見出し画像

遺体の野焼き風習を受け入れられるか 葬送儀式は宗派でさまざま

インド・ガンジス川での火葬の模様を取材した記事が載っていた。(末尾にリンク)
 それによるとザッと次のような手順らしい。
1:死者が、体を布で包まれ、竹で作った担架で運ばれてくる(棺は使用されず)
2:「最後のお別れ」のごとく、死者がまとう上半身の布が開けられ、遺族(男ばかり8人)が対面する
3:遺族がお祈りをする。ご遺体は裸。肌がテカテカしている
4:担架ごと、ガンジス川の水に足元を少し浸ける
5:担架、キャンプファイヤーのように薪が組まれた場所へ移動
6:遺族(男8人)が遺体を囲み、祈りを捧げる
7:遺族代表が、火のついた藁で、遺体の肩のあたりに点火する
8:徐々に燃え広がって行く間、遺族たちは火の周り(遺体の周り)をぐるぐる回って祈りを捧げ続ける
 以下略。

 イスラム教信者用の土葬墓地を用意せよと声高に叫ぶ者がいる。宗教は自由なのだから、それぞれの宗派の風習を認めるのが多様化であるとするのだが、その一辺倒でよいのか。「郷に入れば郷に従え」の格言もある。

 インドは世界最大の人口を有し、その国民の大多数派ヒンドゥー教徒。その彼らの遺体処理は火葬である。ただし一般日本人の目にはいわゆる”野焼き”に見える。
 岸田政権は(その他の左翼政党も同じだが)外国人の受け入れに熱心であり、なおかつ入国者の持ち込む習俗に日本人は寛容であれと説教する。
 では聞くが、インド人が自分たち風の遺体葬送儀式を日本人は感受せよと主張し始めたら、「どうぞ、どうぞ」と近隣住民は受け入れなければならないのか。
 例えば、彼らの一部が隅田川を便宜的にガンジス川に模すことを考えたらどうなるか。浅草近辺の隅田川のテラスで彼ら流儀での厳粛な火葬を始めることになる。これに対して「野焼きはダメだよ」と区役所が指摘すると、「ではこの場所を墓埋法上の火葬場として許可せよ」と言い出すだろう。
 区役所は「それならば建物を建て、周囲から見えないように」と注文を出すだろうが、ヒンドゥーの人々にとっては「野外で遺体を焼き、焼骨を川に流すことは譲れない」と反論するかもしれない。そのときいわゆる多文化共生論者はどう言うのだろうか。
 
「日本人が野焼き風景を見たくなければ、見ないようにそれぞれが努力すべきである」と日本国民の偏狭さを嘆き、『葬送の多様化への理解増進法』を制定し、批判的日本人を処罰しようとするのだろうか。
 そうした事態になるはずがないと思う人は、その根拠を心配性の一般国民に示すべきであろう。


遺体は裸でテカテカ、女性遺族は立ち入り禁止、なぜか水牛のお乳が…インド・ガンジス川の野外火葬場で見た驚きのしきたり(デイリー新潮) - Yahoo!ニュース



いいなと思ったら応援しよう!