労感謝の日の起源は五穀豊穣の御礼であったという。早い話、食糧自給ができていることへの神への感謝。今でいえば、基幹物資確保での安全保障が確立されたことへのお祝いの日ということだ。この観点では、対策はまだ考案以前の段階。そうすると休んでなんかいられないはずだ。特に政治家の皆さんには、会期外だと言わずに働いてもらいたい。